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2012年8月

2012年8月23日 (木)

岩菅山、 志賀山

志賀高原の 岩菅山 志賀山 へ行ってきました。

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2012年8月16日 (木)

報復テロ絶滅へ 19

ウサマ・ビンラディンが殺害されて1年4ケ月が経ちました。忘れてしまうことのないようにこのことに触れています。今日もニュースの受け売りとなります。

今日の中日新聞4面に「アフガン 警官の国際治安支援部隊(ISAF)襲撃増加」「タリバンが分断工作か 昨年を上回る37人殺害」という見出しで

「アフガニスタンに駐留するISAFの隊員が、基地内などでアフガン警察官に襲撃されるケースが増えている。

警察内部に潜入した反政府武装勢力タリバンが実行していると指摘され、ISAFとアフガン警察との連携を妨害するのが狙いと見られる。

2014年末までに行われるISAFの撤退、アフガンへの治安権限委譲に影響が出る可能性がある。」という主文があり

1部略「アフガン警察官らに殺害されたISAFの隊員は今年に入って37人、昨年1年間の総数35人を既に上回った。」中略

「1部の事件についてタリバンが関与声明を出したが、その他の事件もタリバンが仲間を警察に潜入させ、実行したと見られている。警官の志願者がタリバンかどうかを見分けるのは困難で、潜入を食い止めることは事実上不可能だ。」以下略

同じく4面の記事で「アフガニスタン南西部ニムルズ州都ザランジで14日、複数の自爆テロがあり、市民ら30人が死亡した。」中略「北部クンドウズ州の市場でも同日、バイクに仕掛けられた爆弾が爆発し、11人が死亡した。」

報復テロ・殺害は相変わらず続いています。テロが起こっても、報道されないテロも多いので少なくなっているわけではありません。1年4ケ月が経ちますが、懸念したとおりです。

戦争とか、テロほどむなしいものはありません。人間が人間を殺すなどあってはならないことです。しかも子供まで。どんな崇高な理論を掲げようと、人を殺すなど許されないことです。

報復に報復を重ねたのでは解決になりません。ISAFへのパキスタン経由物資補給は再開されたということですが、コーラン焼却事件以来中断している、アメリカとタリバンの交渉は行われているのでしょうか。

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2012年8月15日 (水)

東日本大震災 39  原発15

67回目の終戦記念日です。今日の中日新聞社説に引用されていた村上春樹のスピーチに共感いたします。

このスピーチは昨年6月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、次は社説の一部です。

福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。

村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。

核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。

そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。

日本の原発は1963年、東海村に始めて原子炉が建設されて約50年、その後は増加の一途をたどり現在は54基あります。

原子力発電所に行くと、無料の展示館があり、原子力発電の仕組みや、原発は安全というようなことが説明され、パンフレットにもそのようなことが強調して書かれていました。

また小中学校向け副読本には、原発は「大きな地震や津波にも耐えられる」と記載もされていました。

胡散臭い内容だとは思っていましたが、果たして広島原爆10個分にも相当する事故が福島第一原発で起きました。

私はそのように思いながらも、何もできませんでした。そういう意味で自分も加害者だと思っています。事故の起こる前に何もできなかったことを悔いています。

またそういう電力の恩恵に自分も預かっていることが消極的になった理由でもあります。やはり骨太の倫理・規範が必要だったのです。

また社説は次のようにもありました。

千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。

文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。

 

在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。

「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。

成長から脱成長の時代へ。エアコンでなく扇風機で十分です。始末した生活でよいと思っています。

また新聞1面では「関電管内10年並み猛暑でも 最大需要13%下回る」とありました。この数字は多くの人が質素を受け入れているように思います。 

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2012年8月13日 (月)

尉ケ峰

厚い雲が垂れ込めています。ドライブを兼ねて簡単に登れる尉ケ峰を歩いてきました。行きは湖岸の道を三ケ日から細江まで行き、細江の町から細江公園に入ります。

ここから林道三ケ日・細江線を行き、尉ケ峰登山口まで入ります。この道は舗装はしてありますが狭く、対向車に会うとすれ違いが困難です。

登山口は広い駐車場があり、きれいなトイレもあります。晴れていればここから富士山も見えます。車1台がありました。

頂上までは20分弱ですが、今日は雨具も持ってゆきました。登り始めると1人が降りてきました。ヒグラシも鳴いています。

細江公園から登る人が多いようですが、こんな天気なので頂上は誰もいません。雲で展望もよくありません。

風があるので涼しく、ゆったりできました。帰りは登山口から林道を三ケ日方向に直進します。4叉路に出るのでどの道をとっても三ケ日の町にでます。

ドライブとちょっと歩くには、林道が狭いという難点はありますがまあまあです。何回も登っているので山の詳細は省略します。

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2012年8月11日 (土)

東日本大震災 38  原発14(もんじゅ事故)

今日は東日本大震災から1年5ケ月です。

今日の中日新聞新聞2面に  美浜もんじゅ「調査」を 保安員審議 破砕帯で意見相次ぐ   という見出しの新聞記事がありました。内容は省略します。

破砕帯については他の原発でも問題になっています。これについては万全の下に原発が建設されていると思っていました。東日本大震災があったからという問題ではないと思っています。

原発についてはその安全性があまりにも強調され、なにか胡散臭いという思いでした。充分な安全の下に建設され、偏った情報でなく正しい情報をすべて公開してほしいものです。

また8月9日の中日新聞2面には、もんじゅ機器落下事故について もんじゅ 落下事故 4役員処分 給与返納 「重大性を考慮」 という見出しで記事がありました。

この事故は燃料交換で使用した装置を吊り上げる途中、原子炉容器内に落下しました。これは吊り上げ機器の設計ミスが原因と判明しています。

この事故の復旧には2年間掛かり、復旧費は約21億円に上がるということです。これもちょっと考えられない事故です。処分内容が甘いという指摘が出ています。

「高速増殖炉もんじゅ」については2011年11月22日のブログに、また「もんじゅ」の 機器落下事故については2012年6月24日のブログに書きました。

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