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2012年8月15日 (水)

東日本大震災 39  原発15

67回目の終戦記念日です。今日の中日新聞社説に引用されていた村上春樹のスピーチに共感いたします。

このスピーチは昨年6月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、次は社説の一部です。

福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。

村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。

核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。

そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。

日本の原発は1963年、東海村に始めて原子炉が建設されて約50年、その後は増加の一途をたどり現在は54基あります。

原子力発電所に行くと、無料の展示館があり、原子力発電の仕組みや、原発は安全というようなことが説明され、パンフレットにもそのようなことが強調して書かれていました。

また小中学校向け副読本には、原発は「大きな地震や津波にも耐えられる」と記載もされていました。

胡散臭い内容だとは思っていましたが、果たして広島原爆10個分にも相当する事故が福島第一原発で起きました。

私はそのように思いながらも、何もできませんでした。そういう意味で自分も加害者だと思っています。事故の起こる前に何もできなかったことを悔いています。

またそういう電力の恩恵に自分も預かっていることが消極的になった理由でもあります。やはり骨太の倫理・規範が必要だったのです。

また社説は次のようにもありました。

千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。

文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。

 

在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。

「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。

成長から脱成長の時代へ。エアコンでなく扇風機で十分です。始末した生活でよいと思っています。

また新聞1面では「関電管内10年並み猛暑でも 最大需要13%下回る」とありました。この数字は多くの人が質素を受け入れているように思います。 

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