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2012年10月

2012年10月26日 (金)

富幕山

今日も穏やかな秋晴れ。また富幕山を歩いてきました。1ヶ月振りです。いつもの奥山高原からの往復です。季節も移り、花も少なくなりました。マツムシソウはまだ少し咲いています。野菊やアザミが目立ちます。

Dsc03703 マツムシソウ

展望台からの富士山はこの前はくっきり見えましたが、今日は見えません。南アルプスの赤石や聖も見えません。もう雪を被っていることでしょう。

Dsc03706 展望台からの頂上アンテナ

頂上に着いたときは汗びっしょりです。7人がいました。全部で20人くらいに会いました。それぞれ山を楽しんでいます。

Dsc03701 頂上

いつものことながら、代わり映えのしない内容でした。

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2012年10月21日 (日)

富士見岩

今日は秋晴れ、天気に誘われて富士山を見に富士見岩を歩いてきました。湖西市のおじば公園から登ります。10時頃でしたが駐車場もいっぱいの車でした。

Dsc03693 駐車場

鉄塔沿いの道の方から登ってゆきました。微風があり、心地よく歩けます。途中の岩の展望所から浜名湖がよく見えます。

Dsc03694 浜名湖

頂上に着きました。55分掛かりました。3人がいました。期待した富士山や南アルプスは霞んでいて見えません。

Dsc03696 頂上

Dsc03695 頂上から富士山方向の眺め

帰りは大知波峠を廻り、1周して戻りました。多くの人が山歩きを楽しんでおり、20人ほどに会いました。

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報復テロ絶滅へ 23 (パキスタン少女3)

今日の中日新聞7面に10月17日の記事の続きが載っていました。

「パキスタン少女回復」という見出しで「パキスタン北西部でイスラム武装勢力“パキスタンのタリバン運動”に銃撃され重傷を負い、英国で治療を受けている少女マララ・ユスフザイさん(15)が他人に支えられながら立ち上がることができるまで回復したことが19日分かった。英メディアが伝えた。担当医によると、ユスフザイさんは“かなり元気な様子”で、会話はできないものの筆談でコミュニケーションを取っているという。(以下略)

この少女が生きているということは、平和への象徴です。それゆえ、その回復を強く願ってきました。これで一安心です。この少女には何としても生きていてもらいたいと思います。

まだ話もできないということですが、この少女を何とか支えたいと思います。生きていることがアフガンが平和へ進むことであると思います。

まだ感染症が疑われるなど、安心はできないということです。この少女の完全なる回復を祈るのみです。

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2012年10月20日 (土)

豊川橋架橋工事

国道23号線は4車線化工事が多くのところで進んでいます。いま豊川橋も4車線化架橋工事が送り出し工法で行われています。この工事を見に行ってきました。

国道23号線名豊道路は名古屋市と豊橋市を結ぶ延長73kmの大規模バイパスです。先日の10月16日には豊橋前芝ICと豊川為当IC間4.2kmが新たに開通し、豊橋バイパスの工事区間17.6kmは暫定2車線で全線が開通しました。

豊川橋は豊川の河口に架かる長い橋で10径間あります。先端の手延べ機は通常トラスを組んで軽くしますが、ここはしっかりしたものが使われていました。

Dsc03681 豊川河口の工事現場

Dsc03684

5径間ほど架設が進んでいます

Dsc03691

先端の手延べ機

橋桁はほぼ完成状態で送り出されていました。塗装も施され、足場もつけてない状態になっています。橋桁は下面がアーチ状態になっているのが見てよく分ります。

Dsc03688

桁の下は弧の状態になっています

Dsc03686

橋脚上の準備状態

橋はカーブもしており、複雑で長くて重量のある桁を寸分の狂いもなく、架設してゆくこの工事は神業としか思えません。関連記事

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2012年10月17日 (水)

報復テロ絶滅へ 22 (パキスタン少女2)

今日の中日新聞5面に10月11日の記事の続きが小さく載っていました。

「銃撃の少女回復へ希望 英で治療」いう見出しで 「パキスタンでイスラム武装勢力“パキスタンのタリバン運動”による銃撃で重傷を負った少女マララ・ユスフザイさん(14)が搬送された英中部バーミンガムの病院幹部は15日、“かなり回復する見込みがある”との見通しを語った。英BBC放送が報じた。病院幹部は“回復に見込みがないなら連れてこない”と説明」(以下略)

とにかく“かなり回復する見込みがある”ということでほっとしました。タリバンは回復したらまた襲撃するとまで言っています。タリバンとアメリカの水面下交渉どうなっているのでしょう。

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2012年10月11日 (木)

報復テロ絶滅へ 21 (パキスタン少女1)

今日の中日新聞1面コラム欄「中日春秋」にこんな記事がありました。

十四歳のマララさんは今、パキスタンで一番有名な少女だ。新聞の一面に、その名前と写真が載っている

▼おととい、北西部スワト渓谷にある学校で、生徒らを乗せたバスに男が乗り込んできた。「どの娘がマララだ?」。男は彼女と友だちに銃弾を浴びせた

▼スワトは「東洋のスイス」と呼ばれた美しい地だった。だがイスラム原理主義勢力のタリバンが勢力を伸ばし、政府軍との戦場になった。十一歳だったマララさんは「矢車草」というペンネームで、ブログを書き始めた

▼戦火におびえる生活。女子教育を禁止するタリバンの支配下でも消えない学習への意欲。国内外で、反響を呼んだ。有名になったマララさんを、タリバンは標的リストに入れた。しかし、「怖いけど立ち向かっていく」と屈しなかった

▼スワトや隣接するアフガンでは、女子校が焼き打ちされたり、生徒らに硫酸がかけられる事件が絶えない。アフガン女性課題省で働いた経験がある、国際協力機構の久保田真紀子さん(43)は「それでも、タリバンの目を逃れひっそり開かれる寺子屋のような女子校が無数にある。声が出せなかった女性たちが、少しずつ声を出すようになっている」と話す

▼少女の容体は、危険な状態にある。マララという名は、侵略者との闘いで、戦士を鼓舞し続けた伝説の女性にちなむという。小さなヒロインの回復を祈る。

また4面にはこの事件の記事がありました。この理不尽な事件に対し国際的にも非難が沸き起こっています。

以前に紹介した 「帚木蓬生」著のアフガニスタンで生まれたひとりの少女ビビを描いた「ソルハ」 を思いました。

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東日本大震災 41

東日本大震災発生後今日で1年7ヶ月が過ぎました。当ブログもしばらく遠ざかっていましたが、どうも適切な内容が書けなかったからです。

東日本大震災では死者・行方不明者の数は、地震発生の平成23年3月11日から急激に増えてゆき、平成23年3月28日は28000人と最も多くなりました。その後6月は23000人、9月11日には19867人、12月11日には19334人となりました。

死者・行方不明者の数は、平成24年3月17日までは毎日朝・夕刊に発表されてきましたが、3月18日以降は木曜日だけ発表されるようになりました。

平成24年3月22日の発表では18998人となり、19000人を割りました。そして18000人を割るように願ってきましたが、今日平成24年10月11日の発表では18649人でした。

人数をこのように書くことには、ご遺族の方々の気持ちを思うとまことに気が引けますが少なくなることを願ってのことです。

死者・行方不明者の方、おひとりおひとり如何に無念であったろうかと思います。これからも捜索を続けていただき、1人でも少なくなることを祈るのみです。改めてご冥福をお祈りします。

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2012年10月 9日 (火)

乳岩

天気の誘われて、ぶらりと新城市の乳岩(ちいわ)を歩いてきました。1時間そこそこのハイキングコースです。駐車場には10台ほど車がありましたが、おそらく明神山(1016m)に行っていると思われます。

Dsc03653 駐車場

Dsc03654 おなじみの橋

明神山方向との分岐があり、乳岩の方へ行きます。さらに行くと宇連湖方向との分岐になっており、乳岩一周コースの方に行きます。降り口より少し上の所が昇り口となっています。

Dsc03670 明神山方向との分岐

Dsc03655 右回りに一周します

通天洞という大きな岩の間を行くので、はしごが各所に備え付けてあります。かなり急です。乳岩は昔からの名所で以前はよく賑わいましたが、最近は御多分に洩れず寂れています。

Dsc03657 岩の間の鉄はしごを行きます

はしごを上りきったところで通天門に出ました。ここは自然の造形で、大きな岩の門ができています。上の岩が橋のようにも見えます。

Dsc03660 通天門

Dsc03662_2  この下をくぐってゆきます

通天門辺りが一番高く、そこから鉄製の階段を下ってゆくと、巨岩の中に鍾乳洞あり、たくさんの仏像が祀られていました。この鍾乳石から乳岩という名が付けられたようです。

Dsc03665 鍾乳洞の中の仏像

Dsc03667 鍾乳洞の中から外の眺め

駐車場から一周して1時間10分ほどのスリルのあるコースでした。まだ紅葉は全く見られませんでしたが、その頃来ればまた一段と楽しめるでしょう。

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2012年10月 7日 (日)

吉祥山

近くにある吉祥山を歩いてきました。登山口はいくつかありますが、花を期待して南の方から登るコースを歩きました。

天気もよく気持ちよく歩けます。花はあまり咲いていません。萩はもう終わりかけています。50分で頂上です。10人ほどがいました。曇っていて遠くの山は見えません。

Dsc03641 頂上

Dsc03643 頂上の賑わい

帰りも同じ道を下りましたが、途中栗のイガが落ちているところがありました。よく見ると実もあります。割れていないイガもあり、割ってみると実がありました。イガにはよく出あいますが実があるということはほとんどありません。珍しいことでした。

Dsc03652 収穫した栗

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2012年10月 2日 (火)

報復テロ絶滅へ 20

ウサマ・ビンラディンが殺害されて今日でちょうど1年5ケ月が経ちました。ウサマ・ビンラディンは2011年5月2日に殺害されました。

これまでにも書きましたが、東日本大震災とウサマ・ビンラディン殺害は 昨年の最大の出来事として、忘れてしまわないよう書き続けています。

昨日の中日新聞6面に小さく「アフガンでの米兵死者2000人 01年以降、AP集計」という見出しで記事がありました。内容は

AP通信は30日、アフガニスタンで29日米兵1人が死亡し、アフガンでの米兵の死者が2001年の米軍による攻撃の開始以来、2000人に達したと報じた。独自集計の結果としている。死者が1000人目に到達してから、わずか約2年4ヶ月で2000人に増加。米軍中心の国際治安支援部隊(ISAF)による反政府武装勢力タリバン掃討作戦の泥沼化を象徴しているといえそうだ。(以下略)

アフガンのニュースはウサマ・ビンラディンが殺害された頃は頻繁でしたが、時間がたつにつれて少なくなってきています。米兵の死者が短い期間で1000人から2000人になりました。報復が治まるどころか多くなっています。

アメリカ同時多発テロは2001年9月11日、ロンドン同時爆破事件は2005年7月7日、そしてウサマ・ビンラディンの殺害、その後報復は続いています。

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