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2015年1月12日 (月)

赤岩尾根(松脂)

今日もよい天気となり、赤岩尾根ピーク(三河富士)まで歩いて来ました。多米登山口からの往復です。

Akaiwatakayama

この尾根は豊橋自然歩道尾根道の派生尾根なので主要尾根ではありません。したがってあまり歩いている人もおりません。

ピークまでは45分でした。途中には豊橋市街の展望の良いところもあります。ピークからは雪山が見えましたが、山座同定が出来ません。恵那山、大川入山、茶臼山などかなあ と思ったりしました。ここからは富士山は見えません。

Dsc08204豊橋市街

Dsc08202雪山

今日も松の木に係わる古い話を書きます。

今ではほとんど見かけませんが、写真のように傷つけられた松が、昭和の頃までありました。

Dsc02436 松脂を採った跡(豊橋市高師公園)

これは松脂(まつやに)を採った跡です。戦争末期に航空機の燃料として全国で採取されました。

試しに豊橋公園でこのような松があるか調べてみましたがありませんでした。次に高師公園に行ってみました。ここには松脂を採った松が何十本もありました。

採取のされ方は次のようです。

Matuyani

表皮を剥がす → 幹に傷を入れる → 下に空き缶を吊るす

こうしておくと松脂の樹液が染み出て下の方に垂れ、空き缶に溜まるというわけです。

戦争末期、石油が不足すると、航空機の燃料として松根油の採取が行われました。昭和19年10月、農商務省が「松根油緊急増産対策」を発表し、国を挙げて採取が展開されました。

全国各地の松の木から松根油を採取するために、老人、女学生、子供らが勤労奉仕として大量動員されました。最終的に精製された量はわずかで、実際に松根油を使って飛行した記録は残されていません。

これが行われたのは、戦争末期なので私は4歳でした。このように傷ついた松はよく見かけましたが、これを行ったことはありません。子供も行ったので松の低いところにあります。

当時は街の中にも大きな松が何本かありました。それらの松にはほとんど行われていました。大木であるほど行われ、空き缶が付けられていました。

痛々しい限りです。このように傷をつけられた松の多くはやがては枯れて行きました。松が少なくなってきていますが、その1つがこのことにあります。

全国ではこのような松が残っているところがまだ多いと思います。やがてはなくなりますが、平和の尊さをとどめる宝として1本でも多く、末永く残ってほしいと思います。

私は松林が好きです。松風のわたる松原、松並木は心の安らぎを覚えます。

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コメント

私は原爆体験者の話を継承する活動をしていますが、その話の中で、戦時中に松脂採取をしていることを述べています。その話の中にこの写真と図を使用したいと思い、使用許可をいただきたく、コメントとして書きました。許可が下りるようでしたら、私についてのさらなる情報を追加いたします。画面にそちら様のお名前を上記いたします。

投稿: | 2017年3月15日 (水) 10時09分

私は原爆被爆者の体験談を語り継ぐ活動をしているものですが、その話の中で、戦時中に、松脂が採取されていたことを述べています。その話の中で、この写真と図を使用させていただけるかどうかをお尋ねいたします。画面にそちら様のお名前を表記いたします。了承を得ましたのちには当方の氏名などもおしらせいたします。

投稿: | 2017年3月15日 (水) 10時10分

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