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2015年1月31日 (土)

赤岩尾根ピーク(戦争体験)

登山口までは車で行くことがほとんどですが、今日は家から歩いて行きました。赤岩寺から登り、多米登山口へ下りて家まで歩くというコースです。

Akaiwatakayama2


家から赤岩寺登山口までは30分でした。赤岩寺登山口から新しくなった登山道を行きます。傾斜が緩やかになり、登り易くなりました。

P1310007赤岩寺登山口

50分で赤岩尾根ピークに着きました。ここは321mなのでそれほど遠くの山は見えません。雪山が見えるときもありますが今日は見えません。

P1310012左に本宮山、右の手前は石巻山

帰りは赤岩尾根を直進し、多米登山口に下りました。尾根道は木に遮られているものの風が当たり、手袋や耳当ては離せません。多米登山口には案内板があります。

P1310019案内板

多米登山口からは車道を歩き、家に帰ってきました。合計時間は2時間30分でした。登山道では誰にも逢いませんでした。

山とは関係ありませんが、今日は私の戦争体験を書きます。まだ小さかったので多くを覚えておりません。

太平洋戦争が始まったのは私が1歳5ケ月(昭和16年12月8日)、終わったのは5歳1ケ月(昭和20年8月15日)の時でした。終戦前に体験したことを列記します。家は田舎にあり、空襲は受けていません。

・灯火管制で電燈の周りに黒い布をかけ、光が広がらないようにしていた。

・ガラスに細長く切った紙を貼り、ガラスが割れても飛び散らないようにしていた。

・ほとんどの家の前にはコンクリート製の用水があり、火事に備えていた。

・防空頭巾を誰もが持っていた。

・B29の機影を何度か見た。

・出征兵士を見送るため、駅前に日の丸の小旗を持って大勢が集まった。

・空襲警報のサイレンは何度も聞いた。

・家の前の空き地に半地下式の防空壕が造られており、空襲警報のサイレンが鳴ると、近所の人が防空壕に飛び込んだ。中は真っ暗で土臭く、ぎゅうぎゅう詰めだった。

・親の兄弟の家族6人が疎開してきており、家は賑やかだった。

・家の防犯用の鉄柵やアルミの鍋など金属は供出した。橋の欄干の鉄も取り除かれていた。

・戦車が家の前を通ったのを見た。(現在、幻の戦車が三ヶ日町瀬戸に沈んでいると言い伝えられ、探査チームが探査を行っています。見たのはこの戦車かもしれません。)

・婦人会割烹着姿のお母さんたちがバケツリレーで消火訓練をしていた。

このような体験はもっと詳しい方がたくさんいらっしゃいます。私のようなわずかな体験を語ってもあまり役に立たないと思っていましたが、人が違えばそれぞれに意味のあることと思い書きました。

玉音放送も知りませんでした。戦争が終ったことは遊び仲間の間で自然に知ったように思います。

戦後のことの方が記憶が多くあります。年齢も上がり、より身に染みているからと思いますが、ここは終戦までのことを書きました。

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