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2015年1月18日 (日)

金山(門松)

冷え込んでいますが、風も無く、雲一つありません。新城中宇利から金山を歩いて来ました。世界桜の園から登りました。

Kanayamakamewari

桜の園の東屋から、形のよい吉祥山、本宮山が見えます。
30分ほど歩くと林道を横切ります。さらに20分ほどで頂上に着きました。樹木があり、展望はありません。不粋な反射板があります。

Dsc08210東屋から吉祥山(左)、本宮山

Dsc08213金山頂上

金山は瓶割(かめわり)峠からも登れます。瓶割峠は採石場が広がり、どこが登山口かわからなくなってきています。以前は峠近くから登れましたが今は登れません。

そこで帰りは、どこが登山口か見るために林道出合から瓶割峠まで歩いてみました。20分で着きました。

瓶割峠から登るならば、県道308号を林道に入り、採石場を右、右と行けば林道が続き登山口です。林道は車は通れません。

Dsc08221瓶割峠から登山口への林道

林道出合まで戻り、来た道を帰りました。合計時間は2時間20分、誰にも逢いませんでした。



別の話を書きます。平成27年が始まりましたが、昭和の中頃までは大方の家が正月には門松を立てました。

この門松をたてるのが子供の役割でした。今見るような、斜めに切った太竹を3本組んだような立派な門松とは大違いです。

先ず松を取りに行きます。門松は小さな松です。しかし小さな松を切っていては、松が無くなってしまいます。それで昭和の中頃以降は若木を切るのでなくて、枝を使うようになりました。

次に竹です。これはクマザサを使いましたが、淵の白いクマザサが似合うので子供が連れだって、遠くでしたが取りに行きました。本坂峠などにありました。

Dsc08107本坂峠にあるクマザサ

梅の枝は手に入るときは付けましたが、付けないときもありました。当時は道は舗装されていないので、門口の前の道に穴をあけ、一対の杭を打ち縛りました。これで終わりです。

唱歌の「一月一日」にも「・・・松竹立てて門ごとに・・・」と言う歌詞が出て来ます。この歌は明治26年文部省が「祝日大祭日唱歌」として公布しました。

門松は今では一般家庭ではほとんど行われませんが、長い間、風習として受け継がれて来ました。

山に行ってクマザサや小さな松を見ると、こんなことも思い出します。

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