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2015年3月10日 (火)

吉祥山(戦中戦後供出)

寒い日,暖かい日が繰り返しています。今日はたいへん寒く、あられも降りました。休憩舎のあるAコース登山口から登りました。

Kitijouakosu2

歩きやすい山道でいつも登山者が来ています。5人ほどに逢い、頂上に着きました。雲があり富士山や南アルプスは見えません。宇連山や明神山は見えます。

Dsc08324左から宇連山、鳳来寺山、明神山

頂上からは別の道を下りました。合計1時間40分の里山歩きでした。

 

別の話を書きます。今日3月10日は東京大空襲70年です。B29爆撃機300機が東京下町に焼夷弾を無差別投下し、10万人が死亡しました。

以前のブログで、戦争中、金属の供出について触れましたが、3月7日の中日新聞に、犬についても供出があったことが1面の中日春秋欄にありました。

戦争末期 「畜犬献納運動」 と称して犬が供出され、その皮が兵士の防寒具として使用されたということです。

供出とは政府が民間の物資・農産物などを半強制的に売り渡させることをいいます。売り渡させると言っても大変低い価格でした。無料供出もありました。

供出はいろいろありました。全国的に行われたものもあり、一部地域で行われたものもありました。これまでに触れたことも含め挙げてみます。

・食糧管理制度(昭和17年)・・・米や麦などの食糧の価格や供給等を、政府が管理する制度。一日一人、二合一勺の米を残して、農家に供出を命じた

・金属類回収令(昭和18年)・・・・金属不足を補うため、民間所有の金属類回収を行う目的で制定された

・畜犬献納運動(昭和15年)・・・軍用犬、防寒用毛皮として供出

・松根油緊急増産対策(昭和19年)・・・航空機の燃料として採取

・木材の供出・・・防空壕の支え木、鉄道枕木、などに使われた

・勤労奉仕・・・埋め立ての土運び、橋の建設の杭打ち(ヨイトマケ)などをした

・石の供出・・・道路補修や建設資材として使われた

・牛、馬、豚の供出・・・食料として供出

・食料の供出・・・米麦以外にも芋、野菜など供出

食糧管理制度は戦後も長い間続きました。勤労奉仕は戦後しばらく後でしたが、中学生のときに出て、山の裾から、海岸埋立地まで、トロッコで土を運ぶ作業をしました。

 

 

 

 

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