« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

2015年4月29日 (水)

神石山(戦中戦後 水)

源頼朝が上洛の折、立ち寄って手を洗ったという手洗(てあらい)の集落より登りました。松林のある登山道です。

Kamiisitearaioufuku

Dsc08485松林

この登山道は40分で頂上に着きます。冬にはよく見えた富士山も見えません。これからはほとんど見えないことと思われます。

Dsc08484神石山頂上より浜名湖

戦中戦後の頃の水事情について書きます。

その頃はまだほとんどの町が水道はありませんでした。町や村によって事情は違うでしょうが、私の町は井戸でした。井戸から水をくむには釣瓶かポンプでした。

当ブログの家は釣瓶でした。釣瓶も竹の棒のものと、滑車で汲むものとありましたが、我が家は竹の棒のほうでした。

釣瓶2杯でバケツがいっぱいになります。この水汲みが子供の仕事でもありました。

バケツは大きいバケツです。子供がやっと持てるほどです。小さいバケツでは間に合いません。

炊事場は大きめの瓶があり、普段水を満たしておきます。風呂はそのバケツで5・6回運んだでしょうか。埋める水も用意しておきます。

洗濯は多くの家が井戸の傍に盥を置いて行っていました。炊事は瓶より柄杓で水を汲みます。

街にも井戸掘り屋とか井戸の枠作り屋などありました。また水を入れておく瓶など売る店も何軒かありました。

水道が引かれたのは当ブログが中学生になってからで戦後8年ほど経ってからです。やがて井戸に関係する店も無くなって行きました。

水は貴重です。水道が出来たときや水洗トイレが出来たときなど、こんなに水を使ってよいのかという思いがしました。

今では慣れてしまいましたが、やはり水は大事にしたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月28日 (火)

豊橋向山緑地のツツジ

街角の公園や通り沿いにツツジやふじが見られます。豊橋向山の大池周辺は緑地公園となっており、たくさんのツツジがあります。

Dsc08476ツツジ1

Dsc08472ツツジ2

Dsc08475ツツジ3

Dsc08478ツツジ4

Dsc08481ツツジ5

Dsc08477大池

知らぬ間に花も移り変わっています。その時季の花を楽しみたいと思います。
















| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月24日 (金)

白鳥の一本桜

岐阜県郡上市白鳥町の一本桜を2本見て来ました。2本とも古木で大きな桜ですが、花の付きがよくありませんでした。

まず「善勝寺の桜」を見に行きました。白鳥町六ノ里の集落にあります。白尾スキー場の入り口になります。

P4240024善勝寺

行く前に白鳥町観光協会に聞いたところ、先週末の風と雨で花が散ってしまったということでしたが、満開のときならば多少は回復するだろうと思って行きました。

ちょうど今が満開のときです。しかし残念ながら花は疎らでした。花は年によって咲く期間が異なり、天候異変もあるので難しいものです。

P4240017善勝寺の桜1

P4240009善勝寺の桜2

P4240004善勝寺の桜3

P4240020善勝寺の桜4

雪のある山も見え、桜や花桃とよく似合います。

P4240005雪山1

P4240012雪山2

この善勝寺の桜はエドヒガン桜で樹齢400年超。幹の周り4.3m、高さ18.5mあります。

次にもう一本「藤路(ふじろ)の桜」を見に行きました。白鳥町の油坂峠にあります。

P4240032油坂峠にある案内板

この桜も満開ということでしたが、花の着きが少なく、花が開ききっていないように見えました。葉が多く出ていました。

樹齢は600年超ということなので、樹勢も衰えて来て、支柱で支えられています。この「藤路の桜」にまた溢れるほどの花が咲くのを祈るのみです。

P4240041藤路の桜1

P4240043藤路の桜2

P4240045藤路の桜3

P4240035藤路の桜標識

この桜はエドヒガン桜で幹の周り3.6m、高さ約18mあります。

”太平洋と日本海を桜でつなごう”の故佐藤良二さんの顕彰碑が近くにありました。

Dsc08462顕彰碑

一本桜を訪ねて歩いています。この2本の桜を見るために片道180kmを走りました。満開ではありませんでしたが、400年、600年というその風格に見入りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月23日 (木)

磐田つつじ公園

磐田のつつじ公園に行って来ました。約30種3500株のつつじがあり、今が見ごろです。

国道1号バイパスを見付インターで降り、ハナミズキがちょうど咲いている通りを行き、古風な見付宿場通りを行くと「つつじ公園」の看板がありました。

見付天神の神社といっしょになった敷地にたくさんのつつじが植えられています。少し早すぎたようです。花の数が多くありません。

P4230001昭和8年開設 古くからの公園です

P4230003つつじ1

P4230006つつじ2

P4230026つつじ3

P4230013つつじ4

P4230030つつじ5

池、休憩所、藤棚、神社祠などもあります。

P4230010公園

天気も良く、気温も高くなりました。多くの人が見に来ていました。

 






| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月22日 (水)

大原調整池奥(戦中戦後のごちそう)

なるべく歩いたことのない登山道を歩こうと思っています。大原調整池の奥はそのようなところが多いので、今日もそちらへ行きました。

この前歩いたとき、鉄塔分岐と大岩との間に、大原調整池の方に下りる道があったので、そこを歩いてみようと思って行きました。

Ooharabungi

この前と同じように林道を行き、鉄塔登山口から登山道に入り、鉄塔分岐に着きました。ここは眺めがよく池も僅かですが見えます。

Dsc08454鉄塔分岐からの眺め

鉄塔分岐から宇利峠方向に向かいます。10分ほど進んだところに分岐があり、そこを左に取り、大原調整池の方に行きました。

Dsc08453分岐を左に行く

しかし道は薄くなってきました。茨が道を塞ぎ、歩き辛くなってきました。踏み跡がはっきりせず、雑木もますます多くなって、下まで行くのは無理です。

途中で引き返すことにしました。また元の道を戻ります。ゆっくり楽しんで下りました。2時間半の歩きでした。

別の話を書きます。

以前に戦中戦後の食糧について書きましたが、今日は戦中戦後の我が家のごちそうについて思い出すままに書きます。

季節の祝い事や行事のときにはごちそうを食べました。
正月はお雑煮でした。もちは10臼以上は搗いたので、好きなだけ食べることが出来ました。

ひな祭りは散らし寿司でした。普段は寿司はあまり食べられません。マグロがのっているような上等なものではありませんでした。

またひな祭りには、毎年ではありませんでしたが、ヨモギの葉を入れた緑色の餅とくちなしの実を入れた赤い餅を作り、白い餅と合わせて菱餅やあられを作ったこともありました。

「菱餅」の画像検索結果
菱餅 ネットで拝借しました

春の彼岸、秋の彼岸にはおはぎ(ぼた餅)を作りました。もち米とうるち米を混ぜたものを使いました。きなことあんこ両方を、2つのお膳いっぱいになるくらいの量作りました。昔はなんでも多くつくりました。

端午の節句は柏餅を作りました。餅を搗いたのではなく、米粉を練りました。よしまき(ちまき)も作り、長持ちするよう天井につるしておきました。

夏にはお祭りがありました。このときは巻きずしといなり寿司を作ります。巻きずしの芯には我が家では、干瓢、椎茸、竹輪など入れました。椎茸、竹輪はわが家独特かもしれません。

巻きずしは遠足とか運動会にも作りました。我が家のこの巻きずしは今でもたいへん馴染んでいて、この芯が好きです。

夏にはカツオを売りに来ました。その頃は1匹単位で買い、家でさばきました。なんといっても刺身が1番で、ニンニクを付けるのが最高です。あらも煮つけにして食べ尽くしました。

祝い事のあったときはおこわ(赤飯)を作りました。重箱に入れ、黒ゴマにナンテンを添えたおこわは見た目にもきれいで、すぐになくなりました。

冬にはたまにすき焼きをしました。肉など普段はなかなか口に入りません。牛肉の本格的なものでなく、鶏肉、豚肉など使いました。牛肉のすきやきが食べられるようになったのは大分後のことです。

これらのごちそうは普段は食べられず、季節や行事のときに食べたのでほんとにおいしく思いました。今でもこれらはごちそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月21日 (火)

大岩から宇利峠(大掃除)

4月18日は宇利峠・本坂峠間にある大岩から本坂峠側を歩きましたが、今日は大岩から宇利峠に歩いてみました。

Ooharauri_2


林道を大岩登山口まで歩きます。途中蛇穴前を通ります。大岩登山口までは40分でした。大原調整池側からは1時間30分でしたから大分違います。

大岩登山口から大岩までは10分です。大岩から宇利峠へ向かいます。樹木に遮られて展望はありません。

Dsc08441大岩

花は特にありません。しかし若葉が萌え出で鶯がないています。

すぐにピークとなり、後は下りです。宇利峠前は特に急な下りでロープが付けてありました。そのロープが木に食い込まれていました。

Dsc08444木に食い込まれたロープ

大岩から40分で宇利峠登山口に着きました。宇利峠からは国道を20分歩き、車まで戻りました。合計1時間50分の里山歩きでした。

Dsc08445宇利峠登山口

こちら側は歩く人も少なく誰にも逢いませんでした。

別の話を書きます。

戦中戦後の頃、年の暮れになると、どこの家でも大掃除をしました。これは大変なことでした。まずふすまなどを外し、畳を揚げて陽に干します。

8畳3部屋なら24枚の畳になります。半日ほど干して、次に棒で叩き、埃を出します。その後箒で掃いて埃を落とします。

畳を干している間に床板を揚げ、床下に風を通し、消毒薬のDDTを撒きます。また部屋の天井など埃があったり、蜘蛛の巣が張ったりしているので、笹でそれらを落とします。

その後はしっかりと掃きます。部屋がきれいになったら、畳やふすまを戻します。ふすまや畳の位置が前と同じようになるのに苦労をしました。

一家総がかりの大変な一日でした。畳は重く、面白くもないことなので、途中で嫌になってしまいますが、投げ出すわけにもゆきません。

全部が納まった後には埃が付いているので、畳や柱、鴨居など拭き掃除をします。全部が終った後はたいへんすっきりして、畳の上に大の字に寝っ転がったりしました。

昔は掃除機がなく、箒やはたきだけだったので、埃が溜まりやすかったのです。最近はこのように畳を出して掃除をしている光景は見かけたことがありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月18日 (土)

縦走路大岩(ふんどし)

大原調整池からは林道、遊歩道、登山道が多くあり、いろいろなコースを歩けます。今までに歩いたことのないコースを歩きました。

ゲートから林道を1時間半歩き、大岩登山口に着きました。ここから大岩に行きます。10分ほどで着きました。

Ooharaooiwa

Dsc08431大岩

大岩はたいへん大きな岩でカメラに納まりません。ここは宇利峠と本坂峠を結ぶ縦走路になります。

この縦走路を左に行けば三ケ日の宇利峠、右は平尾山を通って豊橋石巻の中山峠、そして本坂峠です。中山峠の方に行きます。

この縦走路の展望は良くありません。何回かのアップダウンを繰り返し、大岩から20分で鉄塔のある分岐に着きました。ここは眺めがよく、2人が休んでいました。

Dsc08407鉄塔分岐からの眺め 前の山は吉祥山

ここから大原調整池の方に下ります。1時間でゲートのある登山口に着きました。合計3時間の歩きでした。桜の花は散ってしまって、これからは新緑の季節です。

別の話を書きます。

当ブログが小学生の頃は水泳というほどではありませんが、よく水浴びに行きました。家は湖の近くだったので、水浴びするところはいくつかありました。

当ブログが泳いだのは川や河口の浅瀬です。しかし悲しい事故もありました。当時はプールなどは全くありませんでした。

その頃は水泳パンツなどありません。小学校低学年のときは越中ふんどし、高学年になってくると六尺ふんどしを着けました。

越中ふんどしは紐が付いていて簡単に着けられます。六尺ふんどしは晒し(白木綿)の布で六尺の長さの1.8mあります。巾は30cmほどです。

これを着けるにはこつが要ります。肌に食い込むように締めるのがよいのです。ふんどしをしっかり締めた姿はきりりとしています。

気持ちを引き締めて事に当たることを言うのに「ふんどしを締めてかかる」とか「ふんどしを締め直す」いう言葉があります。

ところがふんどしをしっかり締めるのは難しいのです。腰に一巻きしておいてから、片方を肩にかけ、締めてゆきます。

子供が締めたふんどしはすぐに緩んでしまいます。緩んで外れてしまうと、水から上がれないということになります。

普段の生活ではふんどしはしませんでした。もっと前の時代はしたでしょうが、ふんどしをしたのは水泳のときだけでした。

ふんどしも中学生の頃には水泳パンツに変わって行きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月17日 (金)

湖底に沈むしだれ桃

昨日下呂の一本桜を見に行った帰り、設楽(したら)町田口川向(かわむき)のしだれ桃の里に寄りました。「川向しだれ桃里まつり」が開かれています。

P4160096川向しだれ桃1

P4160098川向しだれ桃2

P4160099川向しだれ桃3

P4160100売店

初めて行きましたが、しだれ桃の木が疎らとなっています。町観光協会の職員の方でしょうか、説明をしてくれました。数年前に比べて、すっかり少なくなってしまったようです。

それは設楽ダムが出来るからです。完成すると設楽町川向の地区は湖底に沈むことになってしまうのです。

既に川向地区すべての家が移転し、しだれ桃も伐採が進みました。今では以前の5分の1の200本ほどになってしまいました。

しだれ桃のような立ち木にも補償金は支払われます。しかし補償金をもらわなくてもよいからと一部のしだれ桃は残りました。移転工事のための伐採もありました。

水没までは生きながらえることになった川向のしだれ桃ですが、疎らとなってしまいました。

しかし町観光協会は今年も駐車場や仮設トイレを設置し、特産品・五平餅など販売などしておりました。

以前は桜もしだれ桃も一緒に見られ、1000本以上のしだれ桃が山里を彩ったということですが寂しくなってしまいました。今生の川向のしだれ桃となるのでしょうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月16日 (木)

下呂の一本桜

下呂市の萩原地区には一本桜の名木が多くあります。5本を見てきました。今年は雨ばかりでしたがやっと晴れ、桜もちょうど良いときでした。

設楽、恵那、中津川、裏木曽と行きました。中津川まではもう桜は終わりでしたが、裏木曽はどこも満開、道中も楽しめました。

先ず「岩太郎のしだれ桜」を見ました。この桜は下呂では昨年見に行った「苗代桜」と1・2を争う素晴らしい桜です。120年前、岩太郎という人が若芽を植えて大事に育てた桜です。

P4160037岩太郎のしだれ桜

土手から突き出すように幹が聳え、やわらかく撓る枝が風になびくその姿は見事と言う他ありません。幹回り2.6m、高さ15mのしだれ桜です。

次に「森山神社のしだれ桜」を見に行きました。森山神社の鳥居前にあるしだれ桜で樹齢100年といわれる美しい桜です。 五平餅を売るテントのお店も出て、さくらさくらの曲が流れていました。

P4160042森山神社のしだれ桜

次に「賢誓寺(げんせいじ)のしだれ桜」です。 昭和3年現在の地に移転した際に、記念樹として植樹されたものです。樹齢は90年ほどになります。

境内を華やかに彩る見事なエドヒガンのしだれ桜で、前出の「岩太郎のしだれ桜」「森山神社のしだれ桜」の姉妹桜です。2本ありました。

P4160059賢誓寺のしだれ桜

次は「永養寺(えいようじ)のしだれ桜」です。樹齢350年のしだれ桜です。幹にコブをつけ、いかにも古木といった風格です。

枯死寸前でしたが手を入れられ復活しました。赤や青の毛氈が敷かれ、抹茶の席が用意されていました。

P4160003永養寺のしだれ桜

次に「浄福寺(じょうふくじ)のしだれ桜」を見に行きました。別称「遊女桜」とも言われます。江戸新吉原の妓楼から梵鐘が寄進され、遊女たちの希望によって、新吉原の桜が傍らに植えられました。

樹齢210年、エドヒガンの古木です。幹周2.5m、樹高10mで遊女のような、艶めかしい美しい桜です。

P4160080浄福寺のしだれ桜

山はいつでも登れますが、桜は一週間です。一本桜には人を引き付けるものがあります。孤高の美しさ、何百年を超えてきたその風格にはただ見入るばかりです。

老樹に鞭打って花を咲かせ、すぐに散って行くはかなさ、潔さに引かれるのかも知れません。当ブログにとっては 桜は心を慰めてくれる、どの花にも代え難い懐かしく愛しい花です。

これで一本桜74本を訪ねました。どの一本にも感動いたします。ホームページにまとめてありますので見てください。

動画もアップしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月11日 (土)

東山(戦中戦後田んぼ)

朝は雨が降っていましたが、止んだので二川の東山に行って来ました。

葦毛湿原を通って行きましたが、花はハルリンドウがよく咲いていました。コバイケイソウはまだ蕾もありません。

Dsc08413コバイケイソウ

1時間で頂上です。雨だったので途中人も少なく、頂上は誰も居ません。展望を楽しんで、来た道を戻りました。

Dsc08416東山頂上

Dsc08417頂上から浜名湖

別の話を書きます。

戦中戦後、当ブログの家でも少ないながら田んぼがありました。この田んぼの仕事はたいへんでした。

特に大変なのが、田植えと稲刈りです。そのときは一家総出で仕事をするので、学校も農繁休となり、子供も手伝うのが当たり前でした。

田植えの日は朝早くから田んぼに出、丸一日掛かりでした。初め苗の位置を決めておき、後は一列になって植えて行きます。

Images1uppc779田植え風景  ネットで拝借しました

腰をかがめて大人と同じに進むよう、ひたすら植えて行きます。子供の足は細く泥に取られてなかなか抜けません。ヒルもおります。知らぬうちに血が出ています。

田植えの一日が終わり、泥まるけで家に帰ってきます。母親や祖母はそれからも大変です。家中の汚れ物を、盥で手洗いの洗濯です。

また稲刈りも同様に一家総出です。稲刈りには一つ想い出があります。小学校低学年のときでした。

鎌で稲を刈っているときに、勢い余って足の親指を切ってしまいました。そのときも医者に行きませんでした。今も傷が残っています。

米になるまでには他の仕事もたくさんあります。畦塗り、水の按配、草取り、はざ掛け、脱穀、籾とごみの選り分け、乾燥、籾殻取り、俵詰めなどです。

今では田植えは機械で一人で出来ます。機械の前の方にも苗を積み、足を田んぼに入れることなく、短時間で仕上げてしまいます。

Dsc07178_2Dsc07182_2田植え機(葦毛湿原近くの田んぼで 昨年6月4日撮影)

隔世の感です。今でも狭い田んぼはあちこちにあります。棚田の風景は心がなごみます。こういうところでは昔ながらの田植えが行われています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 9日 (木)

平尾山(戦中戦後の暖房)

ようやく雨が上がりましたが、曇っています。昨日に続き、寒い日となりました。

また平尾山へ、この前とほぼ同じコースで行って来ました。林道の登り口まで40分、登山道を30分歩き、頂上です。.

Ooharachouseihiraoyama

Dsc08398平尾山頂上

頂上から中山峠側のピークまで少し歩いてみました。2人が居りました。宇利峠から来て中山峠まで行くということです。

また戻り、平尾山を通り越し鉄塔分岐から下りました。途中浜名湖がよく見えます。しかし霞んでいます。

Dsc08404浜名湖

桜もミツバツツジもショウジョウバカマも時期は過ぎ、名残の花が僅かにある程度です。2時間半の歩きでした。

戦中戦後の頃、我が家で使っていた暖房器具について書きます。

・火鉢・・・一番主流な暖房器具だった。家族が火鉢の周りに集まり手をかざした。もち、あられ、芋切干、するめなどを焼いたりした。

Dsc08412我が家にあった火鉢  今ではメダカを飼育しています

・コタツ・・・陶器製で消し炭の火を入れ、布団の中に入れた。

Imagestkngwvvpこんな感じでした。ネットで拝借しました

・湯たんぽ・・・毛布で包み、布団に入れた。

・釜土・・・夕飯仕度のときかまどの前に腰かけ、ご(松の枯葉)を燃やし、火に当たった。

・日向ぼこ・・・縁側などで陽にあたった。

・熱い湯・・・手のかじかんだとき熱い湯につけた。

我が家では使っていなかったが、戦中戦後の頃の暖房器具として次のようなものもありました。

・囲炉裏・・・わが街で囲炉裏のある家は珍しかった。

・堀コタツ・・・炭や消し炭を使った。座りコタツもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 3日 (金)

大龍不動桜

今はどこも桜が満開です。今日の中日新聞地方版に新城市有海(あるみ)大龍寺の一本桜が見ごろを迎えたという記事があり、見に行って来ました。

雨が降っていましたが、桜はすぐに散ってしまうので晴れのときを待っておれません。大龍寺は道に看板が出ており、それほど苦労することなく行けました。

高さは24mあり、県下でも珍しいひと際高い桜です。樹齢130年のエドヒガンザクラで、根元から5本の幹が立ち上っています。

P4030008大龍不動桜1

P4030012大龍不動桜2

P4030010大龍不動桜3

こんな天気でしたが、観光バスも1台来ており、賑わっておりました。

昨日は豊橋石巻平野のエドヒガンサクラを見て来ました。これは分かりにくかったですが、農道の奥にありました。

特に観光化されてもおらず、人はあまり来ません。豊橋名木100選の表示板はありました。樹齢100年、高さ8mほどあります。

P4020002豊橋石巻平野のエドヒガンサクラ1

P4020006豊橋石巻平野のエドヒガンサクラ2

一本桜のホームページ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »