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2015年5月13日 (水)

富士見岩(戦後の頃のゴミ)

湖西市のおちば公園(一本杉公園)から大知波峠、富士見岩を一周して来ました。

Fujimiiwaootibatouge2

登山口辺りはみかんの花の大変良い香りがします。

Dsc08510みかんの花

大知波峠には50分ほどで着きました。浜名湖がよく見えます。

P5130009大知波峠から浜名湖

さらに20分ほどで富士見岩に着きました。送電鉄塔下の木が切られ、展望が良くなっていました。冬には見えた富士山は霞んでいて見えません。

P5130019富士見岩から浜名湖

若葉の中を歩き、一周して登山口に戻ってきました。2時間でした。

今日は戦中戦後の頃のゴミについて書きます。

その頃はプラスチックの様な化学製品はありませんでした。燃やすにしても有害物質の出るものはありませんでした。

まず生ごみは掃き溜めに捨てました。掃き溜めの中にはいろいろな生物がいて、分解してくれます。腐れば畑で肥料として使いました。残るものはありません。ミミズもおり恰好の釣り餌でした。

紙、木、竹などは釜土で燃料として使いました。不要になったものを普段蓄えておきました。

下肥は肥料となりました。動物→植物→動物→植物とごく自然なサイクルです。下肥は貴重な肥料でした。

金属のゴミは当時はあまりありませんでしたが、缶詰の空き缶などは埋めました。地面の中でやがて腐って土に還ってゆきます。

ガラスや瀬戸物は捨てる場を作っておきました。やがては粉々になり、土となります。

あさりもよく食べましたが、その貝殻は道の凹んだ所に捨てました。どこの家でもそのように扱っていました。粉々になりやはり土に還ってゆきます。

ゴミはほとんどのものが自然の中に還ってゆきました。動物と植物の間に循環がありました。

化学製品が出てきたころから、このサイクルが崩れてきました。当ブログが中学生のときナイロンが現れました。

その頃は貴重なものでした。やがて多く出回るようになり、燃やしておりました。

その後は新しい化学製品が続々と現れて今に至っています。大変便利ですが、心して扱わねばと思っています。

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