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2015年5月29日 (金)

続 満蒙開拓平和記念館

昨日の満蒙開拓平和記念館の続きです。戦争が終ったのは昭和20年8月15日、平和記念館のある阿智村の満蒙開拓団215名、戸数79戸が村を発ったのは昭和20年5月1日でした。

終戦のたった3ケ月前です。満蒙開拓団は家族で行きましたから当ブログと同じ年代の人が多くおりました。当時5歳くらいです。身につまされます。

終戦の3ケ月前に何故満州の地に旅出ったのか、一つは国策として村単位での勧誘がありました。

もう一つは真実が伝えられていなかったからと思います。土地は略奪した土地であり、戦況も厳しい状態でした。

満州国は、日本軍が中国北東部に、武力で建設した独立国です。そこに約27万人の開拓団員が送り込まれました。

開拓団員は長野県が突出して多く3万3千人、次が山形県ですが、長野県の半分ほどです。長野県が多かったのは養蚕業が衰え、耕す土地も狭かったからです。

昭和20年8月9日、満州へのソ連侵入により、悲劇が始まりました。記念館には、その様子を語る映像や書き物があります。その悲惨極まりない状況は現実にあったこととは思われません。

当ブログも戦後70年を生きてきて、初めて知ることが多く、胸が締め付けられる思いでした。残留孤児の皆さんには末永い幸せを祈るのみです。

こういう人たちがいることを決して忘れないようにしたいと共に、「望郷の鐘」の中国残留孤児の父 山本慈昭さんには、ただ頭が下がるのみです。

残留孤児と肉親などとの再会は昭和48年~昭和55年の8年間で実に177組も実現いたしました。

※ 「望郷の鐘」は出版(しなのき書房)され、映画化されています。 

追記

5月31日の中日新聞朝刊に、偶然、満蒙開拓団の記事がありました。

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