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2015年6月

2015年6月25日 (木)

愛知県民の森(戦後の頃の掃除)

愛知県民の森を東尾根展望台まで歩いて来ました。前のときは不動沢を登ったので、今日は中尾根を登り、赤木沢を下りました。

Aitikenminnakaone

遊歩道から運動広場横の道を行くと、中尾根の登山道に入ります。上部は岩の道もあり変化に富んでいます。駐車場から1時間半で東尾根展望台に着きました。

Dsc07945東尾根展望台

東屋があり、景色を見ながらくつろげます。

Dsc07947東尾根展望台よりの眺め

帰りは来た道を戻り、分岐を赤木沢の方に下りました。遊歩道に出て、駐車場に戻りました。合計2時間半の歩きでした。

戦後の頃の普段の掃除について書きます。

掃除は当ブログもときどき手伝いました。女の人は、先ず姉さんかぶりをし、はたきで障子の桟や鴨居などの埃を払い落します。

昔の家は障子が多かったので、はたきはよく使いました。はたきは薄い生地のぼろ布で、色とりどりのはたきが簡単に作れました。今でもすぐ作ることが出来ます。

  • 「はたき」の画像検索結果
  • はたき  ネットで拝借しました

    次に掃き掃除です。柄の長い畳箒でした。柄の長いほうが掃きやすいようです。塵取りで溜まったごみやほこりを取ります。

    次はふき掃除です。雑巾は使い古した布でたくさん作ってありました。何回も使った雑巾の方が手に馴染みます。バケツの水で何回か洗い絞り、廊下、階段、柱など拭きました。

    これを毎日続けていると木は黒光りしてくるようになります。雑巾がけの後は家が清々しくなりました。

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    2015年6月17日 (水)

    東山(戦後の頃の洗濯)

    二川の東山に行って来ました。葦毛湿原より行きました。葦毛湿原はノハナショウブが咲いています。

    Higasiyama_sasayuri

    P6110058ノハナショウブ

    尾根道に出ると、ササユリがたくさん咲いていました。もう遅いかと思いましたが、蕾もありました。

    P6110061ササユリ

    約1時間で頂上に着きました。浜名湖や太平洋が見えます。涼風が心地よく感じました。

    戦後の頃の洗濯の話を書きます。。

    洗濯は、母親や祖母が行っていました。井戸の傍に盥を据え、釣瓶で水を汲みます。

    洗濯板には荒い刻みと細かい刻みが裏表についており、それぞれ使い分けていました。

    盥と洗濯板 ネットで拝借しました

    石鹸は大きい固形の石鹸でした。しかし戦争直後のときは石鹸も無かったので、母親が作っていました。

    苛性ソーダと米糠を混ぜて固まらせた、ただそれだけのものであったようです。無いよりましといった程度かもしれません。

    夏のとき、「大変だね」と祖母に言ったら「保養だよ」と言って、洗濯を楽しんでいるようでした。井戸の水が冷えていて、涼みにもなったようです。逆に冬は大変だったと思います。湯での洗濯は見たことがありません。

    洗い張りもよく行われていました。昔は、着物を自宅でほどき、洗っていました。 張り板と呼ばれる幅40cm、長さ2mほどの板にのりをつけて張って乾かします。

    まっさらの張り板.jpg張り板 ネットで拝借しました

    洗った着物は再び同じ形に戻されました。着物を解き、洗って、張って、再び縫うということが行われていました。我が家でも母や祖母が行っていました。

    反物を干すのに伸子針(しんしばり)と呼ばれるものありました。伸子は、長さ40cmほどの竹ひごの両端に2mm程度の長さの細い針がつけられたものです。伸子張りと書くかもしれません。

    伸子の両端の針を布の両縁にさして弓なりに張り、しわを伸ばしました。当時は当ブログの家では行いませんでしたが、洗濯屋などでは使われていました。

    「伸子針」の画像検索結果
    伸子針  ネットで拝借しました
    昔の人は、家族も多く手間の掛かる洗濯を、よくぞ行って来たと感心致します。

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    2015年6月11日 (木)

    座談山(戦後の頃の家畜)

    ササユリを見に久し振りに座談山に行って来ました。

    Zadanyamasasayuri

    葦毛湿原を通って行きます。葦毛湿原も花が移り変わっています。トキソウは終わりですが、やっと一輪咲いていました。

    Dsc08524トキソウ

    バイケイソウも盛りを過ぎていました。

    P6100048バイケイソウ

    今はカキランとノハナショウブがよく咲いていました。

    P6100044カキラン

    P6110056ノハナショウブ

    P6110057_2ノハナショウブ


    ノハナショウブはこれからも見られると思います。登山道を尾根まで出ると、ササユリがたくさん咲いていました。

    P6110063登山道に咲くササユリ

    P6110064ササユリ

    入梅となり、天気は良くありません。頂上からは浜名湖が霞んで見えています。下りは雨も降り始めました。

    P6110062頂上から浜名湖

    別の話を書きます。

    戦後の頃は、肉や卵はなかなか手に入りませんでした。多くの家が鶏や兎を飼っていました。我が家でも飼っていました。

    鶏を飼う場所は、縁側の床下で、金網や木などで仕切りや入口を作りました。我が家も床下で飼っていましたが、後には小屋を作りました。

    エサはふすま(麦の表皮)、菜っ葉、貝殻、水などで、餌やりは主に子供の仕事でした。ときに庭に放つと、虫やミミズなど捕っていました。

    卵を産んだときはうれしかったです。いつも産むわけではなく、見に行っても無いことが多くありました。

    兎も飼っていました。リンゴ箱程度の箱に入口を着け、金網で前を覆っただけです。兎のエサは菜っ葉、クローバー、芋の葉、雑草などでした。

    兎は何の為に飼ったのかというと、それは食肉用です。毛皮も子供用の襟巻などにしました。飼っていれば愛着はあり、愛玩用でもありました。

    ヤギを飼っている家もありました。ヤギは乳を得るためです。当時は牛乳は貴重で飲めませんでした。

    お隣の家が飼っており、一度頂いたことがありますが、乳が飲めるということに感激いたしました。飲んだことがなかったので、大変うれしかったことを覚えています。

    農家では牛を飼っていました。牛を農作業に使うためです。馬を飼っている家もありました。

    牛・馬は車を引き、運搬にも使われました。

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    2015年6月 8日 (月)

    はままつフラワーパークしょうぶ園

    浜松フラワーパークにしょうぶを見に行って来ました。今年は土改良の関係で花の咲きがよくないということです。

    P6080028しょうぶ1

    P6080016しょうぶ2

    動画にアップしました。

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    2015年6月 6日 (土)

    高城砦、五葉の五滝

    大原調整池(五葉湖)のササユリを見ながら、高城砦、五葉城址、五葉の五滝に行って来ました。

    Ooharagotaki

    ゲート登山口に車を置き、林道を歩きます。林道にはそこかしこにササユリが咲いています。

    P6060002ササユリ

    林道を50分歩き、登山道を高城砦に行きました。10分ほどで着きました。高城砦は山のピークにあり樹林の中で、印も何もありません。ここで引き返し、また林道に戻りました。

    林道を少し下ると五葉城址です。五葉城址は看板があるだけです。ササユリがあちこち咲いています。

    P6060009ササユリ咲く五葉城址

    さらに下ると、五葉の五滝への分岐があり、まだ歩いたことがなかったのでこの道に入りました。

    P6060014五滝への分岐案内板

    堰堤へ出ました。ここで道がわかりにくかったのですが、さらに下って行くと、滝の音が聞こえてきました。しかし滝は見えません。

    あとは沢沿いの道なのですが、雑木に覆われ滝はよく分かりません。沢や滝の音はよく聞こえ、沢も見えています。

    堰堤が5つほど造られており、ところどころ道が途絶えて、探しながらの歩きです。途中「五の滝」の表示板がありましたが、滝は見えません。

    結局五つの滝とも見えませんでした。

    P6060024五の滝表示板

    道はかなり荒れています。とにかく下って行くと、湖岸の清滝不動の所に出ました。そこには案内板がありました。

    P6060027五葉の五滝」の案内板

    P6060029五滝の写真

    車から離れた所に出たので、舗装道路を歩き戻りました。合計2時間30分の歩きでした。ササユリもよく咲いていました。

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    2015年6月 5日 (金)

    吉祥山(戦後の頃の食卓)

    5月23日に吉祥山に行ったとき、ササユリはまだ咲き掛けでした。今が一番盛りだと思い、同じコースを歩いてみました。

    よく咲いていました。時期はちょうどよいのですが、以前に比べれば減っています。反射板のある柵の中はよく咲いていました。

    P6050007ササユリ1

    P6050004ササユリ2

    近くの賀茂しょうぶ園にも寄ってみました。こちらも今が盛りで賑わっていました。

    P6050035しょうぶ園1

    P6050024しょうぶ園2

    動画にアップしました。

    別の話を書きます。

    戦中戦後の頃、我が家は6人家族でした。食事は家族揃って食べました。食卓は長方形のちゃぶ台でした。我が家ではちゃぶ台を飯台(はんだい)と呼んでいました。

    飯台は座る場所が下図のように決まっていました。

    Chabudai


    部屋は縁側沿いの居間でした。縁側から炊事場につながっているので、母は炊事場に近いところに座り、給仕をしました。

    朝や昼は勤めや学校があるので、何時も揃ってはいませんでしたが、夕飯はそろって食べました。正座していたように思います。

    冬にはお櫃は、ふた付きの藁櫃(わらびつ)に入れ、冷めないようにしました。

    藁櫃  ネットで拝借しました

    食べ物は、今での食べ物と比較になりません。食事中はあまりしゃべることもなく、黙々と食べたように思います。昔はそんな風でした。

    ちゃぶ台も中学生頃には円形となりました。

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    2015年6月 2日 (火)

    富幕山(戦後の買物容器)

    富幕山の登山口は6ケ所ほどありますが、今日はササユリを見るために播教寺跡登山口から登りました。いつもは奥山高原登山口から登ります。

    ここからは20分ほどで頂上に着きます。帰りは林道を下りました。

    P6020003登山道

    ササユリはこの一帯で見られたのですが、一周する間に2本しか見られませんでした。この辺の山は昔から来ていますが、以前は一面に咲いていました。

    P6020007ササユリ

    どこもササユリが減ってゆきます。

    戦後の頃の話を書きます。買い物のときの容器についてです。戦後は物のない時代でしたから、使い捨てということはほとんどありませんでした。

    醤油・・・一升瓶を持って行き、量り売りしてもらった。

    みそ・・・薄板にとり、新聞紙に包んでもらった。

    豆腐・・・鍋を持って行った。

    卵・・・たくさんになると籾殻を敷いた容器に入れてもらった。

    野菜や日用品など・・・買い物かごを持って行った。

    風呂敷,買い物カゴ,恥,包み方,エコバッグ代わり,ピクニック,昔買い物かご  ネットで拝借しました

    衣類、弁当、文房具など・・・風呂敷に包んだ。

    特に、新聞紙と風呂敷は多く利用されました。風呂敷はどんなものでも包めました。

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