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2015年6月11日 (木)

座談山(戦後の頃の家畜)

ササユリを見に久し振りに座談山に行って来ました。

Zadanyamasasayuri

葦毛湿原を通って行きます。葦毛湿原も花が移り変わっています。トキソウは終わりですが、やっと一輪咲いていました。

Dsc08524トキソウ

バイケイソウも盛りを過ぎていました。

P6100048バイケイソウ

今はカキランとノハナショウブがよく咲いていました。

P6100044カキラン

P6110056ノハナショウブ

P6110057_2ノハナショウブ


ノハナショウブはこれからも見られると思います。登山道を尾根まで出ると、ササユリがたくさん咲いていました。

P6110063登山道に咲くササユリ

P6110064ササユリ

入梅となり、天気は良くありません。頂上からは浜名湖が霞んで見えています。下りは雨も降り始めました。

P6110062頂上から浜名湖

別の話を書きます。

戦後の頃は、肉や卵はなかなか手に入りませんでした。多くの家が鶏や兎を飼っていました。我が家でも飼っていました。

鶏を飼う場所は、縁側の床下で、金網や木などで仕切りや入口を作りました。我が家も床下で飼っていましたが、後には小屋を作りました。

エサはふすま(麦の表皮)、菜っ葉、貝殻、水などで、餌やりは主に子供の仕事でした。ときに庭に放つと、虫やミミズなど捕っていました。

卵を産んだときはうれしかったです。いつも産むわけではなく、見に行っても無いことが多くありました。

兎も飼っていました。リンゴ箱程度の箱に入口を着け、金網で前を覆っただけです。兎のエサは菜っ葉、クローバー、芋の葉、雑草などでした。

兎は何の為に飼ったのかというと、それは食肉用です。毛皮も子供用の襟巻などにしました。飼っていれば愛着はあり、愛玩用でもありました。

ヤギを飼っている家もありました。ヤギは乳を得るためです。当時は牛乳は貴重で飲めませんでした。

お隣の家が飼っており、一度頂いたことがありますが、乳が飲めるということに感激いたしました。飲んだことがなかったので、大変うれしかったことを覚えています。

農家では牛を飼っていました。牛を農作業に使うためです。馬を飼っている家もありました。

牛・馬は車を引き、運搬にも使われました。

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