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2015年8月10日 (月)

座談山(戦後の頃の煮炊き)

しばらく振りに近くの座談山(ざだやま)を歩いて来ました。

Zadayam810
立秋は過ぎましたが、暑い日が続いています。葦毛湿原より登ります。葦毛湿原はサギソウ、ミズギク、ミズギボウシなど咲いています。

Dsc08629サギソウ

Dsc08624ミズギク

ヒグラシやツクツクホウシの鳴く道を行くと稜線に出ました。、ときどき当たる風が何とも言えない心地でした。

頂上は霞んでいて富士山は見えるどころではありません。

Dsc08619頂上より

ここで引き返しました。こんな暑いときですが3人に逢いました。

別の話を書きます。

戦後の頃は、煮炊きは釜土でした。釜土で、釜、鍋、焙烙(ほうろく)、蒸し器など使いました。今ではどれもすっかり見かけなくなりました。

釜の蓋は圧力が掛かるよう、木の厚い.蓋でした。ご飯を炊くだけでなく、蒸したりするときにも使いました。

鍋はなべづるの付いた鍋でした。鉄で出来ています。味噌汁や汁物を作るとき使いました。

「鍋 かまど」の画像検索結果
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鍋 ネットで拝借しました

 

焙烙は豆、ゴマ、麦など煎ったりするときに使います。平たく直径30cmほどで釜土の上に乗る大きさです。素焼きで出来ています。
焙烙  ネットで拝借しました
蒸し器は水を入れた釜の上に置き、その蒸気で蒸します。
釜土の燃料を確保するのが大変です。以前に書いたご(松の葉)もよく集めに行きました。
製材屋にも切れ端を買いにリヤカーで行きました。マキ割は日常の仕事でした。

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