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2015年9月

2015年9月24日 (木)

蓼科山

今年の夏は都合でアルプスなどの高い山には行けませんでした。1山は登りたいと思っていたので、登り易い蓼科山に行って来ました。
Tatesinayama2
 
登山口は最も近い七合目登山口です。昔、蓼科山には登ったことがありますが、そのときは女神茶屋から登りました。
朝4時半に家を出、8時半に登山口に着きました。シルバーウィークも昨日で終わり、広い駐車場は車はなく、登山口前の駐車場に14・5台ほどだけでした。
あいにく今日の天気は曇りです。山の見えることはあきらめて来ました。
百名山で登り易い山なので、夏や休日はかなり混んだようです。
鳥居をくぐって行きます。白樺や唐松の緩いササ道を行くと、10分ほどで「馬返し」に着きます。広場になっているわけでもなく、見逃しそうです。
Dsc08718 登山口鳥居
Dsc08762 馬返し表示板
馬返しからは登りもきつくなってゆきます。紅葉も見られます。さらに35分ほどで「天狗の露地」に着きました。
すぐ横に展望の良い広場があります。
あきらめていた山が見えました。槍、穂高、乗鞍など雲海の上に見えました。女神湖も見えましたが、雲ですぐに見えなくなりました。
P9240009 槍、穂高の山々
P9240004 雲海に浮かぶ美ヶ原 鉄塔が見える
P9240002 乗鞍岳(中央)、手前は霧ヶ峰車山
槍ヶ岳や穂高が見えたのはこのときだけでした。
天狗の露地から丸太と石のザンゲ坂を登ると40分ほどで「将軍平」に着きました。ここには山小屋「蓼科莊」があります。
Dsc08735 蓼科莊前から蓼科山
ここからは難所となります。大きな石の急斜面を登ります。やがて 「蓼科山頂ヒュッテ」に着きました。脇を進むと山頂です。雲海の上に素晴らしい展望が開けています。
特に八ヶ岳が眼前に形よく見えます。頂上は岩塊の平地となっています。蓼科神社奥宮もあります
頂上までは標準時間より10分多い2時間10分で着くことが出来ました。
Dsc08748 頂上標識 後ろは中央アルプス
Dsc08753 蓼科神社奥宮
 
Dsc08750 頂上より八ヶ岳
雲海が素晴らしく、その上に山が浮かんでいます。
Dsc08754 雲海に浮かぶ南アルプス
Dsc08755 岩塊の向こうに御嶽山(中央)、乗鞍山(右の奥)
たいへん寒い頂上です。ウィンドブレーカーや手袋は持って行きましたが、耳当てが要ります。寒くて長く居れず、山頂台地は一周しませんでした。
帰りも来た道を戻りましたが、大きな石の急斜面は慎重を要します。
多くの登山者が続々と上がってきます。ロープウェイで来ている人がかなり多いようです。
下りは途中で雨も降ってきました。1時半に登山口に戻りました。
帰路は和田峠を通り、家には6時半に着きました。
動画をUPしました。
 
 

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2015年9月22日 (火)

彼岸花

ヒガンバナは今の季節、田んぼの畔、土手、道端どこにでも咲いています。
秋の彼岸になると必ず咲きます。その年が暑かろうが、寒かろうが、彼岸を違えずに咲くこの花はほんとに忠実な花です。
しっかりと季節を伝えてくれます。あまりよいイメージで捉えられていない花ですが、しみじみと季節を感じさせてくれる花です。
自然に群れて咲いているところを3ケ所訪ねてみました。
先ず新城市日吉地区を訪ねました。ここは県道69号別所街道と呼ばれる道際にあり、道からもよく見えます。田んぼの畔や土手に一面に咲いています。
P9220009_2 土手一面に咲く
P9220024_2 のどかな里に咲く
P9220035_2 実りの秋に咲く
次に新城市上吉田を訪ねました。道の駅三河三石の近くで旧国道を入ったところにあります。ここは場所も狭いので、あまり観光化されていません。
誰も居ませんでしたが、ヒガンバナは斜面に蜜に咲いています。
 
Simoyosidahigannbana2
P9220049 斜面に咲く
P9220038 真っ赤に咲く
後ろには半鐘と高速道路 が見え、のどかな里と近代化の新旧両方が見えます。
P9220045 半鐘と高速道路とヒガンバナ
次は竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)に行きました。ここはヒガンバナは多くありません。しかし、斜面の上の方まで咲いています。今日はシルバーウィークの最中、大変な混みようでした。
P9220062 竜ヶ岩洞の斜面に咲く
のどかな里の景色を楽しむことが出来ました。
動画をUPしました。

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2015年9月19日 (土)

大知波峠

空が青く晴れ渡り、富士山も見えるのではないかと多米峠からのピークを歩いて来ました。
多米峠から豊橋自然歩道を大知波峠廃寺跡まで行き、引き返して途中から赤岩尾根に入り、多米峠まで戻ってきました。
Akaiwatame2
多米峠トンネル手前に駐車場があり、少しトンネル側に進んだところが登山口です。
P9190048 登山口
20分ほどで多米峠に着きます。展望はありません。
P9190051 多米峠
ここを本坂峠側に向かいます。ピークをいくつか超えて行きますが、展望はあまりよくありません。太平洋や三河湾が僅かに見える程度です。
P9190053 ピークからの眺め
赤岩尾根分岐、石巻山分岐を経て大知波峠の廃寺跡に着きました。ここまで1時間30分でした。富士山方向は雲があり見えませんでした。
P9190059 赤岩尾根分岐付近からの浜名湖
P9190068 赤岩尾根分岐付近から富士見岩(右)
P9190064 大知波峠
ここから戻り、赤岩尾根分岐を赤岩尾根に入ります。赤岩尾根を35分ほど歩くと林道に出合います。この林道を45分ほど歩いて多米峠の駐車場まで戻りました。
P9190054 赤岩尾根分岐
秋の花 萩など咲いていました。林道では栗が落ちていました。小さな栗が僅かですが拾えました。栗のイガはよく落ちていますが実はなかなか拾えません。
P9190074
Dsc08716
3時間20分ほどの歩きでした。

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2015年9月12日 (土)

富幕山(戦中戦後の頃の話終了)

静岡県引佐町奥山の富幕山に花を見に行って来ました。午後2時頃でしたが思いのほか多くの人が登っていました。

登山道のそこかしこに花が見られます。今は何と言ってもマツムシソウです。ほぼ頂上までどこにも咲いています。

Dsc07702 マツムシソウ

ナンバンギセルが咲いていました。これは寄生植物で葉がなく、ススキやミョウガの根に寄生します。

Dsc08709 ナンバンギセル

淡紫のギボウシや黄色のキンミズヒキも見られます。

Dsc08710 ギボウシ

Dsc08714 キンミズヒキ

頂上へは45分ほどで着きました。頂上には橙色のヒオウギが咲いていました。

Dsc08712 ヒオウギ

その他にもワレモコウ、オミナエシ、アザミなど咲いていました。

霞んでいて富士山は見えませんでした。

 

戦中戦後の頃の話を里山に付け足して書いて来ましたが、終了いたします。合計41回書きました。

書き始めたのは、内容が同じ山ばかりで、あまりにも単調なため、変化を持たせようと思って書き始めました。

山に行くと昔の想い出が蘇ります。最初書いたブログは、松葉の積もっているのを見て、松の落ち葉をかき集めに行ったことを思い書きました。

始めは山に関係したことを書こうと思っていましたが、戦中戦後のことを主眼にして書くことにしました。

当ブログは戦争の始まったときは1歳5ケ月、戦争の終わったときは5歳1ケ月でした。終戦近くのことは記憶に残っています。

当ブログの家は田舎町でしたので、空襲はうけてはおりませんが、戦中戦後を経験したものとして、そのことを書いておくことは意味あることと思いました。

食べ物の内容が多いですが、当ブログは物が一番不足した時代が成長期でしたので、「もったない」と言う気が働きます。

しかし今は物があふれているので、家具や本など、時代に適応し、処分した方が良いようです。今は気持ちを切り替えて、使わないものはなるべく処分しています。

しかし食物は別です。釣った魚や残り物は必ず食べるようにしています。食べ物を捨てるということは堪えられません。

このブログはそのときの思い付きで、間に合わせに書いたようなものもあるので、内容と言い、文章と言い、全く貧弱なものとなってしまいました。

今まで書いた41話をまとめておきます。                                                                                

                                                                                                                                                                                                                                                           
番号 内容 年月日
1 ごうかき 2014年12月19日
2 メジロ捕り 2014年12月27日
3 植林 2014年12月28日
4 シダ採り 2015年1月7日
5 松脂(まつやに) 2015年1月12日
6 門松 2015年1月18日
7 戦後の頃の遊び 2015年1月20日
8 戦争体験 2015年1月31日
9 戦後食料 2015年2月6日
10 戦後の物売り 2015年2月9日
11 戦後の店 2015年2月12日
12 航空灯台 2015年2月27日
13 戦中戦後供出 2015年3月10日
14 馬力屋 2015年3月17日
15 トンコ船 2015年3月20日
16 渡し船 2015年3月21日
17 行水 2015年3月22日
18 銭湯 2015年3月23日
19 戦後の履物 2015年3月24日
20 箱膳 2015年3月27日
21 戦中戦後の暖房 2015年4月9日
22 戦中戦後田んぼ 2015年4月11日
23 ふんどし 2015年4月18日
24 大掃除 2015年4月21日
25 戦中戦後のごちそう 2015年4月22日
26 戦中戦後 水 2015年4月29日
27 戦後の冷房 2015年5月2日
28 端午の節句 2015年5月6日
29 七夕まつり 2015年5月12日
30 戦後の頃のゴミ 2015年5月13日
31 バリカン 2015年5月23日
32 ホタル 2015年5月26日
33 戦後の買物容器 2015年6月2日
34 戦後の頃の食卓 2015年6月5日
35 戦後の頃の家畜 2015年6月11日
36 戦後の頃の洗濯 2015年6月17日
37 戦後の頃の掃除 2015年6月25日
38 戦後の頃の煮炊き 2015年8月10日
39 戦後の頃の自然食物 2015年8月22日
40 夏祭り 2015年8月31日
41 戦後の頃の乗り物 2015年9月12日

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2015年9月11日 (金)

蛇峠山

長野県浪合村治部坂高原スキー場のコスモスを見がてら、蛇峠山(じゃとうげやま)に行って来ました。馬の背展望台まで車で入ったので、楽な山歩きです。
Jatougeyama
国道153号線の治部坂峠で別荘地のある舗装された林道に入ります。道なりに上がって行くと、ゲートのある馬の背展望台に着きます。
ここが登山口となります。展望台は白樺があり、ススキがなびき、南アルプスや中央アルプスが見えます。しかし今日は雲があり見えません。
Dsc08690 馬の背展望台
Dsc08692 南アルプス方向
蛇峠山に向かいます。登山道と林道とありますが、 登山道を行きました。マツムシソウがよく咲いています。
P9110005 マツムシソウ
他にコオニユリ、リンドウ、ウメバチソウ、ツリガネニンジンなど咲いています。
Dsc08682コオニユリ
P9110028リンドウ
Dsc08684 ツリガネニンジン
P9110029 ウメバチソウ
 
40分歩き、アンテナの林立する狼煙台跡に着きました。ここに武田信玄が狼煙場を設けた所です。展望は良いのですが、南アルプス、中央アルプスなど雲があって見えません。大川入山が形よく見えます。
Dsc08685 アンテナ群
P9110022 大川入山
もう紅葉している木もあります。
P9110020 紅葉している木
蛇峠山はさらに10分ほど先です。しかし行くことを止めました。ササの藪道で、木が繁ってきていて展望はよくないようです。  
 
下りは林道を降り、車まで戻りました。
この後、治部坂高原スキー場のコスモスやオミナエシを見て帰りました。
P9110042 コスモス
P9110036 オミナエシ
動画 蛇峠山 治部坂高原コスモスにUPしました。
 
 
 

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2015年9月10日 (木)

富士見岩(戦後の頃の乗り物)

台風18号は豊橋付近に上陸し、大した被害もなく過ぎ去りました。台風一過、朝は青空となりましたが、その後は雲も出て来ました。

しかし富士山が見えるかもしれないと思って、富士見岩に行って来ました。おちば公園登山口から登り、左回りに一周しました。

Fujimiiwaootibatouge

富士見岩までは1時間10分、山裾には雲がかなりあり、富士山が見えるどころではありませんでした。浜名湖や山並みを見て楽しみました。

P9100007_2 富士見岩頂上

P9100005_2 浜名湖

P9100006_2 頂上から 明神山(左)、富幕山(右)

下りは大知波峠を通り戻りました。2時間30分の歩きでした。

別の話を書きます。

戦後の頃は自動車はまだほとんどありません。燃料も乏しく、自動車は木炭車でした。バスもトラックも木炭車でした。

運搬は主に馬車や牛車でした。家庭では自転車とかリヤカーとか乳母車でしたが、自転車やリヤカーがある家はわずかでした。

終戦の昭和20年頃のわが町は鉄道が通っていました。その頃は蒸気機関車です。客は煙が入ってくるのを防ぐためトンネルに入る度に窓を閉めました。

昭和35年から動力近代化が行われ、わが町を走っていた蒸気機関車もディーゼルカーに変わって行きました。

また戦中戦後は、浜名湖には汽船があり、主要な港を結んでいました。これも交通の発達とともに利用が少なくなり、今は観光船として運航されている程度です

戦中戦後の頃は家庭では和船を持っている家も多く、運搬や釣りに使われていました。当ブログは今も魯で和船を漕ぐことが出来ます。

「和船」の画像検索結果和船  ネットで拝借しました

道路は車がほとんど通らないので遊び場でした。また、夕涼みの場でもありました。道路は舗装してあるところなどありませんでした。車が通った後はもうもうと砂埃が舞い上がりました。

雨が降れば泥水が家の戸に跳ね掛かりました。当時は障子戸の家も多く、すぐに張替えねばなりませんでした。

今のように道路は山道までも舗装され、車で溢れ返る世の中になるとはだれが想像したでしょうか。

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