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2015年12月19日 (土)

猪鼻湖一周(麻山事件)

浜名湖の北にある猪鼻湖を自転車で一周して来ました。自転車は折り畳み式で楽に車に積めます。瀬戸から左回りにサイクリングロードを行きました。

Inohanakojitensha

天気はよいですが、風があり、風に向かっているときは力が要ります。左に湖面を見ながら行くと松の並木があります。ここら辺りはたいへん景色の良いところです。

Dsc09127 松並木の道

やがて東急リゾートに出ます。リゾートの中は道がわかりにくいですが、道に案内が書いてあるのでそのように行けば、またサイクリングロードに出ます。
猪鼻湖の北の方に出ると、湖面に鴨が浮いています。しかし、今年は鴨の数が少ないようです。どうしたのでしょう。

Dsc09131

出発してきた瀬戸が遠くなりました。ここまで50分ほどです。

Dsc09130 出発点の瀬戸方向を見る

一周して元に所に戻ってきました。時間は1時間50分ほどでした。距離は14kmです。サイクリングロードと歩道があるので、走りやすくなっています。

満蒙開拓団に関することを書きます。
 5月28日5月29日に「満蒙開拓平和記念館」を見学したことを書きましたが、関連する内容です。
 満蒙開拓団の人たちは苦労の限りをし尽しました。その中の1つに「麻山(まさん)事件」があります。
 この麻山事件は北海道哈達河(ハタホ)開拓団421人が、満州国麻山で集団自決した事件です。
 終戦1週間前の8月9日に、満州国境を侵攻してきたソ連軍に追い詰められた哈達河開拓団は、鉄道も使えず、徒歩で80km先の内陸の街を目指して避難を開始しました。
 当時開拓団の壮年男子は徴兵され、女性や子供がほとんどでした。8月12日、麻山という集落に来たとき、前後をソ連軍に挟まれ、頼みの日本軍からも見捨てられた状態にありました。
 わずかに残った老人や少年が銃で介錯をし、玉砕しました。この状況はわずかに生き残った開拓団員や、翌日足を踏み入れた元日本軍兵士によって明らかにされています。
 生き残った開拓団の一人(当時8歳)は「母親、兄2人、妹2人を失い、もう1人の妹と共に中国人に発見され、養育された。」「私も妹も恐怖で死んだふりのまま動けず、最初はお互いのことを死んだと思っていた」と言うことです。昭和53年に復員船で帰国しました。
 足を踏み入れた元日本軍兵士は「夜明けの麻山中腹に、日本のある東の方角に頭を向けて倒れた哈達河開拓団の無残な姿があった。女性と子供の遺体ばかりだった。」「のちにシベリアに抑留され、3年間過酷な生活を送った」ということです。
 当ブログは、この人たちと同年代で身につまされます。胸が締め付けられる思いがします。この人たちに幸せが訪れない筈はありません。
 この麻山事件についてはテレビ、新聞、書籍、ネットなどで報道されています。

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