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2015年12月24日 (木)

座談山(三船殉難事件)

明け方まで降っていた雨も止み、青空が広がっています。この天気なら富士山が見えるだろうと、座談山(ざだやま)に行って来ました。
Zadanyama271

 

まだ木から滴の落ちる道を歩いて、尾根道に出ました。豊橋市街地の向こうに太平洋が広がっています。

Dsc09137 市街地の向こうに太平洋

座談山へ着きました。素晴らしい富士山が見えました。麓の方まで雪があります。里山からこのように富士山がはっきり見えたのは夏以降初めてです。これからはよく見えるようになると思います。

Dsc09142 座談山から富士山

1時間50分ほどの歩きでした。

 

別の話を書きます。
終戦のとき、北海道留萌沖の海上で起きた三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)です。三船殉難事件とは、引揚者を乗せた引揚船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)が潜水艦の攻撃を受け、1,700名以上が犠牲となった事件を言います。

戦争も終わった1945年8月22日、北海道留萌沖の海上で、樺太からの婦女子を主体とする 引揚者を乗せた引揚船が、ソ連軍によるものと見られる国籍不明の潜水艦からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没、第二号新興丸は大破して、多大の犠牲者を出した事件です。

小笠原丸(1,404トン)は1945年(昭和20年)8月20日、引揚者1,500名ほどを乗せて樺太・大泊から北海道・稚内に向かいました。そのうち900名は稚内で下船、600名の乗客と約100名の船員・軍人は小樽に向かいました。その途中の8月22日、増毛沖の海上で国籍不明の潜水艦の雷撃を受け撃沈しました。乗員乗客638名が死亡し、生存者は61名でした。

第二号新興丸(2,700トン)も樺太・大泊からの引揚者約3,400名を乗せ小樽へ向っていましたが、8月22日留萌沖の海上で、国籍不明の潜水艦からの魚雷をうけ、229名が死亡し、171名が行方不明となりました。

泰東丸(880トン)も8月22日、同様に樺太・大泊からの引揚者を乗せて小樽へ向かっていましたが、留萌沖海上で、国籍不明の潜水艦の砲撃を受け、沈没しました。乗員乗客約780名中、667名が死亡しました。

戦争も終結してからの事件です。何とも痛ましくてやり切れません。

北海道稚内市稚内公園に行ったとき、下の写真のような碑がありました。これは「氷雪の門」と言い、戦争と限らずに、樺太で亡くなった全ての日本人を対象とした慰霊碑です。

Photo 氷雪の門

樺太の南半分は1905年から1945年まで日本の領土でした。今ではそんなに自由に行けるわけではありません。

樺太に一番近いこの稚内の岬で、このように犠牲になった人たちが慰霊をされています。安らかであることを願わずにはいられません。

 

 

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