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2016年1月21日 (木)

富士見岩(ひめゆりの塔)

今日は大寒です。1年で1番寒いときに里山を歩いてみたいという思いがあります。
おちば公園より富士山の見える富士見岩に行きました。

Fujimiiwaoofuku

家を出るときは、気後れしますが、歩くと身が引き締まり爽快です。所々昨日の雪が残っています。

頂上に着きました。麓まで雪をかぶった富士山が見えました。冬の山は富士山が見えるというご褒美があるので楽しみです。

P2010010 富士山

南アルプスも昨日の雪で真っ白です。

Dsc03859 南アルプス

来た道を戻りました。1時間50分ほどの歩きでした。

 
別の話を書きます。戦中戦後の事件・出来事を書いています。「ひめゆりの塔」についてです。当ブログも平成17年(2005年)に訪れています。

Photo ひめゆりの塔

沖縄県立第一高等女学校生徒(含師範学校)222人による「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所は、旧陸軍第3外科壕です。      

ここに部隊が移動した6月には医薬品や食糧も底をついていました。6月18日、突如軍より解散命令が下されました。この後、壕より脱出する直前に米軍のガス弾が打ち込まれ、学徒の多くが死亡しました。

ひめゆり部隊は学徒勤労動員令によって従軍していました。それを何の援護も無く、放り出されたのです。年端も行かぬ少女たちでした。こんな無責任なことがあってよいのでしょうか。

 「ひめゆりの塔」は、この壕の上に建てられています。壕の中は傾斜がきつく、この中で泥や雨、砲弾にさらされながら生活していたとは、想像を絶するものがあります。

 生き残った者も、さらに追い込まれ自決したりしました。「ひめゆり部隊」の犠牲者194人のうち、「解散」後の死者が128人であることが示す通り、軍の無責任さが多くの犠牲者を生んだといえます。

 塔の横には「ひめゆり平和記念資料館」があり、生き残った女性が貴重な証言を聞かせてくれます。沖縄戦の背景や日本政府が沖縄を「捨て石」にしたこと、戦争の悲惨さが分かりやすく展示されています。

このように犠牲になった部隊は「白梅部隊」などいくつかあります。「ひめゆりの塔」が有名になっていますが、他にも多くあったということは忘れないようにしたいと思います。

 

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