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2016年2月 5日 (金)

鳳来寺山(豊川海軍工廠)

鳳来寺山を歩いて来ました。鳳来寺山駐車場まで車で行き、山頂を往復しました。天気はよく、風も無いのでそれほど寒さは感じません。

Houraiji2

鳳来寺本堂から勝岳不動堂、六本杉を経て奥の院へ着きました。奥の院の建物は大分前から倒れてしまっています。ここからは参道がよく見えます。

Dsc09315 奥の院から参道を見る

奥の院から10分ほどで頂上に着きました。駐車場からは1時間でした。展望はありません。

Dsc09316 鳳来寺山頂上

来ている人は少なく、2人に逢っただけでした。

別の話を書きます。戦中戦後のことが自分の中で埋もれてしまわないように書いています。戦時中、当ブログの街の近くには、豊川海軍工廠(こうしょう)がありました。当時は東洋一の兵器工場と言われました。

工廠とは、軍隊直属の軍需工場のことで、武器・弾薬をはじめとする軍需品を開発・製造・修理などするための施設を言います。

豊川市海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和14年12月に開庁しました。機銃、弾丸、双眼鏡、射撃装置、艦船で使用する距離儀などを生産し、機銃の生産に関しては日本最大の規模でした。

最盛期にはおおよそ5万人以上が働いており、職員や工員以外に徴用工員や動員学徒のように強制的に動員された人々も多くいました。

工廠での仕事は、「産業戦士」と言われるように厳しくつらいもので、寄宿舎住まいの徴用工員や動員学徒などは、軍隊並みの規律正しい生活をしていました。

戦争末期の昭和20年8月7日、工廠は米軍爆撃機の空襲を受け、破壊されました。この空襲は、26分間に3,256発もの爆弾が落とされるという激しいもので、瞬時にして壊滅しました。

2,500名以上が犠牲となり、そのうち勤労動員の中学生・女学生・国民学校児童は447人に及びました。このように若い命までもあたら失われてしまいました。

 

                    (資料:豊川市観光協会HP)

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