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2016年7月19日 (火)

吉祥山(続々豊川海軍工廠)

梅雨も明け、真夏となりました。里山は冬に歩くにはよいですが、夏は頂上とて暑さは変わりません。それでも風があると何とも言えない心地です。

また近くの吉祥山に行って来ました。家から20分ほどです。小さな沢沿いに登るBコース登山口からです。Aコース登山口より5〜10分ほど早く着きます。

Kitijoubkosu

頂上へは45分で着きました。低い(382m)ながらも独立峰なので、周りがぐるっと見渡せます。残念ながら今日は雲もあり、風はありません。

Dsc00358 吉祥山頂上

Dsc00357 雲に霞む山

A,B,Cコースとも駐車場もあり、賑わう山ですが、今日は1人に逢っただけでした。1時間30分ほどの歩きでした。

ここからは豊川海軍工廠について書きます。豊川海軍工廠については3回目になります。1回目は概要を、2回目は工廠跡見学を書きました。今日は展示会です。

展示会は7月19日~8月31日まで豊川市桜ヶ丘ミュージアムで行われています。毎年夏のこの時期に開催しています。当ブログは初めての見学でした。

Dsc00359 桜ヶ丘ミュージアム玄関

Dsc00365案内板

1回目と重なりますが、豊川海軍工廠についてもう1度簡単に記します。

豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和14年に宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって開庁しました。双眼鏡や機銃などを生産し、日本最大の規模で、東洋一の兵器工場ともいわれました。

しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。

8月7日といえば、6日は広島に原爆、9日は長崎に原爆、その間の日ということになります。戦争も末期、敗戦も決定的なときでした。

既にアメリカ軍は昭和19年に、上空から豊川海軍工廠の写真撮影を行い、施設の構造などを分析して、空襲の計画を立案してきていました。

さて、展示会は、市民から提供された工廠関係の展示品、当時の写真、米軍機から撮影された空襲時の写真、DVD映像、説明パネル板などありました。

Dsc00366 海軍用地標柱

Dsc00371 守衛長の制服

Dsc00364 寄せ書き日章旗

他に爆弾の破片もありましたが、これを持ってみると、小さい破片なのに大変重いのです。破片断面も鋭く、これが当たれば、命が失われるでしょう。

豊川海軍工廠は、広大な敷地の周囲には堀が張り巡らされ、門の数は東西南北の4つだけで厳重でした。昭和13~14年に1年で造り上げました。Toyokawakaigun

豊川海軍工廠では5万人が働いていましたが、そのうち工員は1万人で、4万人は徴用工員でした。徴用工員は女子挺身隊、朝鮮人徴用工、動員学徒などでした。

現在、戦後生まれの人口が8割を超え、平和になった今の時代、かってこのような事があったことは、想像が出来なくなっているかもしれません。

当ブログは戦前戦後を知る最後の世代となりつつあります。なるべくその頃のことを書こうと思っています。

 

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