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2016年8月 8日 (月)

占守島の戦い

8月6日の中日新聞に次のような記事がありました。

『 激戦の占守島(しゅむしゅとう)遺骨、身元を初確認 上智大 学徒兵、9月遺族に

 日ソの部隊がそれぞれ少なくとも死者数百人を出した第2次大戦末期の激戦地、千島列島北東端、占守島(現ロシア領)で昨年夏に収集された遺骨の1柱が、北海道小樽市出身の井戸井重市さん 当時(23) だとDNA鑑定で確認された。厚生労働省が5日、遺族に伝えた。占守島の日本兵遺骨はこれまで43柱が収集されたが、身元特定は初。 』  と言う内容でした。

占守島は千島列島の先端、カムチャッカ半島のすぐ手前にあります。

千島列島における位置赤いところが占守島

さて、占守島の戦いとはどんな戦いだったのでしょうか。

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)8月18日〜 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連軍と日本軍との間の戦闘です。

ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が終戦(8月15日)した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い、武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となりました。

戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除されました。捕虜となった日本兵は、その後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリア抑留されました。(Wikipediaより
占守島には日本人約25,000人が暮らしており、ニチロの缶詰工場もありました。
戦闘は日本軍優勢に進み、ソ連軍の北海道への侵攻を妨げることとなりました。もしソ連軍が北海道へ侵攻しておれば、ドイツや朝鮮半島のように、北海道が米ソによる分割統治になるという事態になっていたかも知れません。
 
その後、日本の固有領土である北方領土については、ソ連軍は
1945年8月28日、   択捉(エトロフ)島を占領。
同9月1日、       国後(クナシリ)島・歯舞群(ハボマイ)島を占領。
同9月5日、       色丹(シコタン)島を占領。
北方四島は今だ日本には還ってきておりません。
 

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