« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月

2016年12月30日 (金)

富士見岩

湖西市おちば公園から富士見岩に行って来ました。今年の登り納めです。

Fujimiiwaootibatouge

左回りに一周しました。林道を過ぎてから1ケ所だけ鉄塔越しに富士見岩が見えるところがあります。岩の上に数人がいます。

Dsc01396 富士見岩

頂上に着きました。今日も富士山はその方向に雲があり見えません。南アルプスは鮮やかに見えました。

Dsc01400 南アルプス

富士見岩から大知波峠に向かいます。途中浜名湖がきれいに見えるところがあります。富士見岩から見るのとすこし違って見えます。鉄塔の入らない景色です。

Dsc01404_2 浜名湖・太平洋

富士見岩に来ている人、大知波峠に来ている人、湖西連峰を縦走している人など8人ほどに逢いました。

いよいよ今年も終わりです。皆さんよいお年を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月26日 (月)

大原調整池(続 対馬丸撃沈事件)

昨日、大原調整池の小径の中で、まだ歩いていなかった「展望の小径」を歩きに行きました。

Ooharachouseiikegoyou1

湖畔に車を置き、「展望の小径」に入ります。やや荒れた道を行きます。

Dsc01394 展望の小径案内板

やがて「健脚の小径」と出合います。そのまま湖畔に下りて行きました。樹間に大原調整池が見えます。すぐに下に着きました。

Dsc01393 大原調整池

40分の歩きでした。湖畔の道を一周している人が何人かいました。

 

ここから対馬丸撃沈事件の話となります。
当ブログは終戦のとき5歳1ケ月でした。戦争の記憶はわずかに残っています。戦争記憶のある最後の世代となりつつあり、戦争のことを少しでも書いておきたいという思いがあります。

今日の中日新聞に対馬丸撃沈事件についての記事がありました。対馬丸撃沈事件については1度書いています。

この事件は終戦の1年前の1944(昭和19)年8月22日に起きました。当時当ブログは4歳でしたからこの事件は知りません。また、このような不利な報道は戦争中にはあまり報道.されていなかったようです。

対馬丸撃沈事件とは、疎開学童ら1788名を乗せた対馬丸が、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、沈められた事件を言います。犠牲者数1482名です。

今日の新聞には対馬丸撃沈事件についてもう少し詳しく書いてありましたので紹介します。

1944(昭和19)年8月22日夜10時頃、対馬丸は鹿児島県トカラ列島悪石(あくせき)島沖で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、たった10分ほどで沈没しました。

この撃沈事件が大変悲劇であるのは、1482名の犠牲者の中、783名は学童でした。当ブログとほぼ同じ年代の人たちです。今日の新聞にも助かった人の話が載っていました。

対馬丸の船体は1997年12月に水深870mの海底で発見されましたが、引き揚げは断念され、遺品や遺影などを展示する対馬丸記念館が2004年に沖縄那覇市に開館しました。

ボーフィン号は真珠湾攻撃の1年後に進水した潜水艦で、対馬丸の他に日本の商船など44隻を沈めたとされています。

戦局はこの時点でも圧倒的に不利であったのに、戦争はなお1年続き、大多数の国民も日本の勝利を信じていたのはいったい何故でしょうか。

沖縄は最前線にあり、戦前・戦後とも犠牲になってくれました。その沖縄には報いなければなりません。

今月の22日に北部訓練場が返還されましたが、それでも日米軍専用施設・区域の70%が沖縄に集中しています。

学童たちの犠牲、沖縄の人たちの犠牲があって今があるということを片時も忘れないようにしたいと思います。沖縄は県民の4人に1人が戦没しました。

また、真珠湾には撃沈された戦艦アリゾナの上にアリゾナ記念館が立ち、近くには潜水艦ボーフィン号が繋留・展示されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月24日 (土)

座談山・神石山(里山100山)

葦毛湿原から座談山、神石山へ行って来ました。冬至も過ぎた穏やかな土曜日、駐車場はいっぱいの車です。

Zadayamakamiisi1

葦毛湿原を突き抜けて行きます。1時間ほどで座談山に着きました。雲をまとった富士山が見えました。

Dsc01388 座談山からの富士山

さらに30分ほどで神石山です。ちょうど昼で10人ほどの人が食事をしたり、寛いだりしていました。

Dsc01389 神石山頂上

下りは途中から別の道を通り降りました。

 

今日で里山登りが100山となりました。100山と言ってもサイクリングもあれば、15分で頂上という山もあります。

今76歳ですが、73歳くらいまでは登ったことのない山へ登りたいと思い、遠くの山へ行っておりました。しかしもう、ゆったりのんびり気楽に歩きたいと思うようになり、ほとんど里山ばかりとなりました。

山はその時の思い付きで決めます。家を出るときは億劫なときもありますが、登り始めると気分が乗ってきます。途中で引き返した山は1つもありませんでした。

里山はどちらかといえば冬に向いています。晴れた日は富士山や南アルプスが見え充足された気持ちになります。また寒風に耐えて歩くのも気分がよいものです。

同じ山に登っていても季節により変化があるので楽しめます。花が移り変り、若葉から紅葉と楽しめます。ときには蕨を採り、栗やアケビを拾います。

里山は気軽に歩けるのでそれほど準備が要りません。ザックはほとんど持って行きませんし、ペットボトルをポケットに突っ込んで、デジカメとタオルを持って行くくらいなものです。

特に100山登ろうと思ったのではありません。その時の気分に合わせて登っているうちに100山となりました。

ときどき書いて来ましたが、山について一つ願いがあります。頂上で木が繁ってきてしまっている山があります(富幕山、尉ケ峰など)。頂上に着いたとき、その景色に癒されます。

里山でも、富士山や南アルプス、浜名湖や太平洋などが見える山が多いのですが、木が繁ってきてせっかくの景観が見えなくなってきているのは惜しい気がします。

これからも山を愛し、山に感謝し、草刈りや整備してくれている人に思いを寄せ、山歩きを続けたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月21日 (水)

五葉城址

今日は冬至です。大原調整池(五葉の森)を歩いて来ました。「赤い実の小径」から登ります。

Ooharakomiti1 

 

Dsc01362 「赤い実の小径」の案内板

尾根道に着き、すぐに急登となります。登り始めて40分ほどでピークに着きました。かなり霞んでいますが富士山が見えました。

Dsc01367 ピークからの富士山

さらに20分ほどで五葉城址に着きました。五葉城址は木が切られ、180度の展望が開けています。富士山や南アルプスも見えます。

Dsc01375 五葉城址 南アルプスが見えている

五葉城址をそのまま進むと林道に出ます。しばらく林道を歩き、途中から「健脚の小径」に入りました。湖畔に向かって下りて行きます。湖岸道路に出ました。案内板が新しくなっていました。

Dsc01379 大原調整池

Dsc01380 「健脚の小径」の案内板

道路を歩き、車まで戻りました。今は草も枯れ何もありませんが、見通しがよくなっており、夏には見えないところも見えます。1時間50分ほどの歩きでした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月20日 (火)

富士見岩(せんだん)

湖西市のおちば公園から富士見岩に行って来ました。今日は右回りに一周して来ました。

Fujimiiwaootibatouge

曇っており、富士山も南アルプスが見えませんでした。しかし奥三河の山々が墨絵のようにきれいでした。

Dsc01354 奥三河の山々

浜名湖もきれいに見えています。

Dsc01355 浜名湖

 

昨日の中日新聞くらし歳時記欄に「せんだんの実」の記事がありました。その一部を紹介しますと
「・・・きりりととした青空に鈴なりの白い実は目を引くなあと眺めていましたら、ムクドリがたくさんやってきました。人間や犬には毒だという実ですが、彼らには一向に差し障りないようで無心についばんでいます。種を運んでもらうための植物の知恵でしょうか。・・・・」
ちょうど登山口のおちば公園にせんだんの木がありました。葉は全て落ち、実だけが付いています。
Dsc01361おちば公園のせんだん

Dsc01358 せんだん

Dsc01359 せんだん

Dsc01363 せんだん

せんだんは優しさや力強さがあるような気がして以前から好きな木でした。優しさというのは、実が落ちる前に葉が落ちることです。先に落ちた葉が実を育みます。

力強さというのは、 せんだんの実はいろいろなところに落ちます。落ち葉の中、日当たりの良いところ、やせた土地、石ころの中、アスファルトの上、木にひっかかる実、水の中などいろいろです。

条件の悪いところに落ちた実はそこで朽ちて行きます。それらの実はそこでその命を全うしています。自分は朽ちても他の実が花を咲かせてくれます。

せんだんの実を切ろうとしましたがなかなか切れません。種が大変硬いのです。果肉は少なく白い色をしていて、芳香があります。人が食べると中毒症状を起こし、摂取量が多いと死に至るそうです。

少しなめてみました。舌に刺激があり、しばらく続いておりました。見たところはおいしい実のようにも見えます。

これをムクドリが食べるのですから、自然には畏敬を感じます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月19日 (月)

雨生山・金山(日の出日の入り)

風も無く穏やかな天気となりました。雨生山(うぶさん 313m)と金山(423m)を歩いて来ました。登り口は桜の園の西の道を行きます。

Kanayamaubu2 

林道から登山道に出、やがて展望の良いピークに着きました。雨生山、吉祥山、本宮山が近くから順に見えます。

Dsc01345 左から雨生山、吉祥山、本宮山

雨生山には1時間で着きました。浜名湖の展望がよい頂上です。

Dsc01348 雨生山から浜名湖

雨生山から引き返し、途中の分岐を金山に向かいます。348m峰からは南アルプスが見えました。

Dsc01349 左から塩見、悪沢、赤石、聖

雨生山から1時間で金山に着きました。金山は樹木に囲まれ展望はありません。不粋な反射板があります。

金山からは桜の園を通って戻りました。2時間40分の歩きでした。

日が短くなってきたと思っていたら、あさって21日はもう冬至です。しかし、陽の沈むのが一番早いのは冬至ではなく、もうその峠は過ぎています。

12月の初旬頃は陽の入りの時刻は16:40でした。冬至の日の陽の入りの時刻は16:44です。

冬至というと陽が一番短いですが、日の出の時刻がまだ遅くなって行くからです。冬至の日は、陽の出の時刻は6:57です。一番遅いのは1月初旬頃で7:01です。(名古屋での時刻)

冬至の日というのは、日の出は、もう少し遅くなるけれど、夕方は徐々に明るくなり始める、という時期で、そのズレの兼ね合いによって昼間の時間が最も短くなります。

寒さは冬至ごろから本格的になります。冬至の日は柚子湯に入り、カボチャを食べると健康に良いと言われています。二十四節気の中でも特に知られています。これくらいならできそうです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月18日 (日)

吉祥山(ふすま紙の張替え)

12月15日、吉祥山に行って来ました。いつものBコース登山口からの一周コースです。

Kitijoubkosu

富士山は見えませんでしたが、南アルプスがきれいに見えました。

Dsc01316 南アルプス    聖(右)、赤石、悪沢

1時間40分ほどの歩きでした。

 
ふすま4本の紙の張替えをしました。そのうち2本はアイロン貼り、2本はのり貼りで行いました。
アイロン貼りは枠の付いたままの張り替え、のり貼りは枠を外して張り替えます。
貼り方はふすま紙の包装紙に説明が書いてあります。
 
ここではのり貼りで特に気を付けたことを書きます。
まず上下左右の枠を外します。どこから外していっても構いません。上下枠は釘で止めてあり、左右枠は差し込みになっています。
上下の枠から外そうと思いましたが、枠を留めてある釘が錆びてしまっており、取れにくくなっているので、左右の枠から先に外しました。木槌で叩いて外します。案外すんなりと外せました。.
上下枠は取れにくく、くぎ抜きなど使っているうちにだいぶ傷がついてしまいました。
取り外した枠には上下左右など書いて貼っておきます。書いておかないと、取り付けるときにかなり迷います。
Dsc01319枠を取り外したふすま。枠には書入れをしておく。
 
引き手も取り外しておきます。
次にふすま紙をふすまの大きさよりも少し長く切っておき、このふすま紙に水をムラなくつけます。下が濡れないようビニールなど敷いておきます。
ふすま紙はのり付きなので水を付けるだけです。スポンジでたっぷり水を付けるのがコツです。乾いたところにはまた水を付けます。
水を付けたふすま紙は伸びきるよう5分ほどおきます。

Dsc01322 水を付けたふすま紙

この上にふすまを置き、裏返します。刷毛などで中心より空気を押し出します。しわになったらはがして張り直します。表面はこすらないようにします。

Dsc01323紙を貼ったふすま

枠の側面の余分な紙はカッターで切り取ります。

引き手部分はカッターで切れ目を入れます。枠を取り付けます。取り付けるのは、外すときより難しくはありません。

Dsc01330 引き手部分

出来あがりました。表面のたるみは乾けば消えます。

Dsc01331のり貼りをしたふすま

Dsc01338 アイロン貼りをしたふすま

のり貼りはアイロン貼りの2倍以上の時間が掛かりました。仕上がりはのり貼りの方がきれいに仕上がります。アイロン貼りはしわが取り切れません。また枠の部分も、のり貼りの方がきれいに仕上がります。

貼ってみていろいろ感じます。道具は間に合わせのもので行うので、うまく進みません。枠を外すときの道具、カット定規、押さえ刷毛など代用でした。

壁紙はホームセンターで買いましたが、表示模様が小さく、紙を広げてみるとイメージと違っていました。

職人さんの素晴らしさがよく分かりました。さすが職人さんという思いがつくづくしました。

手間は掛かりますが、のり貼りの方をお勧めします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月14日 (水)

赤岩尾根ピーク(猿投ダンプ事故50年)

家の近くの赤岩尾根をピークまで歩いて来ました。登るときは、赤岩寺まで送ってもらいました。赤岩尾根は豊橋自然歩道尾根からの派生尾根です。

Akaiwatakayama4

赤岩寺から尾根までは30分、さらに15分で鉄塔のあるピークに着きました。南アルプスが見えるのですが、雲があって見えません。

Dsc01310 赤岩尾根ピーク

Dsc01313 ピークから見る石巻山

ピークからは引き返し、尾根道を直進して赤岩登山口に下りました。後は車道を通り家まで歩きました。

尾根道は北からの風が吹きつけ、手袋や耳当てなど防寒が必要です。1時間45分の歩きでした。

昨日(12月13日)の中日新聞夕刊に「猿投ダンプ事故50年」という記事がありました。 

猿投ダンプ事故というのは、今から50年前の昭和41(1966)年12月15日午前8時50分、豊田市猿投町越戸(こしど)で、居眠り運転のダンプカーが園児横断待機中のライトバンに追突し、同車もろとも横断しようとしていた保育園児らの列に突入して、園児ら11人を死亡させ、21人を負傷させた事故です。

8トンの砂利を満載したダンプカーがノーブレーキで追突、2台とも、園児約50人の列に突っ込みました。保母1人と園児10人の命が奪われました。
 
当時高度経済成長後半期で、ダンプカーは矢作川で採れる砂利を建設現場に運んでおり、この日は2回目でした。
 
50年前の事故ですが、当ブログはこの事故をよく覚えています。同じ愛知県内ですが当ブログの地区からは離れています。

この事故は車両が直接死亡させた死者数が、最も多い事故でした。現在に至るまでこの時以上の死者を出している事故はありません。

当時の新聞記事で、現場に警察官が到着したとき、運転手は後輪のダブルタイヤの間に挟まった園児をジャッキで助け出そうとしていたと書いてあったのを覚えています。
 
この事故からダンプの背にナンバーを書くようになりました。
 
恐らく運転手は、矢作川堤防上での居眠りであれば、自分一人で済んでいたのにと悔いているでしょうがどうにもなりません。
 
子供の死はやり切れません。今では保育園や小学校近くには歩道橋が設けられるようになりましたが、子供の命はどんなことがあっても、どんなにお金をかけても、守らなければなりません。
子供は規則を守り純真です。それに応えなければなりません。子供は仮に横断歩道ではねられても、手を挙げたままはねられているかもしれません。
ダンプやトラックも当時とは比べ物にならないほど増えています。これらの運転手にはプロ意識に徹し、老人や女性の車に配慮し、運転手の鏡のような方がたくさんいます。
しかし逆に、大きな車体で追い越し禁止の車線を、排気ブレーキで煽るようにして来る車もあります。
 
当ブログは僭越ながら、「道は自分1人のものではない。自転車もバイクも老人も女性も走っている。この道を走らせてもらっている。」 と思うようにしていますが、忘れてしまうときが多くあります。
子供の死はゼロを目指さなければなりません。あらゆる方法で無くして行きたいものです。越戸の保育園前の路傍には「稚護地蔵」が祀られています。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 8日 (木)

富士見岩(太平洋戦争開戦日)

湖西市のおちば公園から富士見岩に行って来ました。左回りに一周して来ました。

Fujimiiwaootibatouge

富士見岩には1時間で着きました。富士山は見えませんでしたが、雪をかぶった南アルプスが見えました。浜名湖は何時も見えています。

Dsc01308_2 右から聖、赤石、悪沢、塩見

Dsc01306_2 浜名湖

今日は日本が太平洋戦争を始めた日です。1941年(昭和16年)12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻撃し、戦争を始めました
当時、当ブログは1歳5ケ月で開戦は分かりません。その後、戦争は3年8ヵ月続き、1945年(昭和20年)8月15日に終わりました。
終戦のときは5歳1ケ月でした。したがって戦争後半の記憶はあり、以前のブログにも書いております。
この戦争は急に始まったのではなく、日本の侵略による日中戦争(日華事変)は始まっていました。日中戦争とは1937年~45年に起きた日本と中国による戦争のことです。
12月8日は、日本がアメリカなど世界を敵に回して戦いを始めた破局への日です。終戦の日の8月15日と比べて影は薄いですが、忘れてはならない日です。
戦後生まれの人口は80%となり、太平洋戦争も過去の出来事として忘れられつつあります。軍民合わせて犠牲者は300万人でした。
どうしてこんな無謀な戦争に突入していったのか。今日の中日新聞に特集がありました。
開戦前に内閣総力戦研究所というのがあり、敗戦シミュレーションを出していましたが、「誰も決断せず、誰も責任を取ろうとせず、不決断、無責任が開戦を招いた」とありました。
開戦から75年、太平洋戦争の責任をしっかり検証してもらいたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 6日 (火)

東山(続 大和大イチョウ)

葦毛(いもう)湿原から二川の東山に行って来ました。葦毛湿原は草も黄色となり、初冬のたたずまいとなりました。

Higasiyama_imou

Dsc01304 葦毛湿原

1時間で頂上に着きました。風のあるせいか、霞みも無く遠くまで見渡せました。

Dsc01300 東山頂上

Dsc01302 頂上から太平洋、浜名湖

寒くなってきましたが、里山歩きはこれからが、ちょうど良い季節です。

大和の大イチョウ 続編です。11月28日に行ったときはまだ緑が多かったので、再度行きました。今日は丁度良くきれいに黄葉していました。これ以上後になると葉も散ってしまいます。

Dsc01283 大イチョウ1

Dsc01287 大イチョウ2

Dsc01294_2 大イチョウ3

Dsc01291 落葉

Dsc01292 大イチョウ4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 5日 (月)

神石山(普門寺紅葉)

毎年この時期、恒例となっている神石山に登り、普門寺の紅葉を見るというコースを歩いて来ました。手洗登山口から松林の登山道を登って行きます。

Kamiisitearaikouyou2 

Dsc01282 松林の登山道

松林を渡る風の音を聞きながら、松の落ち葉の上を歩いて行きました。

始め峠に出て、尾根の反対側を下り、普門寺の紅葉を見て来ました。紅葉は丁度良い時季ですが、色合いが少し足りません。年により違います。

Dsc01269 紅葉1

Dsc01270 紅葉2

Dsc01277紅葉3

Dsc01278 紅葉4

Dsc01280 山門の紅葉

帰りは同じコースを戻り、途中から神石山に登りました。頂上は浜名湖方向の展望が開けています。

Dsc01281神石山から浜名湖

普門寺は紅葉まつりが昨日でしたが、今日も賑わっていました。山の方は2人に逢ったのみでした。2時間ほどの歩きでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »