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2016年12月14日 (水)

赤岩尾根ピーク(猿投ダンプ事故50年)

家の近くの赤岩尾根をピークまで歩いて来ました。登るときは、赤岩寺まで送ってもらいました。赤岩尾根は豊橋自然歩道尾根からの派生尾根です。

Akaiwatakayama4

赤岩寺から尾根までは30分、さらに15分で鉄塔のあるピークに着きました。南アルプスが見えるのですが、雲があって見えません。

Dsc01310 赤岩尾根ピーク

Dsc01313 ピークから見る石巻山

ピークからは引き返し、尾根道を直進して赤岩登山口に下りました。後は車道を通り家まで歩きました。

尾根道は北からの風が吹きつけ、手袋や耳当てなど防寒が必要です。1時間45分の歩きでした。

昨日(12月13日)の中日新聞夕刊に「猿投ダンプ事故50年」という記事がありました。 

猿投ダンプ事故というのは、今から50年前の昭和41(1966)年12月15日午前8時50分、豊田市猿投町越戸(こしど)で、居眠り運転のダンプカーが園児横断待機中のライトバンに追突し、同車もろとも横断しようとしていた保育園児らの列に突入して、園児ら11人を死亡させ、21人を負傷させた事故です。

8トンの砂利を満載したダンプカーがノーブレーキで追突、2台とも、園児約50人の列に突っ込みました。保母1人と園児10人の命が奪われました。
 
当時高度経済成長後半期で、ダンプカーは矢作川で採れる砂利を建設現場に運んでおり、この日は2回目でした。
 
50年前の事故ですが、当ブログはこの事故をよく覚えています。同じ愛知県内ですが当ブログの地区からは離れています。

この事故は車両が直接死亡させた死者数が、最も多い事故でした。現在に至るまでこの時以上の死者を出している事故はありません。

当時の新聞記事で、現場に警察官が到着したとき、運転手は後輪のダブルタイヤの間に挟まった園児をジャッキで助け出そうとしていたと書いてあったのを覚えています。
 
この事故からダンプの背にナンバーを書くようになりました。
 
恐らく運転手は、矢作川堤防上での居眠りであれば、自分一人で済んでいたのにと悔いているでしょうがどうにもなりません。
 
子供の死はやり切れません。今では保育園や小学校近くには歩道橋が設けられるようになりましたが、子供の命はどんなことがあっても、どんなにお金をかけても、守らなければなりません。
子供は規則を守り純真です。それに応えなければなりません。子供は仮に横断歩道ではねられても、手を挙げたままはねられているかもしれません。
ダンプやトラックも当時とは比べ物にならないほど増えています。これらの運転手にはプロ意識に徹し、老人や女性の車に配慮し、運転手の鏡のような方がたくさんいます。
しかし逆に、大きな車体で追い越し禁止の車線を、排気ブレーキで煽るようにして来る車もあります。
 
当ブログは僭越ながら、「道は自分1人のものではない。自転車もバイクも老人も女性も走っている。この道を走らせてもらっている。」 と思うようにしていますが、忘れてしまうときが多くあります。
子供の死はゼロを目指さなければなりません。あらゆる方法で無くして行きたいものです。越戸の保育園前の路傍には「稚護地蔵」が祀られています。
 

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