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2017年1月31日 (火)

神石山(豊橋の戦争遺跡)

富士山を見に神石山に行きました。冷え込んでいますが、快晴です。

手洗(てあらい)の登山口から登りました。松林を行く道です。

Kamiisitearaioufuku

40分で頂上へ着きました。やや霞んでいますが富士山も見えました。

P1310001 神石山から富士山

P1310004 神石山から 太平洋

頂上は風も無く、真冬の陽を受けて、8人が山や海を眺めていました。

別の話になります。当ブログは終戦のとき5歳1ケ月、戦争を知る最後の世代となりつつあります。戦争のことを少しでも書いておきたいという思いがあります。豊橋の戦争遺跡を見て来ました。

二川トーチカ

トーチカとは、鉄筋コンクリート製の防御陣地を言う軍事用語です。

二川トーチカは二川駅近くにあります。県道信号から20mほど奥に入ったところの、伊寶石(いぼいし)神社の近くです。

Dsc01524 二川トーチカ

太平洋戦争末期、第73師団が本土決戦に備えて遠州灘に面する海岸に布陣しました。この二川トーチカは、遠州灘海岸から侵攻してくる敵を砲撃する目的で造られました。

Dsc01525 二川トーチカ

海岸線までは10kmほどのところにあります。よく登る東山の麓で、小高いところにあります。トーチカはこのようなところがよかったのでしょうが、今は周りが住宅地となってしまいましたので、違和感さえあります。

このような戦争遺産は是非残してほしいと思います。

 

蝉川七つの石

「蝉川七つの石」は、今は豊橋市多米町滝ノ谷豊橋市民俗資料収蔵室の敷地内にあります。以前は豊橋市蝉川(西町一丁目)に据え付けられていました。

Dsc01521 豊橋市民俗資料収蔵室

「蝉川七つの石」は江戸時代の終わり頃、庶民の憩いの場として、普門寺 の山から蝉川に運んできたと言われています。

今は豊橋市民俗資料収蔵室の西側に隣接した道路沿いに復元されています。七つの石は特に大きい石でもなく、特徴があるわけでもありません。

Dsc01519 蝉川七つの石

戦争中は多米町の出征兵士の見送りの終点であり、帰還兵の出迎えの場所でありました。この石の上で挨拶をした送迎の地であったと言います。

Dsc01514 案内板

戦争中はどこの街にも出征兵士を見送くる場所がありました。鉄道があるところは駅が見送りの場所でした。

当ブログが住んでいた街も駅でした。以前のブログにも書きましたが、駅前に日の丸の小旗を持った割烹着姿のお母さんたちが大勢が集ったのを覚えています。成人男子は少なく、他は子供や老人でした。

この場所は帰還兵を迎えるところでもありましたが、桐箱を白布に包んだ英霊を迎えることがその後続きました。

送迎の地碑

他にも地元の兵隊たちの送迎の地碑があります。新城市中宇利には「送迎之地」があります。

Dsc01557 新城市中宇利の「送迎之地」の碑

また豊橋市細谷町に「想い出の地碑」があります。

Dsc01566 細谷町の「想い出の地碑」

Dsc01567 想い出の地碑の説明文

若き日、この丘は村民歓呼の声に送られ、祖国の安泰と繁栄を念じ、

太平洋戦争の烈火に身を投じ、国難に準じた戦友六十九柱、生還

できし我ら七十一名、今この悲惨痛恨成る事実と命の尊厳を世に

伝えんと、この地に世界平和を祈念し、ここに御霊のご冥福を祈り、

想い出の地碑を建立する。

 

田原市堀切町にも「想い出の地」の碑があります。

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