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2017年7月

2017年7月30日 (日)

奥浜名湖展望公園・高山展望台(井山 碁聖防衛)

奥浜名湖展望公園と高山展望台に行ってきました。
 
Tenboutakayama
 
奥浜名湖展望公園は車でも行けますが、農免道路の引佐(いなさ)峠から歩きました。この道はあまり歩かれていないようで、蜘蛛の巣を払いながらの歩きです。20分で着きました。

Dsc02376引佐峠

浜名湖の展望がとても良いところです。浜名湖、浜松市街、舘山寺、東名浜名湖橋、東名SAなど見渡せます。

Dsc02381 舘山寺、東名浜名湖橋、東名SA

Dsc02378 浜名湖

次に車で移動し、三ケ日の高山展望台に行きました。ここも10分ほどで展望台に着きました。浜名湖の一番北側になり、猪鼻湖(いのはなこ)、浜名湖、太平洋が見渡せます。

Dsc02392 猪鼻湖、浜名湖

富幕山(とんまくやま)、尉ケ峰(じょうがみね)が近くに見え、ハングライダーが飛んでいました。

Dsc02393 ハングライダー

オオバギボウシの群生地があり、咲いていましたが数が少なくなりました。
Dsc02385 オオバギボウシ

たいへん暑く、こんな時来ている人は誰もおりません。木や草が茂り、展望も狭まって来ていました。

別のことを書きます。

将棋はこのところ藤井四段の話題でもちきりです。デビュー後29連勝、7月27日の新聞には34勝目を挙げたとありました。

中学3年生にしてこの記録、夢を与えてくれます。将棋を知ってても知らなくても、喜びを楽しみを与えてくれます。応援し続けます。
 
当ブログは、将棋は駒の進め方が分かるくらいのもので分かりません。

囲碁の話をいたします。囲碁には井山祐太(いやまゆうた)という恐ろしく強い棋士がいます。
 
井山祐太は七大タイトルのうち、六冠(棋聖、本因坊、王座、天元、碁聖、十段)を保持しています。7月25日の碁聖戦で剛腕強敵の山下敬吾九段に3連勝し、碁聖位を防衛しました。

碁聖戦の連覇記録では歴代1位に並ぶ6連覇です。これで六タイトルすべてを防衛しました。

井山六冠は去年、囲碁で史上初の七大タイトル独占を達成したあと、「名人」のタイトルを失って六冠に後退しましたが、これで「名人」以外の6つのタイトルはすべて防衛を果たしました。

名人戦の挑戦者を決めるリーグ戦は、現在、井山六冠が単独首位で、このまま挑戦者に決まると、前人未踏の2回目の七冠達成に向け、来月末から高尾紳路名人との七番勝負に挑むことになります。

是非挑戦者になり、再度七冠になってもらいたいと思います。わくわくした思いでいます。

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2017年7月27日 (木)

嵩山(釣り)

湖西市の梅田から低山の嵩山(すやま)に行って来ました。嵩山は170mで、梅田峠を経て25分で着きました。浜名湖が見えます。2人がお昼のお弁当を食べていました。

Suyama2_2

P7270038_2 嵩山より太平洋

P7270039_2 嵩山より三ケ日方向

50分の歩きでしたが、汗にまみれました。

釣りの話になります。

暑い日が続いています。海に出ると涼しいので、ときどき釣りに行っています。日中の釣りで、日焼け防止のため長袖を着ますが、海はそれほど暑く感じません。

湖西市入出の突堤です。松見が浦という湾になっており、ヤマハマリーナがあります。夏のレジャーで賑わっています。

P7270004 突堤

P7270017 海水ジェットで空を飛ぶフライボード

P7270031 水上スキー

水上オートバイやレジャーボートも浮かんでいます。県警の巡視艇もいます。

P7270029 県警の船

釣れるわけでもありません。暇つぶしで湖や山を眺めて糸を垂れています。釣れれば儲けものです。

P7270026 ヤマハマリーナの向こうによく登る神石山(左)

P7270022 遠くに瀬戸の赤い橋

釣り人も多くはありません。全くと言ってよいほど引きません。1時間ほどでやっとカワハギが1匹釣れるかというところです。それでも間違ってクロダイがくることもあるので、それを期待しています。

Dsc02321 カワハギ

投げ釣りの人が25cmほどのクロダイを釣りました。魚がいないようではありません。ボラや小魚はよく見えています。

さなぎだんごでクロダイを釣っている人もいます。2匹釣ったと言っていました。これくらいにしないと釣れないようです。当ブログはそこまではやりません。

ここ3日ばかり行きましたが、1回も引かない日がありました。これでは人もあまり来ていない筈です。磯ではハゼを釣っている人もいます。少しは釣れてるようでした。

 

 

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2017年7月25日 (火)

吉祥山(続々々 豊川海軍工廠)

吉祥山を歩いて来ました。今日も暑い日で汗が滴り落ちます。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。

Kitijoubkosu

道が整備され、大変歩きやすくなっています。支え木を利用した階段が続いています。

Dsc02337 階段道

頂上に着きました。曇っていて近くの山さえ見えません。風もまったくありません。タオルは絞るほどの汗です。

Dsc02336 頂上

4人に逢いました。1時間30分ほどの歩きでした。

帰りに「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」の「豊川市海軍工廠展」に寄りました。

豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこうしょう)についてはこれで4回目となります。1回目は概要を、2回目は工廠跡見学を、3回目は展示会を書きました。
今日も展示会です。「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」では、毎年夏のこの時期に「豊川市海軍工廠展」を開催しています。昨年に続き2回目の見学です。展示会の内容は毎年変わっています。

Dsc02339豊川市海軍工廠展案内板

豊川海軍工廠についてもう1度簡単に記します。
豊川海軍工廠とは「豊川にある海軍の工場」という意味です。豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和14年に宝飯郡の豊川町・牛久保町・八幡(やわた)村にまたがって建設されました。

機銃、弾丸、高角砲、双眼鏡などを生産し、東洋一の兵器工場とも言われました。多いときには6万人ちかい人が働き、徴用工員や動員学徒が8割を占めました。

昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受けました。空襲はすさまじいもので、2,500名以上の人が犠牲となりました。死者の中には国民学校の児童生徒や女子挺身隊(軍需工場などの兵器生産に従事した25歳未満の女子)もいました。

                     (ガイドブック豊川海軍工廠より)

さて、展示会は、市民から提供された絵画、展示品、当時の写真、米軍機から撮影された空襲時の写真、映像、説明パネル板などありました。

Dsc02360 門標

Dsc02351 消火栓

今回の展示会は市民から募集した豊川海軍工廠の絵が中心でした。

Dsc02340 当時のノート 作者は学徒動員され、器材部検査係に居た。画中の俳句は後に作者が短歌に読み替えている。「爆撃の 空甦り 蝉しぐれ 米寿の脳や 今も離れず」

Dsc02341 当時中学3年生 道路にバラバラに散乱した死体を拾い集め、リヤカーに乗せて運んだ

Dsc02361 這って逃げる途中、手足のない姿になった20歳位の女子挺身隊の人がいた。目が合ったが生死を悟られたような寂しい目だった

  

豊川海軍工廠は、広大な敷地の周囲には堀が張り巡らされ、門の数は東西南北の4つだけで厳重でした。昭和13~14年に1年で造り上げました。

現在は工場や自衛隊となっていますが、一部はそのまま残されています。

Toyokawakaigun 現在の豊川海軍工廠跡地

現在豊川市は豊川海軍工廠跡地に「豊川平和公園」の整備事業を、平成30年度開始に向けて実施しています。

園内には第1火薬庫、第3信管置場、防空壕跡、街路灯など残され、平和交流館を新設して、平和の尊さを学ぶ場として活用して行くということです。

Dsc02357 平和公園計画図

当ブログは戦前戦後を知る最後の世代となりつつあります。なるべくその頃のことを書こうと思っています。

 

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2017年7月22日 (土)

入笠山

昨日、涼を求めて高原に向かいました。朝8:30でしたが茶臼山高原くらいを思っていました。しかし津具高原の茶臼山高原道路入口まで来たところで、長野県の入笠山(にゅうがさやま)に行き先を変えました。

そのまま根羽、平谷を走り、飯田山本ICから中央自動車道に入りました。諏訪SAで昼食をとり、諏訪南ICで降り、「富士見パノラマリゾート」に着きました。13:00でした。



Nyuugasa

入笠山には平成10年に来たことがありますが、その時は山に登ることが目的でした。マナスル山荘前まで車が入ることが出来、山を往復しただけでした。しかし6月であったのでスズランは見ました。
 
入笠山は花の宝庫ということは知っていました。特に6月のスズランは有名ですが、春から秋にかけて、様々な花が楽しめます。

 

さて、ロープウェイの駐車場に着くと違った雰囲気でした。それはほとんどがマウンテンバイクの人たちでした。テントを張ったり、椅子で休んだりしています。

ゴンドラ乗り場では自転車を積んでいる人もいます。ゴンドラの下もMTB(マウンテンバイク)のダウンヒルコースとなっています。7月22・23日はMBTの大会があるようです。
 

Dsc02262 ゴンドラの下はダウンヒルコース

ゴンドラ山頂駅に着くと空気はひんやりとしています。暑いということは全く感じません。入笠湿原の木道を歩き、山彦荘、マナスル山荘の前を行き、入笠山登山道に入ります。

Dsc02267 入笠湿原

Dsc02271 入笠山登山道入り口

時間が遅いので下りてくる人がほとんどです。テレビカメラ数台を持った一団が下りてきました。

その時は分かりませんでしたが、この人たちの中に 市毛良枝、安住伸一郎、松山ケンイチ が居たということでした。これは帰りのゴンドラに乗るときに聞きました。

当ブログはあまりテレビを見ないので、安住伸一郎、松山ケンイチはよく知りませんが、市毛良枝は知っています。知っているどころかファンです。女優であり登山家であり「理想の花嫁第1位」でした。

気が付かず残念でしたが、その時「こんにちは」と声をかけたら、返事が返ってきたので、その声は市毛良枝だったのだ と密かに喜んでいます。

頂上には25分で着きました。360度の大展望です。雲があり、北アルプスや南アルプスは見えません。八ヶ岳が眼前に見えます。

Dsc02282 頂上

Dsc02286 八ヶ岳

山頂ではドローンを飛ばしている人がいました。先ほどの撮影隊の人たちでしょうか。

Dsc02277 ドローン

入笠山からの下りは花畑を通り、湿原を通りました。

Dsc02291 花畑のヤナギラン

Dsc02300 湿原のノハナショウブ

ゴンドラ山頂駅近くに「入笠すずらん山野草公園」があります。時期がよく、ここにはたくさんの山野草を見ることが出来ました。

山野草公園の先には八ヶ岳を正面に見ることができる展望台があります。

Dsc02301 展望台

また、帰りのロープウェイからは雲のない八ヶ岳が見えました。

Dsc02309 八ヶ岳

帰路は下條村、新野峠を通る151号を帰りました。
山にも登れ、たくさんの花が見られ、良い山旅ができました。

テレビ放映は8月18日、.TBSということです。

ホームページにUPしました。

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2017年7月20日 (木)

サーフェス電源入らず

端末タブレット MicrosoftのSurfaceの電源が突然入らなくなってしまいました。充電のランプは点灯しているので電池切れではありません。
Surfaceの取扱書はもともと付いておらず、他のパソコンで調べるということになります。Microsoftのページを開き、その通りに行ってみましたが回復しません。
別のページを開いてみました。Microsoftのページには載っていなかった解決方法がありました。それは
 
1、 電源ボタンを30秒押し続ける。
2、 音量の+ボタンと電源ボタンを15秒押しつづける。
3、 最低10秒待って、一度電源ボタンを押す。
4、 再度電源ボタンを押す。
 
この通りに行ってみると解決しました。古い型で修理に出すほどでもないので、一度はあきらめましたが助かりました。
一般的に、「長押し」では解決しないとき、さらに「ツーボタンによるシャットダウン」をして、その後に電源を入れて起動する方法あるようです。
Surfaceには、ボタンは電源ボタンと音量のボタンがあるだけですが、この2つを使うと起動しました。
 
下記サイト様を参考にさせていただきました。

 
 

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2017年7月 8日 (土)

富士見岩(盧溝橋事件)

湖西市知波田のおちば親水公園より富士見岩に行ってきました。

Fujimiiwaoofuku

Dsc02254 おちば親水公園

このところ急に暑くなってきました。気温は32度です。

違った道を行こうと思い、登り口のところからいつもと別の道に入りました。
しかし茨の道となり10分ばかりでしたがさ迷い、またもとのところに戻ってきました。腕には茨のひっかき傷ができました。

こんな暑いときなので、登る人は少ないと思っていましたが、途中8人に逢いました。頂上には2人がいました。

Dsc02258 頂上の岩

Dsc02256 頂上より浜名湖

富士山は今の季節見えませんが、ご褒美がありました。それは涼風です。この風は頂上でしか味わえません。疲れた後の涼風、何よりも勝ります。

下りも来た道を帰りました。2時間20分の歩きでした。

別の話になります。昨日は懐かしい七夕の日でしたが、戦争へと突入していった盧溝橋(ろこうきょう)事件の日でもありました。昨日の中日新聞社説は「盧溝橋事件80年」という記事でした.。

盧溝橋事件とは1937年7月、北京郊外の盧溝橋付近で、日本軍に中国軍から銃弾が撃ち込まれた事件です。これをきっかけに日中戦争が始まってしまいます。

盧溝橋事件は誰が発砲したのか、いまだ不明です。これをきっかけに中国国内では対立していた国民党軍と共産党軍は手を結び、抗日戦争を戦うことになりました。

日中戦争は華北ばかりか上海でも戦闘が始まり、全面戦争に陥って行きました。

盧溝橋事件の前、1931年に関東軍(日本の満州駐屯軍)は、南満州鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業であるとして満州の大半を占領し、満州国をつくりました。

(因みに関東軍は日本の関東地方とは関係ありません。この関東というのは「万里の長城の東側」ということで、満州を意味する言葉です。)                        

日本が満州国をつくったことについては国際連盟総会で採択書の採択が行われ、これに不満を持った日本は1933年、国際連盟を脱退し、孤立を深めて行きました。

このことが日中戦争にも、太平洋戦争にも結び付いて行きました。

 

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2017年7月 5日 (水)

想い出のブログ記事

当ブログは本日、喜寿となりました。厳しい山には行かなくなり、歩きやすい山ばかりとなりました。

ブログやホームページも同じ山の繰り返しとなっています。ブログは13年目、約900回となります。記念にブログ、ホームページから想い出の記を10選してみました。

1.幌尻岳 2007.7.9

2.蕎麦粒山退却記 2007.8.10

3.位牌岳退却記 2008.5.6

4.槍ヶ岳 2008.9.8

5.カミオカンデ  2011.7.17

6.聖岳・赤石岳(ブログ)、  同(ホームページ) 2011.9.1

7.愛染かつら  2011.11.15

8.新東名新静岡ICウォーキング 入場できず  2012.2.26

9.霞沢岳 2013.7.27

10.満蒙開拓平和記念館 2015.5.28

この中で 聖、赤石は70歳、霞沢岳は72歳で登りました。その後74歳で燕岳に登ったのが厳しい山の最後です。今から思うとよくぞ登ったという思いがします。

これからも山を楽しんで行きたいと思っています。またブログにはいろいろな分野のことも書き続けて行きたいと思っています。

 

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2017年7月 4日 (火)

満蒙開拓 虐げられた女性

今日7月4日の中日新聞に「満蒙開拓 虐げられた女性」というタイトルで特集記事がありました。
戦前、旧満州国に国策として送り出され、敗戦後の逃避行で大勢の犠牲者を出した「満蒙開拓団」。
そこには敗戦直後、開拓団を守るためとして、ソ連兵に対する「性接待」を強いられた若い女性たちがいた。
この事実は開拓団員の引き揚げ後も長く封印され続けてきた。しかし、少なからずの被害者が亡くなり、残る女性たちも高齢となった。
そうした女性たちが最近、重い口を開き始めた。
Dsc08570
東京で暮らす八十九歳の女性は約二年前、戦後七十年を過ぎたところから、つらい記憶をつづり始めた。
 女性は戦前、岐阜県黒川村の「黒川開拓団」の一員として満州に渡った。敗戦直後、ソ連兵への「性接待」を強いられた。当時、十七歳。「ものすごく恥ずかしく、戦争の惨めさをさんざん知った」
中略
敗戦から約一週間後に進駐してきたソ連軍の襲撃に団員らはおびえた。隣の開拓団は集団自決に追い込まれ、黒川開拓団でも集団自決やむなしの声が上がった。食糧も不足した。

 「奥さんたちには頼めんでね、あんたら独身だけ、どうか頼む」。開拓団の幹部が未婚女性たちにソ連兵への「性接待」を要求したのはそんな時だった。十六~二十歳ぐらいの未婚女性約十五人が集められた。

 食糧の提供を受けるためにも、ソ連兵に女性たちを「差し出す」という。女性は逃げたかったが、団全体の生死が関わる事態に「嫌だ」とは言えなかった。

中略

この女性は東京で家庭を築いたが、夫には死別するまで「性接待」についてひと言も話さなかった。子どもたちにも言っていない。

 ただ戦後七十年が過ぎ、自らの体験を伝えるべきではないかという気持ちが芽生えた。「このような不潔なことは表に出してはいけないと思ってきた。でも、次第に戦争なんてやるべきではないという声を上げなきゃ、という責務というか気持ちが起きた」

中略

被害に遭った別の女性(91)=岐阜県在住=も「逃げたいと思うことがどれだけあったか」と振り返る。

「開拓団の係の方に『きょうはあんた出番だで、すまんけど出てくれ』と頼まれた。怖いけど日本に帰らなきゃ、怖い目に遭ってでも、ここでみんなのためにならなきゃ、と思って」

中略

「私らがここまで生きてこられるとは思いませんでした。こういう歴史も大事な歴史。死んでも忘れません」。現在は三人しか生存者はいないという。

黒川開拓団で終戦当時十歳だった安江菊美さん(82)は「私たちを助けてくださった方々のことを忘れることはできない」と話す。

「旧満州・黒川分村遺族会」は八一年、「性接待」の犠牲になって亡くなった女性たちを慰霊する「乙女の碑」を地元の神社に建立した。安江さんは、そこでしばしば手を合わせる。地元の人でも、この碑の由来を知る人は多くない。

安江さんは当時、幼いながらも「性接待」を知っていた。まきで風呂たきの手伝いをした際、自分たちが風呂に入れると喜ぶと、母親に「娘さんたちがソ連兵のところに行って私たちを助けてくれるのだから、あなたは一生懸命風呂をたきなさい」としかられた。

 栄養失調になった妹の治療のために、医務室に行っていたことで「洗浄」を受けている様子も分かった。

引き揚げ後、遺族会による慰霊祭が開かれてきた。しかし「性接待」が公に語られることはなく、開拓団の記録文集にもそれに触れるような記述はない。

 安江さんが「性接待」も含めた歴史を語り継ごうと決意したのは、被害者の一人の女性が亡くなったことがきっかけだった。仲が良かった九十一歳の女性は亡くなる直前、安江さんに「私たちの犠牲を知らない人たちにも伝えてほしい」と頼んだ。その後、安江さんは「満蒙開拓平和記念館」などで「語り部」として「性接待」についても伝え始めた。

中略

戦時性暴力に詳しく、NPO法人「社会理論・動態研究所」の猪股祐介研究員は「元団員には『団の恥』という意識が強く、これまで詳しい経緯は語られてこなかった。しかし、慰安婦の問題などが議論され、自身も高齢化する中、体験を歴史に残しておかなければならないという意識が強まった」と話す。

引用が長くなりましたが、新聞1ページ分の記事なのでこれでも端折りました。

戦争を知る世代が少なくなっています。このように直接戦争と関わった世代は90歳位以上であろうと思われます。

75歳以上は戦争を体験しているとは思いますが、戦地や戦場での体験者は少ないでしょう。

このように少なくなっている中で、よくぞ「性接待」について語ってくれたと思います。もはや3人しかいないということです。

満蒙開拓団は、国策によって幻の満州国に27万人が送り込まれました。終戦時、突然のソ連軍侵攻で逃げまどいます。

多くの開拓団が自決しました。その中には自分の子供5人に手をかけ、自分は生きて来なければならなかったという人もいます。また20人の子ども殺す手伝いをしたという当時15歳の少年もいます。

満洲での死者20万人の中、4割が満蒙開拓団員でした。悲惨極まりない状況の中、帰国した人たちも周囲から自己責任のように見られました。

満蒙開拓団員はじっと耐えるしかありませんでした。悲惨で苦労の連続であった満蒙開拓。まだ知らないことがたくさんあると思います。多くのことを知りたいと思います。

このブログには続編があります。

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2017年7月 3日 (月)

尉ケ峰

静岡県三ヶ日町と細江町の境付近にある尉ケ峰(じょうがみね)に行って来ました。低い山ですが今年初めてです。

登り口は下の地図で見るように7ケ所ほどありますが、近い林道登山口から登りました。この林道は奥浜名湖スカイラインと呼ばれていますが狭く、車のすれ違いも困難です。

Jougaminerinndou2

登山口には駐車場やトイレもあります。登山道にはオカトラノオの白い花が各所に咲いています。ササユリもまだ咲いていました。

P7030019 オカトラノオ

25分で頂上に着きました。年々、木が繁ってきて、浜名湖の見える範囲も狭まってきています。冬には富士山も見えるのですが、見えなくなりそうです。

P7030017 尉ケ峰頂上

今日は誰にも逢いませんでしたが、登山者が多い山です。

今日はたいへん暑く33度ありました。

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