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2017年7月25日 (火)

吉祥山(続々々 豊川海軍工廠)

吉祥山を歩いて来ました。今日も暑い日で汗が滴り落ちます。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。

Kitijoubkosu

道が整備され、大変歩きやすくなっています。支え木を利用した階段が続いています。

Dsc02337 階段道

頂上に着きました。曇っていて近くの山さえ見えません。風もまったくありません。タオルは絞るほどの汗です。

Dsc02336 頂上

4人に逢いました。1時間30分ほどの歩きでした。

帰りに「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」の「豊川市海軍工廠展」に寄りました。

豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこうしょう)についてはこれで4回目となります。1回目は概要を、2回目は工廠跡見学を、3回目は展示会を書きました。
今日も展示会です。「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」では、毎年夏のこの時期に「豊川市海軍工廠展」を開催しています。昨年に続き2回目の見学です。展示会の内容は毎年変わっています。

Dsc02339豊川市海軍工廠展案内板

豊川海軍工廠についてもう1度簡単に記します。
豊川海軍工廠とは「豊川にある海軍の工場」という意味です。豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和14年に宝飯郡の豊川町・牛久保町・八幡(やわた)村にまたがって建設されました。

機銃、弾丸、高角砲、双眼鏡などを生産し、東洋一の兵器工場とも言われました。多いときには6万人ちかい人が働き、徴用工員や動員学徒が8割を占めました。

昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受けました。空襲はすさまじいもので、2,500名以上の人が犠牲となりました。死者の中には国民学校の児童生徒や女子挺身隊(軍需工場などの兵器生産に従事した25歳未満の女子)もいました。

                     (ガイドブック豊川海軍工廠より)

さて、展示会は、市民から提供された絵画、展示品、当時の写真、米軍機から撮影された空襲時の写真、映像、説明パネル板などありました。

Dsc02360 門標

Dsc02351 消火栓

今回の展示会は市民から募集した豊川海軍工廠の絵が中心でした。

Dsc02340 当時のノート 作者は学徒動員され、器材部検査係に居た。画中の俳句は後に作者が短歌に読み替えている。「爆撃の 空甦り 蝉しぐれ 米寿の脳や 今も離れず」

Dsc02341 当時中学3年生 道路にバラバラに散乱した死体を拾い集め、リヤカーに乗せて運んだ

Dsc02361 這って逃げる途中、手足のない姿になった20歳位の女子挺身隊の人がいた。目が合ったが生死を悟られたような寂しい目だった

  

豊川海軍工廠は、広大な敷地の周囲には堀が張り巡らされ、門の数は東西南北の4つだけで厳重でした。昭和13~14年に1年で造り上げました。

現在は工場や自衛隊となっていますが、一部はそのまま残されています。

Toyokawakaigun 現在の豊川海軍工廠跡地

現在豊川市は豊川海軍工廠跡地に「豊川平和公園」の整備事業を、平成30年度開始に向けて実施しています。

園内には第1火薬庫、第3信管置場、防空壕跡、街路灯など残され、平和交流館を新設して、平和の尊さを学ぶ場として活用して行くということです。

Dsc02357 平和公園計画図

当ブログは戦前戦後を知る最後の世代となりつつあります。なるべくその頃のことを書こうと思っています。

 

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コメント

突然の書き込み失礼いたします。
小生は、父が戦争中に、浜名海兵団で訓練を受けていたので、偶々目が留まりました。父は、技術科士官の新米士官として、呉海軍工廠で、終戦を迎えております。
ご存知のように、豊川海軍工廠と同じように大空襲を経験しています。
平成24年から当時の父の足跡を調査して本にまとめております。「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟」と申します。浜名湖近辺では、浜松市、新城市、岡崎市、安城市、田原市などに登録されております。
お時間あればぜひご覧ください。

投稿: フランツ | 2018年1月12日 (金) 13時47分

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