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2017年8月 7日 (月)

続 満蒙開拓 虐げられた女性

7月4日の中日新聞に「満蒙開拓 虐げられた女性」というタイトルで特集記事があり、その日のブログに「満蒙開拓 性接待」を書きました。

この新聞記事は驚きの記事で、他の新聞にも、この記事があったのか関心のあるところでしたが、8月5日そのテレビ放送がありました。

NHKEテレ ETV特集 「告白・満蒙開拓団の女たち」 というタイトルで 夜11:00~12:00の放映でした。番組内容の紹介は次のようになっていました。


「戦前、満州に入植した650人の岐阜県黒川開拓団は、終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前までに追い込まれた。

その時、開拓団が頼ったのは、進行してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらう代わりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。

戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を、残された人々はどう受け止めるのか。」


この放送は名前・顔も出し、実に衝撃の内容でした。特に感じたのは、その人たちは自分は犠牲になっても、他人のことを考える素晴らしい人たちでした。どの人の言葉にも重みがありました。

 
さて、ここでは映像の中で女性たちが語った言葉を中心に書いて行きます。
接待した当時20歳であった92歳の女性は

「娘だけあんたら10人ほどは犠牲になってここをまもらにゃならん と言われた。ソ連兵に引っ張り回されました。めちゃくちゃ 頭の中はくしゃくしゃでした。
理屈ではない。生きて帰るにはどうするか。私ら犠牲になっても。もしもだめなら死んでいくんやし。」

お父さんのことを聞かれて

「命があって日本へ帰らないかん。辛くても頑張れ と言っていました。お父さんは帰りたくても日本へ帰らんと病気で亡くなりました。母と弟は帰っても。
父はすごく立派でした。何もかも立派に考えていました。」


当時18歳で89歳になる女性は

「接待という時は酒・ウォッカとかやれ  と言われていたからそれくらいに思っていたら、お布団がズラーと敷いてあった。連れてきた女を手を引いて寝ろ じゃない 汚いものを触るみたいに鉄砲の先で私たちを動かした。
お母さんお母さんと泣くだけ。みんな17・18歳。下の方じゃ友達と手をつないで「頑張りなね」しか言えない。
涙は夜流すもんって我慢してきた。」

当時21歳で昨年89歳で亡くなった女性は既に4年前からこの体験を公の場で話し初めていました。満蒙開拓記念館で語り部としてビデオを残していました。

「じぶんの命を捨てるか開拓団の子どもをお救いするかは娘たちの肩にかかっていると思ったんですね。何としても日本へ帰りたい命を救いたい。
私どもは悲しかったけども、開拓団の命を救うために娘たちは泣きながら、ソ連将校の相手をしなければいけないことになって、そんな目にあって帰ってきた。
ボロボロになって心の中に寝ても覚めても忘れられない。
ときどき夢にうなされ跳び起きる」

この女性には4歳下の妹がいました。その妹の分まで接待に出向いていました。4歳違いのその妹は

「姉は私の分まで務めるで と言って接待に出なくてもいい と言った。18歳以上って決めたのは姉さんらしかった。私は数えの17歳になっとった。」

妹は接待に出た姉の体を洗う洗浄係りでした。

「零下30度ぐらい下がるでね。寒い時は冷たかったやろうけど。洗浄に使ったのは軍隊のうがい薬。リンゲルの瓶に入れてホースを通して入れてやると子宮まで届く。可哀そうやったけども洗浄しとかんと性病拾ったり、妊娠したりするで」

女性たちの多くは数か月後に梅毒や淋病に侵されました。15人の中4人は現地で亡くなりました。

引き上げる途中でも、鉄橋が破壊され、中国人から「渡し船に乗るのに女を差し出せ」と要求され、要求に応じています。

黒川開拓団は650人の中450人が帰国しました。48ほどの開拓集団が自決する中、黒川開拓団は博多港に帰国しました。そこでは数多くの女性たちの中絶手術が行われました。

帰国してからも苦労は続きました。「満洲帰りの人はろくなことがない、女はいろいろなことに遭っとる」という目で見られ、なかなか結婚も出来ませんでした。
 
満蒙開拓については当ブログは6回ほど書いて来ました。

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