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2017年9月

2017年9月30日 (土)

ラクダ岩(戦後の生活・・・シラミ・ノミ・回虫)

湖西市女河浦(めがうら)に釣りに行って来ました。30分ほど釣り、近くの山に行きました。ハゼはあまり釣れなくなりました。

歩いたのは梅田公園登山口から神石山に行く途中のラクダ岩までです。50分で着きました。

Toyohasiumeda2

ラクダ岩は浜名湖の展望がよく、今釣りをして来た女河浦も見えます。

Dsc00305 ラクダ岩から浜名湖の展望

気候も良くなったので多くの人が来ていました。

Dsc02726ヘダイ  

別の話になります。戦後の頃の話を書いています。

ノミ・シラミ・回虫

蚤(のみ)

戦後の頃は蚤や虱(しらみ)に悩まされました。蚤は暖かい衣類の中にいます。今では見かけなくなりました。1~3mmほど大きさで大きく跳びます。布団の中とか衣類の縫い目辺りに潜んでいます。

「蚤」の画像検索結果 ネットで拝借しました 

血を吸います。吸われるとその周りが赤い斑点となっていました。痛いわけではありません。あとで気が付きます。

朝起きて、布団をおもむろにめくって行くと、蚤を見つけます。跳ぶ前に指で押さえつけ、揉んで弱めてから、両親指の爪でプチンとつぶします。

たくさんいるのでまたそろりと布団をめくり、同じことを繰り返します。大きく跳ぶので逃がさないようにゆっくり行います。寝間着の縫い目などにも多く潜んでいました。

毎朝のことで、DDTをかけてもなかなか直ぐには死にません。どこの家もこのようだったと思います。

虱(しらみ)

虱も蚤に似ていますが、跳ねたりはしません。衣類にも付いたりしますが、特に髪の毛に付きました。戦後は男の子はみんな丸坊主でしたから虱が付くことはありませんが、女の子は付きました。

画像検索結果 虱  ネットで拝借しました 

虱を採るには目の細かい虱用梳き櫛がありました。これで髪を梳くと虱が櫛に付いて来ました。

学校では時々女の子の頭にDDTを振りかけ、女の子の髪は真っ白になっていました。こういう光景はたびたび見ました。DDTは今は危険な薬品と分かりましたが、当時はありがたい殺虫剤だったのです。

回虫(かいちゅう)

回虫は白いミミズのような虫です。おなかの中にいます。今では全くと言ってよいほど見かけませんが、戦後はほとんどの子のおなかにいました。

写真:成虫回虫(22cm)  ネットで拝借しました

当時は農作物の肥料は下肥が普通でした。生野菜を食べると付着している寄生虫の卵が、経口で身体に入りました。身体の中で成虫になります。

これを駆除するのに、海人草(かいにんそう)という薬をよく学校で飲みました。海人草とは、紅藻に甘草などを加えた回虫駆除薬で、先生方が校庭に据えた大釜で煮ていました。

これを飲むと効果覿面でした。便所で気が付いたら、回虫が尻からぶら下がっていました。昔は寄生虫との共生が日常でした。

しかし最近この寄生虫が特異的抗体を人間に作り出していることが分かってきました。アトピー性皮膚炎や、花粉症などのアレルギー性疾患は、寄生虫によって免疫ができていたということです。

回虫をおなかに飼っていると良いこともあったようです。蚤や虱もどこかで役に立っていたというのは聞いたことがありません。

 

 

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2017年9月29日 (金)

座談山(戦後の生活・・・いも苗床)

秋晴れの雲一つない天気です。葦毛(いもう)湿原から座談山(ざだやま)を歩いて来ました。多くの人が来ています。

Zadanyama271

葦毛湿原にはツリフネソウが咲いていました。

Dsc02712 ツリフネソウ

テレビアンテナのある雲谷山(うのやさん)にはナンバンギセルが咲いていました。

Dsc02722 ナンバンギセル

1時間で座談山に着きました。期待した富士山が上の方だけ見えました。太平洋方向は遠くまで見えます。

Dsc02717 富士山  左に見えている

Dsc02721 太平洋

Dsc02720 浜名湖

戦後の頃の生活について書きます。

 

いも苗床

戦後の頃はサツマイモの苗は自分の家で作りました。3月頃、芋の苗床を作ります。1間(1.8m)四方くらいの大きさです。

サツマイモの苗床いも苗床  ネットで拝借しました

杭を打ちその周りを藁で囲います。藁での囲い方はいろいろあったようですが、横に渡した竹に絡み付け、押し付けながら編んで行きました。これは父親がやりました。

その中に「ちゅうま」で出た、イグサの屑を入れます。イグサの屑は大量に出たので、いも苗床山盛りに入りました。

ここまでが面白かったところです。普段とは違う遊び場が出来、ふわふわのいも苗床の中で飛んだり跳ねたりしました。

その後は遊び場とは違ったものになって行きました。この中に掃き溜めに溜まったごみを入れ、肥をかけました。その上に土を入れました。

あとはサツマイモを入れ、発芽させ、つるを伸ばします。このつるを切り取ります。サツマイモは「つる苗」を植えつけます。今では苗を売っているのでそれを利用することが多くなりました。

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2017年9月27日 (水)

嵩山(戦後の生活・・・紙芝居)

いつもの湖西市女河浦(めがうら)に、はぜ釣りに行って来ました。しかし釣れません。そろそろシーズン終わりでしょうか。

あまりに釣れないのですぐ近くの嵩山(すやま)に行きました。170mの低い山です。20分ほどで登れます。

Suyama2_2

登山口の所に新池という小さな池があります。この池は一度改修工事が行われ、2週間前行ったときは水が蓄えられていました。

しかしまた水が抜かれ、底が見えていました。

P9270008 水の抜かれた新池

改修されたばかりなのに何をするのか、看板に説明がありました。

P9270004 工事の看板

耐震のための地盤改良工事を行うようです。 これは前の工事と関連し、予定の工事と思われます。一旦貯水池を満水とし、様子を見たのでしょうか。

P9270007 池の壁面

上の写真の壁面の黒くなっているところまで水があったので、莫大な量の水がありました。貯水池の工事は水を2回も抜くことが行われているようです。

さて、嵩山の頂上は展望がよく180度あります。風が気持ちよく感じました。

P2130006嵩山から浜名湖

ここから戦後のことについて書きます。

紙芝居

当ブログが小学生の頃よく紙芝居が回ってきました。紙芝居のおじさんは空地に自転車を据えると、拍子木で近くを触れ歩きました。

そうすると子供が三々五々集まってきます。おじさんは紙芝居の下の引き出しに、芋飴を用意しています。

「紙芝居」の画像検索結果紙芝居 ネットで拝借しました

紙芝居は芋飴を買うと見ることが出来ます。割りばしの先に芋飴を付けてくれます。5円だったと思います。

子供が10人くらい集まると紙芝居が始まります。芋飴をなめながら紙芝居を見るという何とも至福なときです。

しかし当ブログは飴を買わずに何とか紙芝居を見ようと思いました。紙芝居が始まるとそっと後ろから近づきます。おじさんが睨んだように思えるので逃げます。そういう子は何人かいました。

しかしおじさんが怒ったのを見たことがありません。おじさんはそんな子がいることは丸見えです。

紙芝居の内容は覚えていませんが、おじさんの顔は今もしっかりと覚えています。子供の気持ちはよく分かっていたのでしょう。

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2017年9月26日 (火)

三岳山(戦後の生活・・・ちゅうま)

静岡県引佐町の三岳山(みたけさん 466m)に行って来ました。登山口の三岳神社まで車で入れます。三岳神社では早くもキンモクセイの香りが漂っていました。
 
Mitakesan

頂上には20分で着きました。三岳城跡になっています。展望は良く浜名湖や浜松市街、新東名の浜松SAなど見渡せます。

Dsc02710 頂上

Dsc02707 浜名湖、橋は東名浜名湖橋

Dsc02706 浜松市街、奥は太平洋、高い建物はアクトシティー

Dsc02708 新東名浜松SA

冬には富士山も見えます。

今は実りの秋です。昭和の頃は、はざ掛けした稲にイナゴが群がっていました。最近は農薬のためかイナゴをすっかり見なくなりました。

しかし今日は頂上でイナゴの群れにあいました。歩を進めると一斉に飛び跳ねました。このところイナゴの群れを見なかったので、なつかしい光景でした。

戦後の話になります。

ちゅうま

当ブログが小学校5・6年生の頃の話です。街はゴザの産業が盛んで、ゴザに関わる仕事をしている人が多くいました。

イグサの生産者、縦糸のカイソを作る人、それを織る人、ゴザを扱う業者などいましたが、一般の人たちもいろいろ関わっていました。

まず織るのに一般家庭の主婦が手動の織機で織っていました。この音が多くの家から聞こえてきました。

製品としては畳表が多かったと思いますが、加工品も作られていました。加工品には着ゴザ(きござ)が多くつくられました。

着ゴザとは畑仕事をする時に、雨を防いだり、背中が日に干されないようにするために使われます。

「着ござ」の画像検索結果 着ゴザ  ネットで拝借しました
 
着ゴザは両端を整えるのに、糸で編み、裂け目を入れます。編むことと、裂け目を入れることが一般家庭の内職に出されていました。

この内職をわが家でも行いました。編むことは子供ではできないので、裂け目を入れるのが子供の仕事でした。

この両方の作業のことを「ちゅうま」と呼んでいました。この「ちゅうま」の意味がこれまで分かりませんでしたが、このブログを書くに当たり調べてみると、次のようなのに出合いました。

「住宅建築で、畳の大きさを幅3尺・長さ6尺と決めた造り方。京間、田舎間に対して、主に名古屋地方で行われる。中間 (ちゅうま) 。または(中京間)」

おそらくこれから来ていると思われます。

裂け目を入れるには、櫛型の刃物で解いて行きますが、両方で手間賃は1枚10円だったように思います。

いつも遅れてしまい叱られていました。解くのは1枚で3円をもらっていました。

この着ゴザは2重にして、中に油紙を入れました。着ゴザは今でも使われています。

その他に加工品としては、着ガサがありました。
「着ござ」の画像検索結果 着ガサ  ネットで拝借しました

着ガサはゴザで出来た雨具です。小学校低学年の頃、雨の日はこれをかぶって学校に行きました。高学年の頃は唐傘になりました

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2017年9月25日 (月)

吉祥山(戦後の生活・・・台風13号)

家から20分ほどのところにある吉祥山に行って来ました。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。

花はハギの花が見られるくらいでした。50分で頂上に着きました。山は奥三河3山など見られますが富士山は見えません。

Dsc02698 吉祥山頂上

Dsc02697 左から宇連山、鳳来寺山、明神山

Aコースを降り、途中からBコースに入り、車を置いたところに戻りました。田んぼの畦道には彼岸花が咲いています。明日が彼岸の明けです。

Dsc02703 ヒガンバナ

梨農家が道端で梨の販売をしていました。試食すると大変おいしかったので買いました。

Dsc02699 梨の直売所

Dsc02700

Dsc02705 農園の梨

別の話になります。戦後8年のとき遭った自然災害の話です。

65年前の今日9月25日は、大変怖い思いをした日です。それは昭和28年(1953年)の台風13号に遭った日です。そのとき、当ブログは13歳で中学1年でした。浜名湖の一番奥の街に住んでいました。

この台風は○○台風というような名前は付けられていません。今でも台風13号と呼ばれています。この6年後の昭和34年9月26日には伊勢湾台風が来ています。

台風13号では高潮で床上浸水しました。伊勢湾台風のときは床下浸水でした。これまで多くの台風に遭っていますが、後にも先にも床上浸水したのはこのときだけです。

この時の様子を書きます。このとき我が家は父親が出張で母親と子供3人でした。夕刻より雨・風は一段と激しくなりましたが、高潮になるとは思ってもいませんでした。

気が付くと土間に水が来ているではありませんか。土間の物を床上に上げました。水は増えてくる一方です。これでは床上も駄目です。今度は2階へ運びました。水の増してくるのが速く、運ぶのが間に合いません。

一度窓から外を見てみると、一面の水でした。この光景は今もよく覚えています。停電になっており、明かりはろうそくです。もうほとんどのものは運ぶのを諦めました。

階下は3つの部屋があり畳でした。母親が1部屋の畳を、床上に置いた縁台に上げました。水の増すのが速かったので、やがて水が来てしまうだろうと思っていました。

床上まで水が来たときは、物で一杯になった2階の隙間で4人身を縮こませ、2階まで水が来るのではないかと怯えていました。死をも思いました。

やがて水の増加は止まりました。水は畳を上げた縁台すぐ下のところまで来ていました。他の2部屋の畳は水浸しとなりました。流石母親です。その後縁台に上げた畳で大変助かりました。

翌日は青空の良い天気となりました。水もすっかり引きました。しかしそれから1ケ月ほどは実に大変でした。泥との戦いです。

それほど強烈でもない台風で床上浸水し、その後65年間そのようなことはありません。河川は整備されましたが、防潮堤防が造られたわけでもありません。

高潮発生の要因として2つが考えられます。
①台風の中心気圧は周辺より低いため、中心付近の空気が海面を吸い上げるように作用するので海面が上昇する。
②台風に伴う強い風が海岸に向かって吹くと、海水は海岸に吹き寄せられる。

台風13号ではこれらのことがちょうど重なったと思います。しかも大潮、満潮ということでした。これは盛り上がったお椀の水いっぱいのところに息を吹きつけたようなものだと思います。この台風の風速も特別強かったようです。

自然には良いことにしろ、悪いことにしろ、偶然が重なって起こることがたくさんあります。日食、月食、山でのブロッケン現象、虹、集中豪雨、竜巻などです。いつも起こるとは限りません。しかし何時でもどこでも起こりえます。

 

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2017年9月20日 (水)

五葉城址(秋たけなわ)

昨日は大原調整池から五葉城址まで歩いて来ました。林道を登って行きます。林道には彼岸花が所々咲いています。

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50分で五葉城址に着きました。明神山、宇連山、鳳来寺山など見渡せます。一昨日見えた富士山は見えませんでした。

Dsc02687 五葉城址

五葉城址には秋の花がいろいろ咲いていました。キキョウ、オミナエシ、マツムシソウ、フジバカマ、ワレモコウなど見られます。

Dsc02683 キキョウ

Dsc02684 マツムシソウ、オミナエシ

Dsc02686 ワレモコウ、イナカギク

花が見られるからでしょうか、15人ほどに逢いました。

今日は彼岸の入りです。ヒガンバナがどこにでも咲いています。彼岸になると必ず咲きます。ときを違えずに咲くこの花は、ほんとに季節を感じさせてくれます。

P9220035 ヒガンバナ

湖西市入出の女河浦にハゼを釣りに行ってきました。たくさんの人が来ています。サヨリ釣りの人とハゼ釣りの人が半々くらいです。

サヨリを釣っている人は10匹ほど釣っていたので釣れるようです。雨が降り出したので10分ほどで止めました。ヘダイ1匹とハゼ3匹を持ち帰りました。ハゼは間断なく引きます。

Dsc02691 今日の釣果

葦毛湿原にも寄ってみました。今はシラタマホシクサが盛りと咲いています。他にミズギボウシ、サワギキョウなども見られました。

Dsc02690 シラタマホシクサ

秋も深まってきました。夜は虫の音が頻りです。

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2017年9月18日 (月)

奥浜名湖展望公園(満州事変)

昨日夜は台風18号が接近し、豊橋付近はかなりの強風で東海道線も一時運休となりました。我が家も植木鉢などたくさんひっくり返りましたが、被害はありませんでした。

今朝はさわやかな青空が広がっています。風もすっかり治まりました。台風一過、富士山も見えるのではないかと、奥浜名湖展望公園に行ってみました。

Okuhamanakotenboudai

東名三ケ日IC近くの広域農道引佐峠姫街道から歩きます。道は蜘蛛の巣だらけ、そのためにストックを持ってきましたが、ときにはそのまま蜘蛛の巣に突っ込み、帽子からジョロウグモがぶら下がっているときもありました。

Dsc02682 姫街道

30分ほどで着きました。浜名湖の展望がとても良いところです。舘山寺、弁天島、太平洋まで見渡せます。

Dsc02680 舘山寺、東名浜名湖橋、東名SA

Dsc02674 村櫛、弁天島、浜名大橋、太平洋

果たして富士山は見えました。春以降初めて見ました。大きな富士山でした。上の方は雲でしたが、運良く富士山のところはありません。空気が澄んでいたので見えたと思います。

Dsc02679 富士山

ここは四方の展望がよく、東に富士山、南に浜名湖・太平洋、西に浜名湖瀬戸、北に尉ケ峰(じょうがみね)など見えます。

帰りもそのまま戻りましたが、ツクツクホウシが弱々しく鳴いています。来る途中の田んぼには彼岸花が咲いていました。あさっては彼岸の入りです。

戦中戦後のことを書いています。

今日、9月18日は満州事変の起こった日です。満州事変とは86年前の1931年(昭和6年)日本の満州駐屯軍(関東軍)が南満州鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業であるとして、満州の大半を占領してしまった事件です。

満州事変は自作自演の謀略である柳条湖(りゅうじょうこ)事件で始まりました。中国東北部の奉天郊外にある柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破されました。

これを機に、現地の日本軍は「爆破は中国側の仕業」として軍事行動を開始、満州事変の発端となりました。終戦まで分かりませんでしたが、真相は日本軍の自作自演でした。

この軍事行動には天皇や政府は反対していました。軍はこれを無視し満州の大半を占領してしまいます。

その後は、清の最後の皇帝であった愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)を担ぎ出し、満州国という国を作り上げます。

Dsc08570満州国

これには時代背景もありましたが、このような強引な手法を使って満州国はできました。

 


                  


                  
 

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2017年9月14日 (木)

仏岩(戦後の生活・・・闇米、墓参り、弁当)

湖西市の梅田親水公園から、神石山への途中にある仏岩まで行って来ました。片道30分の歩きです。仏岩からは浜名湖などの180度の展望が開けています。

Suyama4

Dsc02662 梅田親水公園

Dsc02664 仏岩

Dsc02666 仏岩からの眺め

戦中・戦後のことをなるべく書こうと思っています。

闇米(やみごめ)

戦中・戦後しばらくは生活物資が足りず、配給制で賄われていました。国家総動員法により、米、野菜、塩、砂糖、魚、肉などが、昭和13年~昭和21年(1938~1946年)まで配給制となりました。米に関しては、昭和57年(1982年)まで続きました。

配給物質ではとても足りず、当ブログもおばあさんと闇米を買いに行ったことをよく覚えています。峠を越えて隣村まで行きました。

6歳頃だったと思います。その頃普段は遠くまで行くことはありませんでした。その時はおばあさんが乳母車を押し、付いて行きました。
 
闇米と関係ありませんが、一つよく覚えているのは、峠を越えるとき海がキラキラと輝いていました。波の先が光っており、その光っているものがほしいと思いました。その頃はそんな風に思い、その光景をよく覚えています。
 
さて、峠を越えて知り合い農家に着きました。米と、小豆も買ったように覚えています。その時は物と交換したのではなく、お金で払ったようです。

片田舎であったので、食糧がひっ迫していたわけでもなく、着物などと交換したというようなことはなかったと思います。

お墓参り

当ブログのおじいさんは2歳の時亡くなり、顔も知りません。おじいさんは隣村の出であったので、そこにお墓があります。戦後の頃、おばあさんに付いてお墓参りに行きました。

鉄道があり1駅乗れば近いのですが、行くときは歩いて行きました。これは汽車賃節約のためだったと思います。

ヤカンに水を入れ、線香、花、マッチなどを持って行きました。歩くのは遊び気分もありました。あっちに寄り、こっちに寄り道草をして行きました。
 
墓は高台にあり、たいへん景色の良いところです。本堂に入ると部屋は広く、天井が高く、厳かな感じでした。位牌堂でもお参りしました。
 
帰りは汽車で帰りました。汽車に乗れることがうれしいので、喜んで付いて行ったと思います。当時は蒸気機関車でした。そんなこんなのお墓参りでした。

 
弁当
 
当ブログが小学校に入学したのは昭和22年(1947年)でした。弁当についての話です。給食は卒業まで経験がありません。

弁当は特別おかずなどありませんでした。これは子供によって違いますが、梅干しにかきこ(サバ節など削って粉状にしたもの)をご飯の上に撒いたものが暫くは主でした。

弁当箱はアルマイトとかメンパでした。お茶はコップも無く、小使い室から当番がやかんに白湯をもらってきて弁当箱の蓋で飲んでいました。

アルマイトはへこんだり、蓋に穴の開いている弁当箱の子もいました。蓋に穴の開くのは梅干しの塩分でアルマイトが侵されるからです。

弁当を食べるときの様子です。大抵の子が蓋で隠すようにして食べていました。特に女の子の方がそのようにして食べていました。家が学校に近い子は食べに帰りました。

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2017年9月 8日 (金)

富士見岩(釣り)

湖西市知波田のおちば公園より富士見岩に行ってきました。

Fujimiiwa1

このところ急に暑さも和らいできました。陽射しも弱くなり、少し前まではタオルを絞るほどの汗が出ましたが、今日はそれほどでもありません。

蝉もツクツクホウシやヒグラシになりましたが、力強さがありません。登山道に紫の花びらが落ちています。何の花びらかと思いましたが、これはハギの花びらでした。秋を所々で感じました。

Dsc02645 ハギの花 

Dsc00349 鉄塔の向こうに富士見岩

登山道は途中で林道を通りますが、すぐにまた登山道です。ここで1人が下りて来ました。13時でしたが、9時から登っていると言います。

他の山まで行って来たと言うのでなく、この登山道を見逃し、林道を直進して行ったということです。上の地図にありますが、姫街道との出合まで行ってしまったと言います。

そこまで1時間半以上かかります。よくぞ歩いたと思います。林道歩きというのはそれほど面白いものでなく、30分ほどで疲れてしまいます。

また引き返して、この登山口から富士見岩に登って来たということでした。以前にもここでこの登山口を見逃し引き返したという人がありました。

当ブログも登山口が見つからず右往左往することはしょっちゅうでした。今では新しい山にはほとんど行きませんが、自分にもあったなあ と山歩きを共有しました。

富士見岩には1時間10分で着きました。今日は青い空が広がっていましたが、富士山方向は雲があり見えません。

Dsc02085 富士見岩頂上

富士見岩に登る前に女河浦海岸に釣りに行って来ました。このところ、ときどき行っていますが、ハゼが釣れるので子供達も来ています。

Dsc02602 女河浦海岸

Dsc02603 女河浦海岸

日毎に秋らしくなっています。

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2017年9月 7日 (木)

阿寺の七滝(白露)

一昨日阿寺(あてら)の七滝を歩いて来ました。家から1時間くらいの所にある滝です。日本の滝百選にも選ばれています。
Atera
 

新城市大野の国道151号から県道442号に入ります。阿寺川に沿って10分ほど走ると駐車場のある入口に着きました。

ここからは林道を歩きます。せせらぎの音を聞きながら、大きな杉の木立の道を歩きます。この辺りは断層が見られます。途中「くいちがい石」という、左右がずれた石も見られました。20分ほどで滝に着きました。

Dsc02624 くいちがい石

Dsc02631 阿寺の七滝

Dsc02627 阿寺の七滝

Dsc02628 阿寺の七滝

阿寺の七滝は巣山高原から流れ出る水が七段の滝となり流れ落ちています。滝は62mの高さで、下から見えるのは第4の滝までです。滝壺や途中の渓流にはたくさんの魚がいました。

阿寺の七滝は、平安時代の陰陽師 安倍晴明(921~1005年)がこの滝で修業したということですから、かなり古くから発見されていた滝です。

今では巣山高原の下に三遠南信道の三遠トンネル掘られ、静岡県浜松市引佐と愛知県新城市名号を自動車道で繋いでいます。かってはこの阿寺地区は静岡県の渋川、愛知県の大野、名号など繋ぐ交通の要衝地でした。

 

今日は白露(はくろ)です。処暑(8月23日)から数えて15日目頃です。この日から仲秋になります。草花に朝露が結ぶようになったということから名づけられました。

これまでは朝からうだるような暑さを感じていたのに、白露の時期になると朝晩は少しひんやりと感じられます。野にはすすきの穂が顔を出し、本格的な秋の到来を感じる頃です。

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2017年9月 4日 (月)

富幕山(季節の移ろい)

静岡県引佐(いなさ)町の富幕山(とんまくやま)に行って来ました。奥山高原から登ります。以前は瓶割峠(かめわりとうげ)と奥山高原を結ぶ林道の途中からも登れましたが、今は車の通行は禁止となっています。
 

Tonmakuyama

富幕山は登山道のそこかしこに秋の花が見られます。今は何と言ってもマツムシソウです。ほぼ頂上までどこにも咲いています。オミナエシも各所に見られます。

Dsc02617 マツムシソウとオミナエシ

Dsc02619 マツムシソウ

ナンバンギセルが咲いていました。これは寄生植物で葉がなく、ススキなどイネ科植物の根に寄生します。

Dsc02620 ナンバンギセル

頂上へは50分で着きました。午後2時くらいでしたが、10人ほどに逢いました。花の時季なので、今は多くの人が来ていると思われます。

Dsc02614富幕山頂上

途中にある展望台から富士山が見えるのですが、曇っていて見えませんでした。

昨日あたりからめっきり涼しくなってきました。虫の声は大分前から聞こえていますが、今は一段と賑やかです。夜窓を開け、虫の音を聞いて秋をしみじみと感じています。

稲刈りも先月末くらいから始まっています。ついこの間まで緑の早苗であった田んぼも、頭を垂れた黄金色の稲に変わりました。

身の周りでも、イチジク、ナシなどの果物、オミナエシ、キキョウなどの花、ハゼ、サヨリなどの魚、どこも秋です。

気が付けば陽がすっかり短くなりました。夏が去って行くのは、寂しさを感じます。賑わっていた海水浴場も人気がなくなりました。

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