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2017年9月14日 (木)

仏岩(戦後の生活・・・闇米、墓参り、弁当)

湖西市の梅田親水公園から、神石山への途中にある仏岩まで行って来ました。片道30分の歩きです。仏岩からは浜名湖などの180度の展望が開けています。

Suyama4

Dsc02662 梅田親水公園

Dsc02664 仏岩

Dsc02666 仏岩からの眺め

戦中・戦後のことをなるべく書こうと思っています。

闇米(やみごめ)

戦中・戦後しばらくは生活物資が足りず、配給制で賄われていました。国家総動員法により、米、野菜、塩、砂糖、魚、肉などが、昭和13年~昭和21年(1938~1946年)まで配給制となりました。米に関しては、昭和57年(1982年)まで続きました。

配給物質ではとても足りず、当ブログもおばあさんと闇米を買いに行ったことをよく覚えています。峠を越えて隣村まで行きました。

6歳頃だったと思います。その頃普段は遠くまで行くことはありませんでした。その時はおばあさんが乳母車を押し、付いて行きました。
 
闇米と関係ありませんが、一つよく覚えているのは、峠を越えるとき海がキラキラと輝いていました。波の先が光っており、その光っているものがほしいと思いました。その頃はそんな風に思い、その光景をよく覚えています。
 
さて、峠を越えて知り合い農家に着きました。米と、小豆も買ったように覚えています。その時は物と交換したのではなく、お金で払ったようです。

片田舎であったので、食糧がひっ迫していたわけでもなく、着物などと交換したというようなことはなかったと思います。

お墓参り

当ブログのおじいさんは2歳の時亡くなり、顔も知りません。おじいさんは隣村の出であったので、そこにお墓があります。戦後の頃、おばあさんに付いてお墓参りに行きました。

鉄道があり1駅乗れば近いのですが、行くときは歩いて行きました。これは汽車賃節約のためだったと思います。

ヤカンに水を入れ、線香、花、マッチなどを持って行きました。歩くのは遊び気分もありました。あっちに寄り、こっちに寄り道草をして行きました。
 
墓は高台にあり、たいへん景色の良いところです。本堂に入ると部屋は広く、天井が高く、厳かな感じでした。位牌堂でもお参りしました。
 
帰りは汽車で帰りました。汽車に乗れることがうれしいので、喜んで付いて行ったと思います。当時は蒸気機関車でした。そんなこんなのお墓参りでした。

 
弁当
 
当ブログが小学校に入学したのは昭和22年(1947年)でした。弁当についての話です。給食は卒業まで経験がありません。

弁当は特別おかずなどありませんでした。これは子供によって違いますが、梅干しにかきこ(サバ節など削って粉状にしたもの)をご飯の上に撒いたものが暫くは主でした。

弁当箱はアルマイトとかメンパでした。お茶はコップも無く、小使い室から当番がやかんに白湯をもらってきて弁当箱の蓋で飲んでいました。

アルマイトはへこんだり、蓋に穴の開いている弁当箱の子もいました。蓋に穴の開くのは梅干しの塩分でアルマイトが侵されるからです。

弁当を食べるときの様子です。大抵の子が蓋で隠すようにして食べていました。特に女の子の方がそのようにして食べていました。家が学校に近い子は食べに帰りました。

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