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2017年9月25日 (月)

吉祥山(戦後の生活・・・台風13号)

家から20分ほどのところにある吉祥山に行って来ました。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。

花はハギの花が見られるくらいでした。50分で頂上に着きました。山は奥三河3山など見られますが富士山は見えません。

Dsc02698 吉祥山頂上

Dsc02697 左から宇連山、鳳来寺山、明神山

Aコースを降り、途中からBコースに入り、車を置いたところに戻りました。田んぼの畦道には彼岸花が咲いています。明日が彼岸の明けです。

Dsc02703 ヒガンバナ

梨農家が道端で梨の販売をしていました。試食すると大変おいしかったので買いました。

Dsc02699 梨の直売所

Dsc02700

Dsc02705 農園の梨

別の話になります。戦後8年のとき遭った自然災害の話です。

65年前の今日9月25日は、大変怖い思いをした日です。それは昭和28年(1953年)の台風13号に遭った日です。そのとき、当ブログは13歳で中学1年でした。浜名湖の一番奥の街に住んでいました。

この台風は○○台風というような名前は付けられていません。今でも台風13号と呼ばれています。この6年後の昭和34年9月26日には伊勢湾台風が来ています。

台風13号では高潮で床上浸水しました。伊勢湾台風のときは床下浸水でした。これまで多くの台風に遭っていますが、後にも先にも床上浸水したのはこのときだけです。

この時の様子を書きます。このとき我が家は父親が出張で母親と子供3人でした。夕刻より雨・風は一段と激しくなりましたが、高潮になるとは思ってもいませんでした。

気が付くと土間に水が来ているではありませんか。土間の物を床上に上げました。水は増えてくる一方です。これでは床上も駄目です。今度は2階へ運びました。水の増してくるのが速く、運ぶのが間に合いません。

一度窓から外を見てみると、一面の水でした。この光景は今もよく覚えています。停電になっており、明かりはろうそくです。もうほとんどのものは運ぶのを諦めました。

階下は3つの部屋があり畳でした。母親が1部屋の畳を、床上に置いた縁台に上げました。水の増すのが速かったので、やがて水が来てしまうだろうと思っていました。

床上まで水が来たときは、物で一杯になった2階の隙間で4人身を縮こませ、2階まで水が来るのではないかと怯えていました。死をも思いました。

やがて水の増加は止まりました。水は畳を上げた縁台すぐ下のところまで来ていました。他の2部屋の畳は水浸しとなりました。流石母親です。その後縁台に上げた畳で大変助かりました。

翌日は青空の良い天気となりました。水もすっかり引きました。しかしそれから1ケ月ほどは実に大変でした。泥との戦いです。

それほど強烈でもない台風で床上浸水し、その後65年間そのようなことはありません。河川は整備されましたが、防潮堤防が造られたわけでもありません。

高潮発生の要因として2つが考えられます。
①台風の中心気圧は周辺より低いため、中心付近の空気が海面を吸い上げるように作用するので海面が上昇する。
②台風に伴う強い風が海岸に向かって吹くと、海水は海岸に吹き寄せられる。

台風13号ではこれらのことがちょうど重なったと思います。しかも大潮、満潮ということでした。これは盛り上がったお椀の水いっぱいのところに息を吹きつけたようなものだと思います。この台風の風速も特別強かったようです。

自然には良いことにしろ、悪いことにしろ、偶然が重なって起こることがたくさんあります。日食、月食、山でのブロッケン現象、虹、集中豪雨、竜巻などです。いつも起こるとは限りません。しかし何時でもどこでも起こりえます。

 

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