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2017年9月26日 (火)

三岳山(戦後の生活・・・ちゅうま)

静岡県引佐町の三岳山(みたけさん 466m)に行って来ました。登山口の三岳神社まで車で入れます。三岳神社では早くもキンモクセイの香りが漂っていました。
 
Mitakesan

頂上には20分で着きました。三岳城跡になっています。展望は良く浜名湖や浜松市街、新東名の浜松SAなど見渡せます。

Dsc02710 頂上

Dsc02707 浜名湖、橋は東名浜名湖橋

Dsc02706 浜松市街、奥は太平洋、高い建物はアクトシティー

Dsc02708 新東名浜松SA

冬には富士山も見えます。

今は実りの秋です。昭和の頃は、はざ掛けした稲にイナゴが群がっていました。最近は農薬のためかイナゴをすっかり見なくなりました。

しかし今日は頂上でイナゴの群れにあいました。歩を進めると一斉に飛び跳ねました。このところイナゴの群れを見なかったので、なつかしい光景でした。

戦後の話になります。

ちゅうま

当ブログが小学校5・6年生の頃の話です。街はゴザの産業が盛んで、ゴザに関わる仕事をしている人が多くいました。

イグサの生産者、縦糸のカイソを作る人、それを織る人、ゴザを扱う業者などいましたが、一般の人たちもいろいろ関わっていました。

まず織るのに一般家庭の主婦が手動の織機で織っていました。この音が多くの家から聞こえてきました。

製品としては畳表が多かったと思いますが、加工品も作られていました。加工品には着ゴザ(きござ)が多くつくられました。

着ゴザとは畑仕事をする時に、雨を防いだり、背中が日に干されないようにするために使われます。

「着ござ」の画像検索結果 着ゴザ  ネットで拝借しました
 
着ゴザは両端を整えるのに、糸で編み、裂け目を入れます。編むことと、裂け目を入れることが一般家庭の内職に出されていました。

この内職をわが家でも行いました。編むことは子供ではできないので、裂け目を入れるのが子供の仕事でした。

この両方の作業のことを「ちゅうま」と呼んでいました。この「ちゅうま」の意味がこれまで分かりませんでしたが、このブログを書くに当たり調べてみると、次のようなのに出合いました。

「住宅建築で、畳の大きさを幅3尺・長さ6尺と決めた造り方。京間、田舎間に対して、主に名古屋地方で行われる。中間 (ちゅうま) 。または(中京間)」

おそらくこれから来ていると思われます。

裂け目を入れるには、櫛型の刃物で解いて行きますが、両方で手間賃は1枚10円だったように思います。

いつも遅れてしまい叱られていました。解くのは1枚で3円をもらっていました。

この着ゴザは2重にして、中に油紙を入れました。着ゴザは今でも使われています。

その他に加工品としては、着ガサがありました。
「着ござ」の画像検索結果 着ガサ  ネットで拝借しました

着ガサはゴザで出来た雨具です。小学校低学年の頃、雨の日はこれをかぶって学校に行きました。高学年の頃は唐傘になりました

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