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2017年10月23日 (月)

戦後の生活・・・映画

戦後の頃の娯楽に映画がありました。その頃当ブログが住んでいた街には映画館はなく芝居小屋でした。芝居小屋は回り舞台を備えたあの懐かしい建物です。

 
芝居小屋  ネットで拝借しました
「芝居小屋」の画像検索結果 芝居小屋の中  ネットで拝借しました

わが街の芝居小屋は、上の写真ほど立派ではありませんでしたが、造りは同じです。戦後の頃には芝居はほとんど行われておらず、映画がほとんどでした。学校の学芸会にも使われていました。
 
子供ですからいつも映画を観に行けるわけではありません。名作の映画も掛かりましたが、入場料が高く、観に行ったことはほとんどありません。「7人の侍」が掛かったときは、中学校からまとまって観に行きました。

小学校の頃は3本立てで入場料の安い映画ばかりでした。そのような映画はチャンバラとか母ものでした。

映画は白黒で、始めにオマケのような感じで5分間位「 日本ニュース」 が映し出されました。中身は、折々のニュースや世相、話題などでしたが、子供でも面白く見られました。

チャンバラ映画の内容は覚えていませんが、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、市川右太衛門らが人気俳優でした。

これらの俳優が緊迫した場面に現れると拍手が起こりました。それだけ真剣に観ていたと思います。その頃の遊びもチャンバラでした。またケン(メンコ)の絵もこれらの俳優が多くありました。

母もの映画は3本立ての中に組まれていたのでよく観ました。三益愛子主演が多かったように思います。ほとんど忘れましたが「母○○」というような題名のもの多かったと思います。

その頃の映画はいつもフィルムが2・3回は切れました。次に始まったときは場面が跳んでいました。

映画は遊びの延長で、たまに見に行った程度です。学校の校庭では夜スクリーンを作り、「ナトコ映画」が行われました。


「ナトコ」とは16ミリ映写機のことで、太平洋戦争終結後の連合軍による民主化促進プログラムとして行われた啓蒙活動です。

「ナトコ」はNational Company製の映写機からとった名であり、教育映画の浸透の為、レンタルされた映写機です。

戦後娯楽がなかった時代、映画は最高の娯楽でした。たまにしか見れなかったですが、芝居小屋も、校庭に張ったスクリーンも懐かしい想い出として残っています

台風21号は今日未明御前崎付近に上陸しました。上陸時期は91年以降では最も遅い台風だったようです。

今朝は晴れ上がりました。富士山が見えるのではないかと浜名湖の瀬戸に行ってみました。昼頃だったので富士山の上の方は雲の中でした。

Pa230008 富士山

浜名湖はまだ台風の余波があり、遊歩道に波が打ち寄せておりました。

Pa230004 遊歩道に打ち寄せる波   土砂も打ち寄せられていた

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