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2017年11月

2017年11月29日 (水)

鳳来寺山(紅葉)

鳳来寺山はもみじ祭りが行われています。紅葉を見がてら、鳳来寺山本堂まで歩いて来ました。1425の石段歩きです。

参道駐車場に車を置き参道を5分ほど歩きます。この参道は昔の面影が残っており、心癒されます。紅葉があちこちに見られます。

Dsc00028 駐車場前の紅葉

Dsc00033 参道の紅葉

もみじ祭りの期間中で、登る人、降りる人に出合いながらの石段歩きです。石段の途中にもあちらこちら紅葉が見られます。

Dsc00034 石段登り口

仁王門、傘杉、高松院と登って行きます。塔頭や宿坊跡が各所にあります。昔の賑やかさが偲ばれます。

Dsc00037石段途中の紅葉

Dsc04631 傘すぎ

傘杉はこれまで約60mで日本一高いとされてきた杉ですが、昨日の新聞にこれを越える杉があったと報道されていました。

「林野庁は28日、京都市左京区の大悲山国有林にある「花脊(はなせ)の三本杉」のうち1本が、樹木としては日本一の高さとなる62.3メートルであることを確認したと明らかにした。これまで最も高いとされていた愛知県新城市にある鳳来寺の傘杉(59.6メートル)を上回った。」

Dsc00038高松院の紅葉

鳳来寺本堂に着きました。広場は多くの人で賑わっていました。この先には鳳来寺山パークウェイの駐車場があり、そこから来ている人が多いようです。

Dsc00045 鳳来寺本堂と鏡岩

Dsc00039 鳳来寺本堂の紅葉

鳳来寺山山頂はさらに40分ほど歩きます。今日はここで引き返しました。1時間30分ほどの歩きでした。

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2017年11月28日 (火)

豊橋の鎌倉街道

一昨日普門寺の紅葉を見に行ったとき、収蔵庫のご開帳があり、住職が仏像の説明をしてくれました。その中に頼朝公等身大の不動明王像がありました。

 


下が「普門寺もみじ祭り」のポスターで、写真が不動明王像です。その他にもその下の写真のように、国重要文化財の仏像がありました。

 

 

 「普門寺もみじ祭り」ポスター

書物によると、普門寺は頼朝の叔父によって中興され、頼朝は平家追討の祈祷をして、自分と等身大の不動明王像を造ったとの記述があります。

平家滅亡後、頼朝が上洛する際には普門寺に立ち寄り多くの寺領を寄進し、鎌倉幕府から厚い保護を受けていたことを窺わせる記録もあります。(ウィキメディアより)

 


さて、頼朝が上洛する際に通った道は鎌倉街道と呼ばれています。建久元年(1190)と6年(1195)に頼朝が鎌倉から京への往来に通行したという街道です。

普門寺から弓張山系の普門寺峠を越えて行く道です。下の地図の赤い点線の道です。これを南から北に見ていってみます。今はこの道の一部は無くなっています。

Kamakurakaidou_2

 

 

 

 

 

この道には頼朝公に関わる地名や逸話があります。普門寺から普門寺峠を越え船形山を下ったところに手洗(てあらい)という集落があります。この地名はここで源頼朝が日吉神社を参拝するためでしょうか、手水をしたということです。

 

 

 

 

 

 

手洗の近くに葦毛(いもう)湿原があります。ここで頼朝の愛馬「葦毛(あしげ)」が急死しました。それでその名がついたようです。

 

Dsc02595 葦毛湿原

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また近くに鞍掛神社という名の神社があります。頼朝が鞍を奉納して武運を祈願した神社ということです。

 

Dsc06046 鞍掛神社

 

道は山道となり乗小路峠(のりこうじとうげ)を越えて行くと乗小路に出ます。今はこの下に乗小路トンネルが出来、車が行き交っています。ここに説明版があります。

 

イメージ 6    鎌倉街道表示板

 

 

 

Dsc03837 鎌倉街道説明版

 

乗小路からは、忠興(ただこう)を通り、石巻の和田に出、当古(とうご)で豊川を渡って京都へと向かったようです。

乗小路トンネルは昨年(2016年)に出来たばかりです。掘割ということも考えられましたが、そうするとこの歴史ある道が消えてしまうところでした。

普門寺や普門寺峠辺りにはたくさんの史蹟があります。歴史あるものは大切にして行かねばなりません。

 

 

 

 

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2017年11月26日 (日)

神石山(普門寺紅葉)

毎年この時期、恒例となっている神石山に登り、普門寺の紅葉を見るというコースを歩いて来ました。手洗登山口から松林の登山道を登って行きます。

Kamiisitearaikouyou2

先ず神石山に行きました。40分ほどで着きました。雲があり、富士山は見えません。

Dsc02857 神石山頂上

神石山からは普門寺に下ります。25分ほどで普門寺に着きました。紅葉はまだ1週間ほど早いようでした。

Dsc02865 山門付近の紅葉

Dsc02864 本堂付近の紅葉

Dsc02869 納骨堂付近の紅葉

仁王門横には四季桜のヒマラヤ桜も咲いていました。

Dsc02867 ヒマラヤ桜

普門寺は本堂や宝物殿が公開されていました。来週の2日・3日が普門寺もみじ祭りとなっていますが、今日もお店が出て賑わっていました。

帰りはまた登り返し、神石山峠から登山口に戻りました。2時間ほどの歩きでした。

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2017年11月25日 (土)

五葉城址

またいつもの林道を、大原調整池から五葉城址まで歩いて来ました。気温は低くなってきましたが、今日は晴れて風もありません。

Oohara2

林道は花もなく、紅葉もあまり見られません。柿が鈴なりになっている木がありました。小さな柿で渋柿のようです。

Dsc02856 鈴なりの柿

50分で五葉城址に着きました。ご褒美がありました。富士山や南アルプスが見えました。

Dsc02847 五葉城址

Dsc02848 富士山

Dsc02850 南アルプス

1時間40分ほどの歩きでした。冬も近づき、富士山も見えるようになってきました。6人に逢いました。

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2017年11月24日 (金)

井山祐太 囲碁天元防衛

4日前に囲碁の井山祐太が王座を防衛したことを書きましたが、今度は天元を防衛しました。

井山裕太は、七大タイトル 棋聖(きせい)、名人、本因坊、王座、天元(てんげん)、碁聖(ごせい)、十段 を独占しております。

今年10月、2度目となる七大タイトル独占をしてから、防衛戦が行われています。先ず11月20日に王座、そして今日天元を防衛しました。

天元戦の相手は王座戦と同じ一力遼八段でした。第3局は井山裕太が勝ち、3連勝で天元を防衛しました。驚きの強さです。

こんなに強い井山をもってしても、中国、韓国の棋士には負けていました。しかし、10月に行われた国際大会の準決勝で、世界最強とされている中国の柯潔九段に勝ちました。

井山が世界一になることが期待されていますが、井山は以前に一度世界一になったことがあります。

しかし、井山や柯潔九段より強い相手が現れています。それは人工知能(AI)「アルファ碁」です。

人工知能(AI)「アルファ碁」は昨年3月、韓国の李セドル九段に4勝1敗と勝ち越しました。今年5月には柯潔九段に3戦全勝しました。

人工知能(AI)は「アルファ碁」よりもさらに強い「アルファ碁ゼロ」が開発されています。まさかここまで来るとは思いもしませんでした。この先どうなって行くのでしょうか。

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2017年11月21日 (火)

戦後の生活・・・鋳掛屋

戦後の頃わが街にも鋳掛屋(いかけや)が『なべー、かまのー、いかけぇー』というかけ声を掛けながら、回って来ました。

「月夜に釜を抜く(抜かれる)」ということわざがあります。明治、大正から戦後の頃までは、鍋や釜は貴重でした。泥棒が真っ先に狙うといわれるほど高価な物でした。

鍋や釜は補修を繰り返しながら使われていました。その補修を専門に請け負うのが鋳掛屋でした。穴のあいたところや傷んだところに金属を溶かして流し入れ、金槌で叩いて平坦にします。

今ではそうすることはほとんどありませんが、かつてはこの鋳掛けという方法で穴をふさぎ、長く使うのが一般的でした。

鋳掛屋はふいごを持参していました。融点の低い鋳鉄で鋳造された当時の鍋・釜の穴を直すために、鋳鉄片を溶融しうるだけの熱量は、この程度の簡易な装備でも確保できました。

鍋や釜の鋳造技術が未熟であった事が、需要を生み出して成り立っていた商売です。工業が近代化されてくるとプレス加工された安価な鍋が出回るようになり、補修するよりも買い替える方が手軽となりました。

戦後の頃は物を修理して使うのが当たり前でした。他にも修理屋は多くありました。今ではそれらの職種が無くなってしまったり、店の数が著しく少なくなりました。

目立て---のこぎり。  かけつぎ---服。  研ぎ---包丁。  たがの修理---桶・タライ。 歯の交換---高下駄。  骨の修理---こうもり傘。 鉋がけ---まな板。 打ち直し---布団。  仕立て直し---着物。

物を修理して使うということは大事なことと思っています。ノコギリや刃物は今はほとんど交換となっています。衣類も繕うということはほとんどなくなりました。これでよいのかという思いはいつもしています。

  (
ウィキペディア、「昭和に学ぶエコ生活」市橋芳則著、河出書房新社 より引用)

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2017年11月20日 (月)

井山祐太 囲碁王座防衛

井山裕太王座に一力遼八段が挑む、第65期囲碁王座戦五番勝負、第3局は今日11月20日(月)18:10井山裕太王座が3連勝し王座を防衛しました。

井山裕太は、去年4月、囲碁で史上初の七大タイトル(棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖、十段)独占を果たしたあと、去年11月に「名人」のタイトルを失いましたが、その後、6つのタイトル戦をすべて防衛し、今年10月、2度目となる七大タイトル独占を成し遂げました。

また、井山裕太は10月15日に行われた国際大会の準決勝で、現在中国国内のランキングが1位で世界最強とされている柯潔九段に勝ちました。この大会の決勝は来年2月で、同じく中国の強豪、謝爾豪五段と三番勝負で対局します。

大変楽しみにしています。

 

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2017年11月17日 (金)

吉祥山(戦後の生活・・・寮生活)

家から20分ほどのところにある吉祥山に行って来ました。沢沿いに行くBコース登山口から登ります。

50分で頂上に着きました。頂上には6人がいました。山は奥三河3山など見られましたが、富士山は見えませんでした。

Dsc02844 頂上

Dsc02845 左から宇連山、鳳来寺山、明神山

別の話になります。

11月14日に大学のときの寮の同窓会があり行って来ました。昨年56年振りに開かれ今年は2回目です。当ブログは大学1・2年のときは寮に入っていました。

寮生活は昭和34・35年(1959・1960)で、戦後から15年が経っていたときです。この頃は終戦からやっと立ち直りかけておりましたが、何事も質素でした。

昭和35年(1960)は60年安保闘争の年でデモに参加しました。激しいデモをしたわけでもなく、街をシュプレヒコールしながら歩いた程度です。

1学年の寮生は13人という小さな寮でした。屋根と壁と窓があるだけという建物で、部屋は6畳か8畳の和室、1部屋に2人か3人入っていました。夏はうちわ、冬は火鉢だけでした。

食事は食堂でどんぶり飯でしたが、不満はなく、いつもおいしく食べました。女子寮もあり、一緒に食べていましたが、話をするということはありませんでした。

風呂は銭湯に行きました。ほとんど全員がアルバイトをしていました。たまにラーメンの出前を食べるのがごちそうでした。

洗濯は手回しの洗濯機で、それぞれ自分で行っていました。講義を受けるときは学生服でした。

さて、同窓会は女子寮と一緒に行いましたが、半分以上の出席で賑やかでした。同じ釜の飯を食ったもの同士、また昔に戻っての楽しいひとときでした。
 

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2017年11月16日 (木)

戦後の生活・・・手作りカルタ

戦後の頃はゲームもほとんどなかったので、当ブログの親は子供のためにカルタを作ってくれました。これは子供の教育のために作ってくれたと思います。物の無い苦しい時代でしたが、そのようなことも考えてくれていました。

そのカルタは主として″神経衰弱″のゲームとして遊びました。このカルタがその後大変役に立ち、よくぞ作ってくれたとありがたく思いました。

そのカルタは同じものを2枚作ります。そのカードには歴史上の人物などの名前が漢字で書いてありました。ただそれだけです。

例えば清少納言、紫式部、紀貫之、鴨長明、柿本人麻呂、山部赤人、在原業平、小野小町、大伴家持、菅原道真などありました。

Karuta2_2

他には空海、嵯峨天皇、橘逸勢や小野道風、藤原佐理、藤原行成もありました。ゲームをする中で、三筆、三蹟も自然と覚えて行きました。

歌人が目立ちますが、枕草子、徒然草、源氏物語、古今和歌集など書名やそのほかの物もあったように思います。

全部で50種ほどあったでしょうか。うろ覚えですからはっきりしません。このようなものを売っているのを見たこともありませんし、よくぞこれだけの物を作ってくれたと思います。

これを行ったのは小学生の頃で、姉妹3人で行いました。その頃は全く知らない名前ばかりでしたが、何回も行ううちに名前も読み方もすっかり覚えました。姉は8年前になくなりましたが、3人寄ればまだかなり思い出せるでしょう。

その後学校でこれらの名前の人のことを学びましたが、ほんとうに役に立ちました。よくぞ親はこれを作ってくれたと感謝しています。このカードもどこかへいってしまいましたが、親には何の恩返しも出来ませんでした。

大イチョウ

昨日の中日新聞地方版に「大イチョウ 耀く黄葉」という見出しで、設楽町(しだらちょう)川向(かわむき)の東堂神社の大イチョウの記事がありました。

さっそく見に行って来ました。設楽町川向は設楽ダム建設で無人となりました。しかしこの大イチョウはダムが出来ても残るということです。

大イチョウの葉は7割は散っていました。昨日の記事でしたが遅すぎでした。ギンナンの臭気が漂っています。地面は黄色の落ち葉が積もっています。

Dsc02832 大イチョウ

Pb150008 イチョウの落ち葉

この辺りは他にも紅葉がみられました。

Pb150010 紅葉

帰りに以前に来たことのある、設楽町神田(かだ)の「田代のオハツキイチョウ」に寄ってみました。こちらはちょうどよいときでした。

Pb150019 田代のオハツキイチョウ

Dsc02837 表示板

葉の付いたギンナンを探してみましたが、見当たりませんでした。10分の1くらいの割合でお葉付きになるようなので滅多にないようです。

 

 

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2017年11月 5日 (日)

大原調整池(ドウダン)

大原調整池にドウダンの紅葉を見に行って来ました。大原調整池にはたくさんの小径が設けられています。ドウダンの小径を行きました。

Oohara2doudan

Dsc02801 登り口

ドウダンの小径の両脇にはたくさんのドウダンが植えられています。ドウダンは紅葉していました。

Dsc02791 ドウダン

Dsc02790 ドウダン

やがて鉄塔のある広場に出ました。ここからは調整池が見えます。

Dsc02797 鉄塔広場

Dsc02794広場からドウダンと池

ここからは林道があり、少し下ると展望台があります。展望台からは周りの山々を見渡すことが出来ます。

Dsc02798 展望台

Dsc02800 展望台から本宮山と吉祥山

展望台からは林道を下り、途中からレンゲツツジの小径に入り、登り口まで戻りました。

池の周辺は桜などが紅葉していますが、まだそれほどではありません。三連休の日曜日、散歩やジョギングの人が多くおりました。

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2017年11月 1日 (水)

五葉城址

大原調整池から五葉城址まで歩いて来ました。林道を登って行きます。

Oohara2

50分で五葉城址に着きました。明神山、宇連山、鳳来寺山など見渡せます。富士山や南アルプスはまだ見えません。

Dsc02779  五葉城址

五葉城址にはリンドウ、センブリの花が見られました。

Dsc02773  リンドウ

Dsc02774 センブリ

1時間40分ほどの歩きでした。

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