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2017年12月14日 (木)

戦後の生活・・・畑

戦後我が家には畑や田んぼはありませんでしたが、父親が農家の出で、幸い父の実家から畑3畝(約300㎡)、田んぼ5畝(約500㎡)借りていました。

当ブログはそんなことは知りませんでしたから、物心ついたころから自分の家の物ばかりだと思っていました。

小学6年生位のとき、急に田も畑も無くなり、借りていたことを知りました。そのときは分かりませんでしたが、この畑・田んぼが戦後の我が家の生活を支えたと思います。

しかし子供ですから、あまり生活のことなど考えません。結構手伝いをさせられ、野良仕事は嫌でした。作物の種まきから収穫まで一通りのことはよく見て知っています。

田んぼは田植えと稲刈りを手伝いました。これは以前のブログに書きました。
には特に芋と小麦を植えました。これらは主食です。芋の苗は屋敷の苗床で作りました

作物を育てるには肥料をやらなければなりません。肥料は下肥でした。下肥は貴重でした。農家では作物と交換して下肥を得ていました。

下肥は肥桶で運びます。“こよおけ“とよんでいました。天秤棒の前と後ろに肥桶をぶら下げ、それぞれの桶の紐を持ち、調子をとりながら歩きます。肥柄杓(こえびしゃく)も持って行きます。

関連画像肥桶の運搬 ネットで拝借しました

子供では桶が地面に着いてしまい駄目です。女性や年寄りは2人で担ぎます。肥が桶の中でピチャピチャと跳ね返るので蓋をしなければなりません。

また畑には肥溜めがありました。肥は発酵されると臭いも無くなり、よい肥となります。瓶が埋め込んであるだけですから、ときどきこの肥溜めに人が落ちました。

因みに当ブログは落ちたことはありませんが、落ちた人を見たことはあります。

関連画像肥溜め ネットで拝借しました

芋は護国芋(ごこくいも)というのを作りました。これは水っぽくて甘みの無い芋でした。味よりも量ということで、国を護る芋と名付けられたようです。

pre_02.jpg護国芋 ネットで拝借しました

麦は、麦踏のときは面白くできました。普段踏んではいけない作物を踏むのですから、堂々とした気持ちでした。

また病気の黒穂が出来たときは、その穂をためらいなく抜くことがきました。その穂で麦笛を作って遊びました。収穫した後は麦殻で篭を作ったりしました。

麦は石臼で粉にしました。粉をうどんやすいとんにして食べました。家には野菜畑もあったので、借りた土地には主食を作りました。

終戦直後の頃は芋や大根の入ったご飯でしたが、やがて麦の入ったご飯となり、白米だけになったのは大分後になってからです。白米は今でもあたりまえでないような気がします。

今では米を除いてはこれらの作物も作られなくなり、農作業風景も変わりました。時代が変わろうと食べ物は大切にしなければなりません。食べ物を粗末にすることは堪えられません。
  

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