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2017年12月17日 (日)

戦後の生活・・・真空管

戦後15年、昭和34年(1959年)寮生活をしていた大学1・2年生頃の話になります。戦後やっと立ち直りかけて来た頃です。

その頃はラジオは真空管でした。真空管でラジオやアンプを作るのが流行りでした。

ラジオは5球スーパーラジオを作りました。部品はパーツ屋に出かけ、買い集めました。部品数は多く、規格に合う部品を手に入れるのが難儀でした。

5球スーパーラジオ  ネットで拝借しました

シャーシ(部品を付ける台)はアルミ製で穴開けなどもすべて自分で行いました。加工する道具も揃えました。一番使用する道具はハンダごてでした。



アンプも作りました。アンプはレコードをかけるときの増幅器を言います。良い音を出すため出力管(真空管)にこだわりました。

アンプ  ネットで拝借しました

アンプは3台ほど造りました。いろいろ作り替えたので、部品の抵抗やコンデンサーはみるみる溜まって行きました。スピーカーの大きな箱も作りました。

アマチュア無線機も作りました。アマチュア無線家をハムと呼び、その頃は流行りでした。アマチュア無線機は受信機と送信機を備えています。

「真空管アマチュア無線機写真」の画像検索結果

アマチュア無線機   ネットで拝借しました

当ブログも資格を取り、「JA2DQJ」というコールサインを持っています。アマチュア無線独特の呼びかけをしますと誰かが答えてくれます。 初めて交信が出来たときの喜びは忘れることが出来ません。

今でもこのコールサイン使うことが出来ますが、無線機も無くなり、50年以上行っていません。

 

テレビも作りました。これはそれほどでもありません。キットになっていました。全部品が揃っており、組み立てて行くばかりになっています。テレビはもちろん白黒で、真空管でした。

当時寮生活をしており、寮の仲間の前で初めて映ったときは皆が喜んでくれました。やはり映ったときは感激でした。

関連画像

テレビ  ネットで拝借しました

その頃はテレビも広く復旧しておらず、珍しがられました。金がかかったように思われるかもしれませんが、親からは援助を受けていません。バイトで得た金です。

 

その後の電気製品の進歩は著しいものがあります。このように部品から扱うということは今は無くなってきていると思います。こんな世の中になるとは想像もできませんでした。

今は真空管を知る人も少なくなってきています。真空管、トランジスタ、半導体、IC回路 へと進展を供に出来たことをうれしく思っています。

 

今日は二川の東山に行って来ました。駐車場の車が多いのにはびっくりしました。葦毛湿原は荒涼としておりました。

Dsc00195 葦毛湿原

Dsc00197 東山頂上

寒さは厳しいですが、この寒さに耐えて歩くのは気持ちよいものです。2時間ほどの歩きでした。

 

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