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2018年2月28日 (水)

神石山、戦後の生活・・・サーカス小屋

湖西市梅田から神石山に行って来ました。

Toyohasiumeda_2

登山口の新池は改修工事が終わり、水を入れるばかりになっていました。
 
Dsc00505新池
 
仏岩、ラクダ岩を迂回して行きます。鉄塔沿いの道で電線の下の木が切られ、展望がよくなっています。浜名湖や太平洋がよく見えます。

Dsc00497 途中からの眺め

1時間で神石山頂上です。ここまでに30人ほどに逢いました。今日も多くの人が来ています。富士山は霞んでいて見えませんでした。

Dsc00502 神石山頂上

下りは途中から別の道を下りました。これが大失敗、登山口からはるか離れた所に下りてしまい、上りの倍の2時間かかって戻りました。合計3時間の歩きでした。

別の話になります。

戦後の頃はサーカス小屋が掛かりました。小さな街でしたが毎年来ました。空き地に丸太を組み、テントを張って小屋が出来あがります。小さなサーカス団でした。

サーカスが来ると、子供は喜び小屋掛けのときから楽しみにしていました。毎年見に行きました。当ブログが4年生の時に見たサーカスのことを書きます。

小屋はほぼ満員で、子ども・大人半々ほどでした。小屋は広くもないので大掛かりな道具を使うサーカスではありません。空中ブランコのようなものはありません。

曲芸とか、犬の芸でした。最後は日本髪を結ったお姐さんの日本舞踊でした。その頃は芸能と言えば日本舞踊が中心でした。

お姐さんはあでやかな衣装で優雅に踊っていましたが、終わり頃に近づいて着物を脱ぎ始めました。1枚1枚脱いでいって肌襦袢だけになりました。

当ブログも遊び仲間でストリップと言う言葉は知っていましたが、このサーカスがそれをするということは思ってもいませんでした。
 
お姐さんは肌襦袢も脱ぎ腰巻だけになりました。幼心にもここまでだろうと思っていましたが、お姐さんは腰巻も取りました。
 
腰巻を畳んで巻き、腰を落として片膝を着きました。腰巻を持った手は前にあてていました。ここで幕が下りました。
 
子供も女性もおりましたが、このサーカスは何でもありでした。戦後でとにかく生きて行くということが最初でした。何故か翌年からはサーカスも来なくなりました。

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