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2018年3月

2018年3月30日 (金)

桜満開   歌と動画

花に嵐と言いますが、今年は天気が良く、今は桜が満開です。近郊の桜を見に行って来ました。

二川の大蔵山は高さ100mほどの山で展望台があります。ヤマザクラとソメイヨシノが満開です。

Dsc00756 大蔵山展望台

豊橋動植物園はヤエシダレザクラの紅・白の桜が満開でした。

Dsc00754 豊橋動植物園

豊橋運動公園は満開、散り始めている桜もありました。

Dsc00741 豊橋運動公園

Dsc00744 豊橋運動公園 花筏

当ブログは童謡の「花かげ」 が好きです。“♬ 十五夜お月様ひとりぼち 桜吹雪の花かげに 花嫁姿のお姉さま に揺られてゆきました” という歌詞です。

明日は満月、桜は満開です。まさに日がぴったりと歌に一致します。

3月26に見に行った蒲郡市西浦 専称寺のシダレサクラを動画にUPしました。

 

追記

これは3月31日の満月です。

Dsc00763 満月

 

 

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2018年3月29日 (木)

一本桜ベスト10

一本桜100本から当ブログが良いと思った10本を選んでみました。
 
1.弁天さんの桜   長野県須坂市豊丘  樹齢250年
花であふれんばかりの枝が風に揺れています。これは迷うことなく1番です。
 
2.麻績(おみ)の里舞台桜   長野県飯田市座光寺   樹齢350
旧座光寺小学校舞台校舎脇に植えられています。飯田市でも1・2を争う桜です。
 
3.水中(みずなか)のしだれ桜  長野県高山村水中  樹齢250
勢いのある大桜です。薄緋色の花が滝の如く咲き誇ります。
 
4.和美(なごみ)の桜   長野県高山村   樹齢100 
村の公民館隣に立つ形のよい桜です。村人に愛されている桜です。
 
5.杵原学校の枝垂れ桜   長野県飯田市山本  樹齢80
旧山本中学校杵原校舎前にあります。空一面の桜です。 
 
6.和佐の苗代桜     岐阜県下呂町和佐   樹齢400年
苗代田に桜が映っています。3本ありましたが今は2本の大木です。
 
7.黒部のえどひがん桜   長野県高山村黒部   樹齢500
山里の水田に立ちます。孤高の気高さがあります。
 
8.岩太郎のしだれ桜   岐阜県萩原町四美  樹齢120
 土手から突き出すように幹が聳えています。岩太郎が植えました。
 
9.わに塚のサクラ   山梨県韮崎市  樹齢300 
塚の上にある見事な一本桜です。八ヶ岳と桜が実によく似合います。
 
10.水戸野(みどの)のシダレザクラ  岐阜県白川町水戸野  樹齢400年
茶畑・苗代田の中に咲く花の色が美しい桜です。
 
10本選びましたが、これに続く桜も大差ありません。2位からはどの桜であっても構いません。
 

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2018年3月28日 (水)

一本桜100本苦労話

一本桜は100本訪ねました。初めから100本を目指していたのではありません。気楽に一本桜を訪ねるつもりでしたが90本あたりになってから100本を目指しました。

 

百名山は決まっていますが、一本桜は100本決まっているわけではありません。全国では一本桜の素晴らしい名木は相当な数あると思います。

 

当ブログが訪ねた一本桜は長野、岐阜、山梨など近県の桜や愛知、静岡など近郊の桜です。100本探すのが大変でした。五大桜は訪ねました

 

一本桜は新聞、ネット、テレビ情報、雑誌などで探しました。80本目くらいになると近くではなかなか見つかりませんでした。

 

桜が咲いているのは1週間ほどです。満開の時季を見つけるのがむずかしく、ネットで調べたり、電話問合せなどしました。満開時期は年により桜によりずれます。

 

まだ咲いていない時は2回、3回と行くこともありました。遅かったときは翌年行ったりしました。

 

桜の場所がなかなか見つからず、その近くを行ったり来たりすることが多くありました。ひと際大きなピンクの大木が見つかると大体それがその一本桜です。

 

100年以内で枯れてしまう木が多い中で、一本桜は100年~500年ほどの木が多いようです。神代桜は2000年、薄墨桜は1500年です。

 

一本桜の多くは老木に鞭打たせて花を咲かせています。感動いたします。しかしやがては枯れてゆきます。この100本に載せた中でも知っているだけで2本は枯れてしまったようです。一宮町の“金沢の山桜”と東栄町の“龍洞院の枝垂れ桜”です。

 

青空を背景に満開の桜、近くに雪を被った山が見えるとより桜が引き立ちます。しかし曇っていても雨でも桜はあります。安心して観に行きました。

 

Dsc02499 わに塚の桜と八ヶ岳(平成24年)

 

桜はパッと咲きパッと散ってしまいます。その潔さが良いのでしょうか。風に吹かれて枝垂れた枝が揺れているとき、散り際の桜吹雪、水面に散った花筏 これらの光景はその時にしか見られませんが大好きです。

 

桜を歌った好きな短歌を2首挙げてみます。

 

       敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花        本居宣長

 

       願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃       西行 

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2018年3月27日 (火)

一本桜追加、浜松フラワーパーク

田原市六連(むつれ)に一本桜を見に行って来ました。ちょうど満開でした。

六連町のシダレサクラ

田原市六連町六郎次  樹齢100年

Dsc00710 六連町のシダレサクラ

Dsc00708 六連町のシダレサクラ

Dsc00707 六連町のシダレサクラの説明板

これで一本桜は101本訪ねました。

 

浜松フラワーパーク

次に浜松フラワーパークの桜とチュウリップを見て来ました。この時季には毎年来ています。桜はちょうど満開でした。

Dsc00714 浜松フラワーパーク

Dsc00719 浜松フラワーパーク

Dsc00717 浜松フラワーパーク

Dsc00722 浜松フラワーパーク

Dsc00725 浜松フラワーパーク

 

都田川堤さくら

帰りに浜松市細江町都田川堤の桜に寄ってみました。ここも満開でした。

Dsc00726 細江町都田川堤の桜

Dsc00727 細江町都田川堤の桜

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2018年3月26日 (月)

一本桜百本

一本桜を昨年までに96本訪ねていました。今日4本訪ね100本となりました。
 
専称寺のシダレザクラ 
 
 蒲郡市形原町明後   樹齢不詳 

Dsc00691 専称寺のシダレザクラ

Dsc00698 専称寺のシダレザクラ

Dsc00695 専称寺門

長福寺のヤマザクラ

 豊川市赤坂西裏  樹齢300年

Dsc00680 長福寺のヤマザクラ

Dsc00684 長福寺のヤマザクラ

Dsc00679 説明板

今水桜

 新城市一鍬田 江戸彼岸桜  樹齢130年

Dsc00661 今水桜

Dsc00665 今水桜

Dsc00663 今水桜

松沢寺のヤマザクラ

 御津町金野檜河津  樹齢250年

Dsc00669 松沢寺のヤマザクラ

Dsc00672 松沢寺のヤマザクラ

Dsc00666 案内標柱

松沢寺のヤマザクラはまだ3分咲きほどでしたが、他の桜は満開でした。

一本桜100本になりましたが特に定まった桜ではありません。長野県の須坂、飯田、岐阜県の高山村、下呂など近郊の桜です。100本を見つけるのに苦労しました。

   

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2018年3月24日 (土)

雲谷山、カタクリ

葦毛湿原から雲谷(うのや)山(NHKTVアンテナ)に花を見に行って来ました。雲谷山はカタクリで有名です。
 葦毛湿原にはショウジョウバカマ、ハルリンドウが咲いています。コバイケイソウも大きくなってきました。

Dsc00614 コバイケイソウ

尾根道の峠にはキスミレ、ヒロハアマナが咲いていました。ヒロハアマナは花が開いていません。時間が遅くならないと開かないようです。

Dsc00617 キスミレ

Dsc00615 ヒロハアマナ

尾根道からは太平洋が見えます。

Dsc00619 太平洋

TVアンテナ付近にはカタクリが群生しています。ちょうど今が盛りでした。

Dsc00624 カタクリ

Dsc00626 カタクリ

今日は大変賑わっていました。2つの駐車場も車がいっぱいです。登山道では絶えず人に出合いました。やはりカタクリを見に来ているのでしょうか。

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2018年3月23日 (金)

宇津山、1日で長時間歩いた山

3月13日行った湖西市入出(いりで)の宇津山にミツバツツジを観に行って来ました。13日のときはまだ咲き初めでしたが今日は一番の盛りでした。

Dsc00598 ミツバツツジ

Dsc00601 ミツバツツジ

桜も咲き出していました。

Dsc00606 ミツバツツジと桜

浜名湖も見えます。

Dsc00605 宇津山頂上から

13日には帯のような卵もオタマジャクシとなっていました。

Dsc00597 オタマジャクシ

黒部五郎岳
1日で最も長く歩いた山について書きます。1つは黒部五郎岳です。14時間歩きました。
避難小屋に泊まり、真っ暗な4:25に小屋を出て黒部五郎岳に登り、飛越トンネル登山口まで戻りました。登山口に着いたのは18:45で暗くなりかけていました。 
 
 北ノ俣岳避難小屋
 
霞沢岳
72歳の時登った霞沢岳も14時間掛かりました。徳本峠小屋に泊まり、翌日霞沢岳に登って上高地まで戻りました。
 
この時もまだ暗い4:00に小屋を出、上高地に戻ってきたのは17:50でした。ピークが多く上り下りの激しい山でした。標準時間よりはかなりオーバーしています。 
 霞沢岳より穂高
 
笠ケ岳
笠ヶ岳のときは13時間歩きました。前日は水晶岳に登り、双六小屋に泊まりました。小屋を5:25に出発し、笠が岳に登って新穂高駐車場に18:40に戻りました。
 
この時のことをもう少し書きます。
 
この日は9月4日で入山4日目でした。この時季は日も短くなってきており、最終日で大変疲れてきていました。天気も曇ってきています。
 
弓折岳、秩父平、抜戸岳、笠ケ岳山荘前を通り笠ケ岳に着きました。歩き始めて6時間でした。もうへとへとでした。笠ケ岳頂上は曇っていて全く展望はありません。
 
 笠ケ岳頂上
 
これからは下りなので、新穂高登山口まで降りることにしました。また笠ケ岳山荘前を通り、分岐から笠新道を降ります。笠新道を通るのは初めてです。
 
この笠新道は大変な道でした。地図では近いように見えますが、岩の曲がりくねった道です。笠新道に入ってしばらくすると岩場があります。
 
ここで酷い目に遭いました。岩場を下りはじめたときから“ここで雷が来なければよいが”と思っていました。
 
心配したことは起こりました。やがて雷と土砂降りの雨です。もうここは運を天に任せるしかありません。雨具は着ていましたが、ザックを放り投げ、岩にすくんでいました。
 
雷はやがて通り過ぎました。大分下の方にいた人が心配して声をかけてくれました。雷には多く遭っていますが、ここも怖い雷でした。
 
笠新道の長いのには疲れました。なかなか林道に着きません。やがて下に林道が見えたときは救われた思いでした。登山の中でもこんなうれしい林道出合はありませんでした。
 
あとはゆっくり歩きましたが、駐車場に着いたときは真っ暗、手探りで歩いているような状態でした。おまけに何もかもびしょ濡れ、ザックの中は水が溜まっていました。
 
それから車で5時間、夜中に家に着きました。64歳の時でした。
 
 
 

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2018年3月22日 (木)

歌のあるブログ(その1)

当ブログは懐かしい歌や童謡が好きです。これまでいくつかのブログに歌を載せて来ました。 
 
昨日の中日新聞にも 「一緒に歌を歌う 認知症の母 生き生きと」 という記事がありました。老人ホームでも知っている歌を一緒に歌うと、互いの感情が落ち着き、穏やかな気持になり、生き生きとして来るということです。 
 
歌は生きる力を与えてくれます。心が安らぎ、懐かしさがこみあげて来ます。穏やかな落ち着いた気持になれます。これまでにブログに載せた歌をまとめてみました。
 
 
 
 
 
 
  歌        ( 歌を載せたブログ)

母の歌 (母への恩、葦毛湿原

やさしいお母さま (〃) 

ああ、モンテンルパの夜は更けて (本宮山“フィリピン戦”) 

長崎の鐘 平尾山“広島・長崎原爆”) 

ひろしまの母 (〃) 

笛吹童子 (戦後の生活・・・ラジオ放送

紅孔雀 (〃)

絵日傘 (戦後の生活・・・童謡

仲良し小道 〃)                  

うれしいひなまつり 〃) 

リンゴのひとりごと 〃)            

かえり船 (歌・浜名湖・山“清水みのる詩集”) 

ふるさとの燈台 〃)

シーハイルの歌 座談山“スキーの想い出”)

旅の夜風 (愛染かつら

青い山脈  (赤岩尾根“懐かしの映画”)

月見草の花  (愛知県民の森・シャクナゲ北尾根 

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2018年3月21日 (水)

山小屋

当ブログは延べ1300回ほど山に登っています。そのうち500回くらいは里山の繰り返しなので実質登った山は800山位です。今日は山小屋について書きます。
 
テントを持って行ったのは数回で後は山小屋でした。荷物は軽くし、テント設営や食事などなるべく手の掛からないようにしました。
 
たくさんの山小屋に泊まりましたが、辿り着いた山小屋は命のよりどころでした。泊まらせてもらうだけでありがたく思いました。

登り始めた頃は昔風の丸太を組んだような小屋が多く、トイレも汲み取り式でした。寝るところはカイコ棚のようになっているようなところでした。体を横たえることが出来ればよいのでそれでじゅうぶんでした。
 
ただ混み合うのはたいへんでした。これは仕方のないことですが、ひどいときは互い違いに寝、人の足の臭いを嗅ぎながら寝るということになりました。
 
1人1畳なら上等です。ゆっくり休むことが出来ます。そのため宿泊する山行きはなるべくシーズン外れを選びました。水晶、槍、北穂高、笠、聖などは8月下旬から9月初旬を選びました。

山小屋にも特徴があります。平成24年、霞沢岳へ登ったとき徳本峠(とくごうとうげ)小屋に泊まりましたが、新しい小屋が隣に建てられておりました。新しい方は満員で古い方に泊まりました。
 
これが懐かしい感じでした。天井裏のようなところで梁を跨いで移動します。頭をぶつけておりました。徳本峠小屋は大正12年に建てられた小屋で今後も保存して行くということです。

徳本峠小屋
 
今では多くの山小屋が新しく立て替えられ、トイレもバイオトイレとなっています。それまではトイレは悩みでした。臭気著しく便は積もっていました。おまけに傾いていて戸も閉まらないような状態のところもありました。
 
北ノ俣岳避難小屋、小無限小屋など泊まるだけの小屋、幌尻山荘、大朝日小屋など管理人は居るが食事・寝具のない小屋などいろいろあります。
 
山小屋には多くの思いがあります。夕食はおいしくたくさん食べられます。夜は満天の星、泊まった人たちと山の情報交換など山小屋は山と同じほど想いに残ります。
 
また一方、豪華な山小屋も増えて来ました。ホテルと思しき様なところもあります。山小屋は命をつなぐところです。泊まれるだけでありがたいと思っています。
 
今日は春分の日です。あいにく朝から雨が降り、気温もかなり低めです。暖房がなければ居られません。奥三河の豊根村では雪が10cm積もったということです。しかし桜はもう1週間もしたら満開でしょう。

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2018年3月20日 (火)

戦後の生活・・・水路・河口・湖の魚

戦後はとにかく食料がありませんでした。子供の頃は食べ物を獲りに行くことが遊びでした。その頃は農薬も無く、山、川、湖、野原、田んぼも自然が一杯でした。

田んぼは水路が造られており、水路にはメダカ、小ブナ、ドジョウなどの魚がいました。水路は細く浅かったので遊べました。これらの魚を獲るには石箕いしみ)を使いました。簡単に獲れます。

 石箕  ネットで拝借しました

水路に入れた石箕を浚うように動かして掬うと獲物が入ります特に食料となるのはドジョウでした。

田んぼにはタニシがおりました。大人も子供も一緒になって獲りました。田んぼに穴があり、そこに手を入れるとタニシがいます。たくさん獲ることが出来ました。味もよかったように思います。

 タニシ  ネットで拝借しました

川や湖には小ハゼ、ブシなど小魚がいましたが、これは全くの遊びで、子どもでも飽いてしまうほどの小魚でした。ミミズで釣っていました。

四手網(よつであみ)でこれらの子魚を獲っている人もいました。たくさん獲って佃煮にしているようです。

四手網  ネットで拝借しました

河口では刺し網でハゼ、羊歯の束を沈めておいてモエビを獲りました。これは父親と和船で行きました。夕方仕掛けをしておき、翌日揚げに行きました。

ハゼは網の目の大きさのハゼが掛かるので大きいのが揃っていました。モエビもまとまって獲れ、これらはごちそうになりました。

他に竹の筒を沈めておきウナギを獲っている人もいました。シジミは誰でも簡単に獲れました。その頃は漁業権もありませんでした。

川は決してきれいではありませんでした。生活排水が流れ、ゴミも平気で捨てられるような時代でした。それでも魚がいました。汚れているなりに調和は保たれていたようです。

 

井山は一昨日のNHK杯囲碁トーナメント戦で昨年に続き優勝しました。NHK杯連勝は4人目ということです。

しかし、昨日行われた国際棋戦第2回ワールド碁チャンピオンシップ決勝戦では韓国の朴九段に敗れ初優勝を逃しました。

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2018年3月17日 (土)

母への恩、葦毛湿原

母は限りなく私を愛してくれましたが、何の恩返しも出来ませんでした。山を歩いているとき危険な目に何度か会いましたが、その度ごとに母が私を助けてくれたと思っています


当ブログが好きな母の歌、2曲を挙げてみます。1曲は「母の歌」です。これは小学生の頃、全国唱歌ラジオコンクールでよく歌われていました。今はNHK全国音楽コンクールとなっています。

もう1曲は童謡の「やさしいお母さま」です。これは
当ブログが生まれた昭和15年に出来た歌です。この歌と共に成長して来ました。懐かしい限りです。


葦毛湿原におたまじゃくしの卵があるか見に行って来ました。ありました。アズマヒキガエルの卵です。13日に宇津山で見たのと同じです。

これは初めて見ましたがホトケドジョウが同じところにいました。
葦毛湿原はもう何年も来ていますがこれまで気が付きませんでした。
 
ショウジョウバカマも咲いていました。今日はたくさんの人が葦毛湿原に来ていました。

Dsc00594 ショウジョウバカマ(3/21)

モクレンも咲いています。

Dsc00591 モクレン(3/21)

 
 

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2018年3月15日 (木)

比丘尼城跡

新城市中宇利の比丘尼(びくに)城址は、桜の園として整備が続けられている山です。まだ若木が多いですが、山の面々には多品種の桜が多く植えられています。

Dsc00590 桜の園入口

早咲きの桜から遅咲きの桜まで多種ありますが、早咲きの桜が咲いて居る程度でした。

Dsc00585

10分ほど登ると東屋があり、吉祥山や本宮山が形よく見えます。

Dsc00580 吉祥山、本宮山

 ところどころハルリンドウも咲いています。

Dsc00588 ハルリンドウ

 最高点は比丘尼城跡で、さらに行くと愛の鐘というのが造られています。

Dsc00583 比丘尼城跡

一周して降りて来ました。満開になるのは10日くらい後になるでしょうか。今日はたいへん暖かい日で汗ばみました。50分ほどの歩きでした。

 

今日の中日新聞夕刊に「豊橋の93歳 富士山登頂」という記事が大きく載っていました。昨年の登山者で最高齢ということです。

冨士山頂の浅間大社は、数え年70歳以上の本人だけが生年月日や住所を記帳できるようになっているそうです。これまでの最高齢者は103歳だそうです。

富士山登頂にはいろいろな記録があります。気の遠くなるような記録ばかりです。この男性は豊橋の近くの本宮山にも月20回以上登っているそうです。

本宮山も大変な山で、当ブログは2時間掛かります。大変なので年1回登る程度です。この男性を励みにしてこれからも山を楽しんで行きたいと思います。

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2018年3月14日 (水)

南アルプス落石間一髪

平成23年70歳の時に南アルプスを聖岳、兎岳、赤石岳と一周して来ました。その時に遭ったことを書きます。
家を朝3時に出て、大井川沿いの寸又峡から井川湖に向かう狭い林道を走っているときでした。林道の左は高い崖、右は切れ落ちたような大井川という道でした。

5時頃であったので明るくはなってきていました。畑薙第2ダムで送迎バスに乗るべく急いでいました。すると
左上の崖から大石が落ちて来ました。80cm四方、厚さ30cmほどのやや平べったい大石です。

この石だけが落ちて来ました。崖崩れのあったような場所でした。この石が落ちて来るのに気が付き、2mほど前で止まりました。石は車の前でゆっくり振動しながら止まりました。臼が振動して止まるときのような動きでした。

大変なことでしたが、とにかく命拾いしました。1秒早ければ直撃されて千尋の谷底のような川に落ちていたかもしれません。

さてここを通過せねばなりません。ひとりで動かせるような石ではありません。垂直に近い崖だったので、石は山側で止まっていました。

石とガードレールの幅は無理すればやっと車が通れるほどです。その時は急ぐ気持ちがあり、石に乗り上げて通ることにしました。

車は石に乗りあげられず、ガードレール側に押し出されました。
ガードレールに僅かに接触し通過できました。時間を要することもなく通過できました。車は小型のRVでした。

この時車に傷がついてもそれほど悔しいという思いはありませんでした。それはそれ以上に運が良かったことが多かったからです。

石が車を直撃しなかったこと、石が山側で止まったこと、丸い石ならば道の真ん中に来たかも知れません。車が小型であったことなど誰かに助けられているとしか思えませんでした。
平成26年に起きた御嶽山の噴火は紅葉のあの季節、快晴のあの日、昼時のあの時間でした。御嶽山は歴史に残るような噴火はありませんでした。そんなこともあるのです。

送迎バスでこの話をすると運転手が “今朝そこを通ってきた。崩れたところの土砂を取り除いて来た” いうことでした。どうやら今度は大石が落ちたようです。間一髪でした。
                                                  
通過後は山へ行く気持が漲って来ました。しかし山も苦労の連続でした。3日後の帰りもここを通りましたが、石は片付けられていました。

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2018年3月13日 (火)

宇津山、前穂高岳紀美子平

宇津山(うずやま)は湖西市入出(いりで)にある高さ54mの小さな山です。浜名湖に突き出した半島にあり、時季には山一面にミツバツツジが咲き乱れます。 

 

Shoutaiji

 

 

まだ早すぎると思いましたが、少し咲いていました。モクレンの花も咲きかけています。

 

Dsc00574 ミツバツツジ

 

 

Dsc00573 モクレン

浜名湖が見渡せます。うぐいすも啼いていました。

 

 

Dsc00578 浜名湖

 

宇津山は正太寺(しょうたいじ)の境内で、池にはヒキガエルの卵が長々とありました。

 

Dsc00572 ヒキガエルの卵

桜のつぼみも大分膨らんできています。もうすっかり春です。

 

別の話になります。
 
前穂高岳頂上直下に紀美子平があります。この紀美子平はどうしてこの名が付いたんだろうと思っていました。
 
このように人の名前の付いた登山道、小屋、峰などたくさんあります。多くが男性の名前です。ここは紀美子という名前に引かれました。
 
紀美子は氷壁に出てくる美那子のような美しい女性で、何か悲恋でもあったんだろうかと思いました。
 
調べてみました。岳沢ヒュッテには紀美子平に由来した説明文が張ってあるそうです。紀美子は妙齢な女性と言うのでなく、可愛い幼児でした。
 
「穂高岳山荘の初代あるじである今田重太郎は大正時代から穂高開発に専念して来ました。昭和25年頃、絶えず遭難の起こる前穂高岳と上高地を結ぶ岳沢に安全に登山のできる道の建設に取り掛かりました。
妻のマキと幼少の娘・紀美子をともなっての工事でした。険しい前穂高岳の山腹に小さな平地を見つけてテントを張り、その中に紀美子を寝かせて、夫婦は工事にいそしんだのです。
やがて出来上がった道は誰呼ぶことなく重太郎新道と呼ばれ、多くの登山者に利用される道となりました。
娘紀美子は23歳になって突然病死しました。そしていつしかテントを張っていた場所を紀美子平と呼び親しむようになったのです。」
(穂高岳山荘刊 槍穂高より)

感激しました。幼児をテントに寝かせながらの夫婦の過酷な作業。登山者のためにひたすら道を作りました。ありがたい限りです。紀美子は生きていれば70歳位でしょうか。

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2018年3月12日 (月)

宇連山、川売の梅

川売(かおれ)の梅を観がてら、棚山高原林道から宇連山(929m)に行って来ました。

 

 

Uresan2

 

川売の梅林の道を上がって行きます.。林道を終点のゲートまで車で入ります。
ゲートから林道を30分ほど歩くと宇連山への登山口があります。登山道は霜柱があり、岩には氷が貼りついているところもありました。

Dsc00550 林道からの登山口

Dsc00569 登山道の霜柱

登山道に入って1時間で頂上に着きました。天気が良く南アルプスが鮮やかに見えました。

Dsc00555 宇連山頂上

Dsc00557 南アルプス 左は塩見岳

Dsc00561 右から聖、赤石、悪沢

Dsc00568 富士山

明神山が眼前にどっしりと見えます。鳳来湖も見えています。

Dsc00558 明神山

頂上には2人が居り、県民の森から登って来たと言うことです。また同じ道を戻りました。2時間40分の歩きでした。

川売の梅林へも寄りました。まだ1週間ほど早いようです。それでも下の方まで車がいっぱいでした。

Dsc00543 川売の梅林

Dsc00546 川売の梅林

山と花、両方が楽しめました。

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2018年3月11日 (日)

吉祥山、東日本大震災

吉祥山を歩いて来ました。快晴だったので山が見えるか楽しみにして行きました。林道登山口から登ったので30分で頂上です。

Kitijourindou2

Dsc00536 吉祥山頂上

雲はありませんでしたが、富士山や南アルプスは見えませんでした。もうこれからは霞で見えなくなるのでしょうか。奥三河三山は正面に見えています。

Dsc00535奥三河三山 左から 宇連山、鳳来寺山、明神山

帰りはAコースを下り、途中からCコースに入り、登り口まで戻りました。今日もうぐいすの鳴き声を聴きました。1時間20分の歩きでした。

東日本大震災後、7年経ちました。忘れないようにと思いながらも、つい遠ざかってしまうことを戒めています。

東日本大震災死者・行方不明者数が減って行くようにと願ってこれまで見てきました。

2011年  3月 28,000人   大震災直後
2011年  6月 23,000人   3ケ月後
2011年  9月 19,867人   半年後
2012年  3月 18,998人   1年後
2012年 10月 18,649人   1年半後
2013年 11月 18,534人   2年半後                           2014年  9月 18,490人   3年半後                                                               2015年  3月 18,475人   4年後
2016年  9月 18,451人   5年半後                                
2018年  3月 18,434人   7年後

行方不明者は今も捜索されています。.何もできませんが、せめて3.11という日を忘れないようにしたいと思います。

 

 

 

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2018年3月10日 (土)

平尾山

大原調整池から平尾山(464m)に行って来ました。平尾山は豊橋市で一番高い山です

Ooharachouseihiraoyama

 

林道を40分ほど歩くと五葉城址です。展望は良いのですが、雲があり富士山や南アルプスは見えませんでした。

Dsc00520 五葉城址から新城方向

五葉城址から林道に戻り、平尾山に進む登山道へ入ります。すぐに高城砦に着きます。高城砦は木が切られ案内板や説明板が設置されていました。

Dsc00525 高城砦

五葉城址から30分で平尾山頂上に着きました。木に囲まれていて展望はありません。

Dsc00529 平尾山頂上

頂上からは宇利峠側に尾根道を歩いて行きます。15分ほど歩くと開けた所に出、浜名湖や三ケ日の街がよく見えます。

Dsc00533 浜名湖

この辺りで今年初めての鶯のさえずりを聞きました。すぐに鉄塔があり、ここから大原調整池への林道に戻りました。沢を歩くところもあり、水は先日の雨でかなり増えていました。

花はまだ見られませんが、木の芽は膨らんでいました。2時間10分の歩きでした。

今日は東京大空襲73年です。1945年3月10日、10万人の命が一夜で奪われました。

また明日は東日本大震災7年です。1万8千人が犠牲となりました。

 

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2018年3月 6日 (火)

啓蟄、春祭り

今日は冬籠りしていた虫が這い出るという“啓蟄です。松の幹に巻き付けた菰はずしもこの頃です。菰巻きは冬の風物詩でした。

葦毛湿原におたまじゃくしの卵があるか見に行って来ました。全く見当たりませんでした。帯のように太く長い卵です。

Dsc00514_2 葦毛湿原

葦毛湿原の温度計は12度でした。寒いということはありません。木々も小さな芽を吹いていました。

Dsc00515_2 葦毛湿原の温度計

3月4日(日)に当ブログが総代をしている神社の春祭りを行いました。寒い日が続いていましたが、この日は暖かい日でした。

拝殿では浦安の舞、式典、新入学児童のご祈祷を行います。新入学児童が可愛いしぐさで玉串奉奠をします。幸多かれと願わずにはいられません。

境内では甘酒、綿菓子、だんごなどのサービスが行われます。その係の人たちが賑やかに盛り立ててくれました。

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2018年3月 3日 (土)

戦後の生活・・・桃の節句

今日3月3日は桃の節句です。昔の我が家のひな人形について書きます。
               
桃の節句には、3歳上の姉のひな人形を飾っていました。月遅れの4月3日に行っていました。貧弱なものばかりでしたが飾るのが楽しみでした。
                          
姉が生まれたのは戦前の昭和12年で、長男や長女が生まれると、親戚からひな人形をもらっていたようです。その頃は生活は貧しく、立派なものではありません。
 
まず箱と板を使って雛段を作ります。赤い毛氈などないので白いシーツを敷きます。雛人形は御殿とガラスケースに入った人形3ケースと大きな人形だけでした。

御殿は畳んであるのでそれを組み立てます。中のひな人形はネズミ食われてなかったので、折り紙で作った人形を中に入れていました。
 
ケースに入った人形はそれを出すだけですが、1つは橋の上に立つ侍と日本髪の女の人の人形でした。それが何の人形なのか、母に聞いたことがあります。
 
渡辺綱と女の人は鬼が化けているということでした。これは後でわかったのですが、一条戻橋で渡辺綱が鬼を退治したその人形のようでした。

後のケースは舌切り雀とおじいさんとおばあさんの人形、もう一つは日本人形でした。大きな人形は60cmくらいあり、おなかを押すときゅうきゅうと音が出ました。

この人形を“でころぼ”と呼び着物を着せていました。どうしてこう呼んでいたのかパソコンで調べてみましたが出て来ません。“でっころぼ”と言うのがあり、ごく一部の地域で人形のことをこのように呼んでいたようです。

こんな貧弱なひな人形でしたが、毎年出すのが楽しみでした。当時は5段飾りなど知りませんでした。これで満足でした。花は菜の花を飾り、お供え物はあり合わせのものでしたが、あられや菱餅を作った年もありました。散らし寿司は毎年母や祖母が作ってくれました。
 
追記
 
3月6日中日新聞文化欄“今週のことばに桃の節句の説明がありました。                            

「桃は中国古来より邪気を払い長寿をもたらすものとして珍重され、日本に伝来しては桃の弓や杖で鬼を払う追儺(ついな)式や桃太郎伝説となり、雛の節句として今日に至っている。」

 
 

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2018年3月 2日 (金)

ラクダ岩、舞鶴引揚記念館(2)

湖西市梅田峠からラクダ岩を一周して来ました。

Toyohasiumeda3

登山口の新池は少し水が溜まりかけていました。昨日雨が降ったからでしょうか。一昨日は全く水がありませんでした。

Dsc00506 水が溜まりかけた新池

梅田峠からいつも行く道と違う林道をラクダ岩の方へ歩きました。40分でラクダ岩に着きました。富士山が霞んでやっと見えました。

Dsc00508 富士山

Dsc00509 浜名湖

ラクダ岩からはいつもの道を下り一周して来ました。

別の話になります。

2015年12月28日のブログに舞鶴引揚記念館について書きました。舞鶴引揚記念館の訪問者数は1991年に20万人を越えていたが、2012年には7万人を割った という新聞記事を書きました

訪問者数がたいへん減っていることに対し舞鶴市は、記念館をリニューアルし、“保存から発信へと梶を切って行くように計画している と発表していました。そのことがその後どうなったか大変気掛かりでした。戦争遺産に関心が薄れて行くのか心配でした。
 
昨日(2018年3月1日)の中日新聞夕刊にそのことに関する記事がありました。「舞鶴記念館 新装へ シベリアの苦難 肌で」というタイトルでした。
 
「シベリア抑留の関連資料を保存する京都府舞鶴市の“舞鶴引揚記念館”が改装と増築工事を終え、4月24日にリニューアルオープンする。・・・・
引揚記念館は市が88年に開設した。91年に20万人を越えていたが、12年には7万人を割りこんだが、世界記憶遺産に登録された15年には13万人を超えるなど、再び関心が高まりだしている。・・・・」
 
来月いよいよリニューアルオープンです。前の舞鶴引揚記念館のブログから2年余りです。とにかく記念館が再オープンされることはたいへんうれしいことです。
 
リニューアル事業は館内の改装と増築をし、抑留生活体験室も作ったということです。機会があれば当ブログも是非再訪問したいと思っています。

戦争は年々風化され、遠ざかっています。当ブログは戦争を知る最後の世代となりつつあります。戦争のことを少しでも伝えねば と言う気持ちがあります。
 
戦後の頃のラジオ放送で「尋ね人」がありました。 また、引揚船の「興安丸」が舞鶴港に入港したというニュースもよく聞きました。
戦争による苦しみと悲しみ、平和の尊さを忘れ去ってはなりません。
 

 

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