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2018年3月 3日 (土)

戦後の生活・・・桃の節句

今日3月3日は桃の節句です。昔の我が家のひな人形について書きます。
               
桃の節句には、3歳上の姉のひな人形を飾っていました。月遅れの4月3日に行っていました。貧弱なものばかりでしたが飾るのが楽しみでした。
                          
姉が生まれたのは戦前の昭和12年で、長男や長女が生まれると、親戚からひな人形をもらっていたようです。その頃は生活は貧しく、立派なものではありません。
 
まず箱と板を使って雛段を作ります。赤い毛氈などないので白いシーツを敷きます。雛人形は御殿とガラスケースに入った人形3ケースと大きな人形だけでした。

御殿は畳んであるのでそれを組み立てます。中のひな人形はネズミ食われてなかったので、折り紙で作った人形を中に入れていました。
 
ケースに入った人形はそれを出すだけですが、1つは橋の上に立つ侍と日本髪の女の人の人形でした。それが何の人形なのか、母に聞いたことがあります。
 
渡辺綱と女の人は鬼が化けているということでした。これは後でわかったのですが、一条戻橋で渡辺綱が鬼を退治したその人形のようでした。

後のケースは舌切り雀とおじいさんとおばあさんの人形、もう一つは日本人形でした。大きな人形は60cmくらいあり、おなかを押すときゅうきゅうと音が出ました。

この人形を“でころぼ”と呼び着物を着せていました。どうしてこう呼んでいたのかパソコンで調べてみましたが出て来ません。“でっころぼ”と言うのがあり、ごく一部の地域で人形のことをこのように呼んでいたようです。

こんな貧弱なひな人形でしたが、毎年出すのが楽しみでした。当時は5段飾りなど知りませんでした。これで満足でした。花は菜の花を飾り、お供え物はあり合わせのものでしたが、あられや菱餅を作った年もありました。散らし寿司は毎年母や祖母が作ってくれました。
 
追記
 
3月6日中日新聞文化欄“今週のことばに桃の節句の説明がありました。                            

「桃は中国古来より邪気を払い長寿をもたらすものとして珍重され、日本に伝来しては桃の弓や杖で鬼を払う追儺(ついな)式や桃太郎伝説となり、雛の節句として今日に至っている。」

 
 

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