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2018年6月

2018年6月30日 (土)

神石山、夏越の祓(なごしのはらえ)

昨日、神石山を歩いて来ました。いつもの松林を行く道です。蜘蛛の巣が張るようになり、ストックは蜘蛛の巣取りに役立ちます。

Dsc01361 松林

もうササユリは全く見られませんでした。山により違いがあるようです。45分で頂上に着きました。2人がいました。

Dsc01366 頂上

霧でいつも見える浜名湖もよく見えません。

Dsc01363 浜名湖

また松葉の積もった道を、せせらぎの音を聞きながら戻りました。


半年が過ぎ、神社では「夏越の祓」、別名「茅の輪くぐり」が行われているところがあります。

 茅の輪(砥鹿神社)  ネットで拝借しました

「夏越の祓」は今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるよう祈る行事です。夏の風物詩になっているところもあります。

写真の図ように8の字を描いて3回廻ります。豊橋近くの神社でもいくつかの神社で行われています。「年越の祓」もありますが、これを行う神社はほとんどありません。

ここからは以前(4/11),(5/1)の続きの話になります。

新しい学年になり、新しい職場になって3ケ月が過ぎました。大変な3ケ月であったろうと思います。学校や仕事のことが分かってくるにつけ、楽しいこともありますが、苦るしいこともあります。

よく3ケ月間頑張りました。今度は3年間続けてください。新卒者では、1年以内での退職者が12%、3年以内では32%いるようですが、仕事が分かるのは年月が掛かかるようにも思います。

数字合わせで3週間、3ケ月、3年ということで書き出しましたが、3ケ月と3年の間が長すぎるので、次は1年を目指して続けてほしいと思います。続けているうちに分かってくることもあります。

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2018年6月27日 (水)

山行き 交通

今では里山ばかりで厳しい山に行くことは無くなりましたが、山は800座ほど登っています。その時の交通について書きます。交通は経費節減をいつも考えました。

 マイカーで行くことが圧倒的に多かったですが、北海道・九州・東北北部は飛行機で行きました。飛行機は10回以上使いましたが、旅行代理店は使うことなく直接予約ばかりでした。

その頃はJALは超割、ANAはバーゲンがあり、1/3ほどの運賃でした。平成20年からこれらはなくなりました。平成19年に登った最後の100名山トムラウシのときまでありました。

しかし飛行機の予約を取るのは大変なことでした。2ケ月前の定まった時間に売り出されます。パソコンの前で、その時間にキーを押すのを待ち構えています。

その時間になると申し込みが殺到し繋がりません。何度もそのようなことがありました。時間が遅くなると売れ切れてしまいます。取れた時はホッとします。

礼文・利尻へ行ったときは稚内空港まで行くつもりでしたが取れず、旭川空港からレンタカーで稚内まで行きました。飛行機のときはその後の交通は全てレンタカーを使いました。

レンタカーもパソコンで安いところを探しました。屋久島のときは軽の予約でしたが、スーツを着た美しい女性が安房港へ来ていました。大きな会社と思いきや、事務所は小屋のようなところで、その女性がすべて一人で行っていました。お値打ちに借りられました。

ほとんどの山はマイカーで行きました。縦走などできずまたその登山口に戻って来なければなりませんでしたが、その頃は目的がピークハントでしたのでそれでよかったのです。

マイカーでは高速道路を利用しましたが、夜間割引や通勤割引の時間帯を利用しました。高速代とガソリン代はかなりの金額となりました。

車もなるべく長く乗り続けました。今の車の前のラッシュ(トヨタ)は18万km、その前のCRV(ホンダ)は27万km、その前のクレスタ(トヨタ)は17万km乗りました。

07125_271036kmCRV(ホンダ)の走行距離

宿泊もなるべく節約しました。山小屋はもう寝られるだけでありがたいと思っていました。1畳あれば上等でした。

一般宿泊も公共施設や民宿がほとんどでした。食べて寝て風呂があれば山への備えが出来ました。こんなふうで北は利尻島、南は屋久島まで行くことが出来ました。

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2018年6月25日 (月)

富幕山、戦後の生活・・・電話機

浜松市引佐町の富幕山(とんまくやま 563m)に行って来ました。いつもの奥山高原から登ります。

Tonmakuyama

登山道にはいくつかの花が見られました。ササユリはもう遅いと思いましたが20本ほど咲いていました。

Dsc01357 ササユリ

Dsc01352 オカトラノオ

Dsc01356 ウツボグサ

頂上には50分で着きました。きょうは浜名湖が大分霞んでいました。今年3月に展望台が出来、浜名湖が一望できるようになりました。

Dsc01358 浜名湖

ここらでは1番高い山なので高原気分が味わえ、入れ代わり人が来ています。もう夏に入り汗が流れました。
別の話になります。

戦後の頃は電話のある家はほとんどありませんでした。当ブログが初めて電話を掛けたのは小学校高学年の頃で、電話を掛けると先ず郵便局の交換台がでます。

そこで相手先の番号を伝えると、交換手が交換台でジャック(ひも回線)を相手先に接続する仕組みになっていました。

電話機 ネットで拝借しました

電話機ははじめは壁掛け型でしたが、卓上式になって行きました。市外への通話は時間が掛かり、しばらく後に接続の連絡が入りました。

交換手は女性の職業とされていました。以前に書きました「北のひめゆり事件」(真岡郵便電信局事件)も電話交換手で、戦争の犠牲となりました。

交換台 昭和30年頃     ネットで拝借しました

やがて交換手の過重、秘密保持などから自動交換機の時代となりました。郵便局での手動交換から自動交換と移って行きました。

昭和30年頃になると電話も普及してきて、設置を申し込んでも1年以上待たねばならぬ状態でした。

スマホを先日買いました。違いに改めて驚いているところです。1年以上も待たなければならなかった電話も、売らんかなという時代です。時代の違いを感じています。

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2018年6月23日 (土)

沖縄「慰霊の日」

陛下は1981年の記者会見で『日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つはあると思います』と述べられています。 

四つとは、広島、長崎に原爆が投下された8月6日と9日、終戦の8月15日、もう1日は何時でしょうか。それは沖縄で大規模な戦闘が終結した6月23日です。

この中で6月23日が本土ではあまり知られておりません。沖縄県では日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」とし、休日にして平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式を行っています。 

6月17日(日)の中日新聞サンデー版「変質する沖縄戦」という2ページの内容でした。下記は見出しに書かれていた文です。

『あったことをなかったことにする。戦時下、学童疎開船・対馬丸撃沈に、箝(かん)口令が敷かれたのもその1例です。戦後、住民が重い口を開き、日本兵による住民虐殺や集団死が明らかになりました。一方で、日本軍の「勇戦敢闘」、学徒隊の「殉国美談」といった話がもてはやされ、しだいに軍の残虐行為や住民犠牲は見えにくくなって行きます。』

戦果は過大に、被害は過少に報道され、言葉も「全滅→玉砕」、「撤退→転進」、「虐殺→犠牲」など美化された言葉で報道されました。

今日は沖縄「慰霊の日」です。戦争のことが遠のきつつあります。沖縄では73年前の地上戦で住民が巻き込まれ20万人以上が犠牲となりました。これは沖縄県民の1/4にあたります。 

沖縄は戦中・戦後、犠牲を強いられています。今日6月23日を忘れないようにしたいと思います。

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2018年6月21日 (木)

スマホ購入顛末記 その4

先日やっと格安スマホを買いました。苦労しました。格安スマホは今は郵便局でも取り扱っています。取扱業者はたくさんあります。

これらの業者には店舗販売は無く、公式サイトのみというところもあり、SIMカードだけ替えることもできます。また使用回線が違っていたり、組み合わせがあったりで複雑です。

朧げにスマホの世界が分かってきました。スマホ代を最も安くするには、スマホと格安SIMカードを買い、設定すればよいわけです。

当ブログは設定は出来ないので息子が行いました。スマホはiphoneにし、SIMカードはmineoにしました。月々の基本の支払いは1522円です。
 
偶然が重なって2回とも買わずに済みましたが、1回目は普通のスマホで6666円、2回目は一括格安スマホで3218円でしたから大変な違いです。

しかし、これは使用目的により違いがありますから、一概に比較できません。当ブログがスマホを持ったのは、時代に遅れないようにという思いが主なのであまり使いません。
 
最低の金額のスマホで十分です。前2回をキャンセルしたのは幸運でした。今後この金額が続いて行くわけですから大きな違いです。

このスマホをただ持っているだけになっては意味がありません。今はこのスマホを使えるように悪戦苦闘中です。パソコンとは大違いです。

手に入れて2週間ほどになりましたが、LINEがやっとできるようになり、昨日孫と遣り取りをしました。こんな素晴らしい機能があることにビックリです。

まだまだその他の機能がいっぱいあります。これらの機能を覚えて行くことが楽しみでもあり苦痛でもあります。

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2018年6月19日 (火)

地方都市空襲、三河地震

戦争末期は日本本土各地に空襲がありました昭和20年の今日6月19日は豊橋空襲のあった日です。624人が犠牲となりました。

前日の6月18日は浜松大空襲がありました。浜松は軍事都市ということで27回の空襲があり、約3000名の死者を出しています。浜松大空襲は浜名湖北岸のわが街からも見えたということです。当ブログは4歳でした。

7月20日の岡崎空襲では280名の犠牲者がでました。8月7日の豊川海軍工廠の空襲では2500名以上が犠牲となりました。全国では200以上の都市が被災しております。

8月6日に広島、8月9には長崎に原爆が落とされました。こんな状況下にありながらも、その時の日本国民の圧倒的多数は日本は勝つと信じていました。戦争はやっと8月15日に終わりました。

そもそも戦争に突入した時点でアメリカと日本の石油生産量や経済格差は雲泥の差でした。勝つ見込みのない無謀な戦争に突入し、しかも国民の大多数は勝つと信じていました。いったいこの落差はどこから来るのでしょうか。

今や戦後生まれの人口は80%となり、太平洋戦争も過去の出来事として忘れられつつあります。豊橋近くにも戦争遺跡は多くあります。多くの人が訪れてほしいと思っています。


昨日大阪で震度6弱の地震がありました。4人が犠牲になりました。特に4年生の子が学校の、しかも通学路でブロック塀の下敷きになったのは痛ましい限りです。何としても子供の命は守らなければなりません。

戦争中の昭和20年1月13日、三河地方にも大地震がありました。当ブログが4歳のときで、この地震を知っています。障子や板戸が長い間ガタガタと揺れて、特に親が不安げだったのを覚えています。

これは三河地震と言われ、愛知県西尾市が震源地でした。死者1000人以上を出しています。2500名以上とも言われています。大きく違いのあるのは地震の被害報告は僅かしか残っておらず、現在も詳しいことが分かっていないからです。

これは何故だったのか。戦時中だったからです。当時は政府によって国民の戦意を低下させないために報道管制が敷かれていました。軍事工場の被害が漏れることを防ぐため、地震発生の報道はされたものの、その他のことは多くが伏せられました。

戦争というのはこんなものです。自然災害の報道さえ伏せられました。まして戦況など国民には知らされませんでした。国民は最後まで勝つと思っていました。

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2018年6月17日 (日)

五葉城址、アザミ

新城市の大原調整池から五葉城址に行って来ました。

 Oohara2

林道ゲートから歩いて行きます。林道にはウツボグサがたくさん咲いています。林道の頂上まで途切れることなく咲いています。ササユリはもう終わりで萎れたのが1本あっただけでした。

Dsc01339 ウツボグサ

50分歩き五葉城址に着きました。展望は開けているのですが雲があり遠くの山は見えません。

Dsc01337 五葉城址

アザミやオカトラノオが咲いています。

Dsc01332 オカトラノオ

アザミは平地でも高原でもどこにでも咲いているので珍しくもありません。アザミは60種ほどあり今咲いているのはノアザミで、それ以外は夏から秋に掛けて咲きます。

Dsc01346 野辺に咲くアザミ

Dsc01344 アザミ

当ブログは「あざみの歌」が好きです。この歌は昭和24年の「ラジオ歌謡」で歌われました。その後も折に触れ聞いてきました。作曲者は八洲秀章(やしまひであき)で「さくら貝の歌」の作曲者でもあります。

追記 あざみの歌の碑が霧ヶ峰高原の八島湿原にあります。

Dsc03499

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年6月13日 (水)

東山、アジサイ

葦毛湿原から二川の東山まで歩いて来ました。今は梅雨ですが、雨の日もあれば晴れる日もあります。

Higasiyama_imou2

葦毛湿原のノハナショウブはしおれた花も多くもう終りかけています。カキランがあちこちに咲いています。

Dsc01305ノハナショウブ

Dsc01311 カキラン

尾根道に出てしばらく歩いて行きます。この尾根道にササユリが多く咲くのですが、もう名残のササユリとなりました。

Dsc01312 ササユリ

1時間で頂上です。空気が澄んでいて山や海がはっきりと見えます。

Dsc01315 神石山、座談山

Dsc01316 二川の街と大平洋

午後から歩きましたが5人に逢いました。

アジサイが咲いています。アジサイはどこにでも見られます。アジサイは陽が照っているときよりも雨の方が似合います。 

Dsc01321 我が家のアジサイ

Dsc02918 アジサイ

Dsc02919 アジサイ

Dsc02920 アジサイ

Dsc02921 アジサイ

草もこの前萌え出でたと思っていたらもう繁っています。この草取りが大変です。我が家の小さな庭でさえ、草が繁り、木の枝は伸びてきています。うんざりしています。しかしこの変化を楽しんでもおります。

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2018年6月 9日 (土)

豊川海軍工廠平和公園

今日6月9日、豊川海軍工廠跡地に「豊川海軍工廠平和公園」が開園されました。当ブログはこれまで豊川海軍工廠については見学会、工廠展など1回2回3回4回 書いて来ました。

Toyokawakaigun

戦中、豊川市には豊川海軍工廠(こうしょう)がありました。当時は東洋一の兵器工場と言われました。今は上の図のように工場・自衛隊などに変わりましたが、名古屋大の広い一角はそのまま残されています。

名古屋大の一角に「豊川海軍工廠平和公園」が開園されることになりました。計画があったときから当ブログも楽しみにしておりました。

当ブログは昭和15年生まれで戦前戦後を知る最後の世代となりつつあります。何とか戦争の悲惨さ、苦しみを伝えて行かねばという思いがあり、ホームページにも 戦中戦後の出来事戦中戦後の生活 のカテゴリーを設け書いて来ました。

さて豊川海軍工廠の概要に付いては以前にも書いていますが、もう1度を書きます。「ガイドブック 豊川海軍工廠」より抜粋しました。

『豊川海軍工廠とは「豊川にある海軍の工場」という意味です。豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和14年に宝飯郡の豊川町・牛久保町・八幡(やわた)村にまたがって建設されました。直後に合併し豊川市となっています。

機銃、弾丸、高角砲、双眼鏡などを生産し、東洋一の兵器工場とも言われました。多いときには6万人ちかい人が働き、徴用工員や動員学徒が8割を占めました。
 

 

昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受けました。空襲はすさまじいもので、2,500名以上の人が犠牲となりました。死者の中には国民学校の児童生徒や女子挺身隊(軍需工場などの兵器生産に従事した25歳未満の女子)もいました。』

10時に開園され、さっそく行って来ました。「豊川海軍工廠平和公園」には、第1火薬庫、第3信管置場、防空壕跡、街路灯など残され、平和交流館が新設されました。

Dsc01255 豊川海軍工廠平和公園

これらの建物は以前の見学会のときも見ていますが、傷みの激しいところなどは手が加えられています。

第1火薬庫はコンクリート造の構造体に土をかぶせられて造られました。

Dsc01267 土をかぶせた第1火薬庫

Dsc01275 第1火薬庫入口

Dsc01274 第1火薬庫内部

第3信管置場は爆発事故が起きた際に周りに被害を出さないよう、建物の周囲に土塁を設けています。

Dsc01282 土塁のトンネルを通り中に入ります。このトンネルも当時のまゝです。

Dsc01284 土塁の上から見た第3信管置場

Dsc01289 第3信管置場内部

公園内には防空壕跡や当時使用されていた街路灯も見られます。

Dsc01296 防空壕跡

Dsc01268 街路灯

平和公園には新しく豊川市平和交流館が設けられ、海軍工廠の歴史や戦争遺跡の解説・展示、映像の視聴など行われています。

Dsc01261 豊川市平和交流館入口

Dsc01263 平和交流館内部

以前見学したときは荒れ放題でしたが、かなり手が加えられていました。豊川海軍工廠の戦争遺跡はまだほかにも多くあります。

大変貴重なものが出来ました。平和の尊さを学ぶ場として活用され、多くの人が訪れることを願っています。

ここから5分くらいの所に赤塚山公園があり、しょうぶが見ごろなので寄ってみました

Dsc01302 赤塚山公園のしょうぶ

Dsc01303 赤塚山公園のしょうぶ

Dsc01301 赤塚山公園のしょうぶ

 

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2018年6月 7日 (木)

吉祥山、賀茂しょうぶ園

ササユリを見に新城市の吉祥山に行って来ました。雨の後なので林道登山口から登り、林道ばかりを歩きました。40分の林道にはササユリは2本見られただけでした。
 
反射板のある所に出ます。この柵の中に毎年たくさんのササユリが咲きます。今年も多く咲いていました。

Dsc01227 ササユリ

Dsc01228 ササユリ

Dsc01233 ササユリ

Dsc01226 ササユリ

しかし柵の外側ではあまり見られなくなりました。

反射板から頂上に行きます。この間はササユリが見られません。頂上は曇っており展望は効きません。

Dsc01238 吉祥山頂上

下りは反対側に降り吉祥天女の祠をお参りしました。シイの大木に囲まれた由緒ある祠です。

Dsc01241 吉祥天女の祠

また林道を下り、ゲートに置いた車に戻りました。

この後近くの賀茂しょうぶ園に寄ってみました。ちょうど良いときで色とりどりのしょうぶが見られました。

Dsc01247 賀茂しょうぶ園

Dsc01244 賀茂しょうぶ園

Dsc01249 しょうぶ1

Dsc01251 しょうぶ2

Dsc01252 しょうぶ3

ササユリもしょうぶも十分楽しむことが出来ました。

きれぎれの風の吹くなり菖蒲園     波多野爽波

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2018年6月 5日 (火)

桜の園・ササユリ

新城市中宇利の世界桜の園にササユリを見に行って来ました。登山道下の早苗の植えられた田んぼの畦道には、アザミが咲き、初夏の長閑な景色が広がっています。

Dsc01222 早苗の植えられた水田

桜の園登山口を行くとすぐにササユリが見られます。ちょうど今が一番のときのようです。斜面にたくさん咲いています。

Dsc01211 登山道斜面に咲くササユリ

白、紅両方のササユリが見られます。

Dsc01204 白いササユリ

Dsc01216 紅いササユリ

東屋を越えて雨生山(うぶさん)方向へ行きます。この斜面にもたくさん咲いています。

Dsc01215 ササユリ

Dsc01212 ササユリ

途中から西の登山道の方へ下って行きます。反射板や雨生山が見えています。

Dsc01219 反射板(左)と雨生山(右)

この道沿いにもたくさんのササユリが見られます。

Dsc01217西の登山道に咲く ササユリ

砂礫の道を下って行きます。吉祥山、本宮山が見えています。

Dsc01221 吉祥山、本宮山

40分ほどの歩きでしたが登山道中、どこでもササユリを見ることが出来ました。他にもシライトソウ、ウツボグサ、オカトラノオなど咲いていました。 

偽りのなき香を放ち山の百合   飯田龍太

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2018年6月 2日 (土)

座談山、浜松フラワーパーク菖蒲

ササユリを見に座談山に行って来ました。葦毛湿原から行きます。葦毛湿原にはノハナショウブが咲いていました。

Dsc01195 ノハナショウブ

またコバイケイソウの花も満開です。

Dsc01167 コバイケイソウ

尾根道にはササユリが見られるのですが、咲いていません。やっと一輪咲いていました。まだ早いのでしょうか。

Dsc01196 ササユリ

1時間で頂上です。富士山は見えなくなりました。浜名湖太平洋が見えています。

Dsc01199 座談山頂上から太平洋

行くとき登山口に田植え機がありました。2時間後に下りてくるともう周りの田んぼには苗が植えられていました。その速いのにはびっくりしました。

Dsc01193 田植え機

ササユリが少なくなっているのは残念です。また違う尾根筋を歩いてみたいと思います。

6月となりました。花も移り変わっています。昨日浜松フラワーパークに花菖蒲を見に行って来ました。
 
浜松フラワーパークには、720品種100万本の花菖蒲があります。特に江戸系の古花が80品種あり、これだけ多いところは珍しいということです。
 
Dsc01180 花菖蒲1

Dsc01186 花菖蒲2

Dsc01183 花菖蒲3

Dsc01178 花菖蒲4

しかし今年は花に勢いがありません。どうしたことでしょう。咲く年には花が溢れんばかりに咲きます。

花菖蒲は年により咲き方が違うようです。これはどこのしょうぶ園でもそのようになるようです。プロの園芸家を持ってしてもそうですから難しい花のようです。

 

花びらの 垂れて静かや 花しょうぶ         高浜虚子

 

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