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2018年6月19日 (火)

地方都市空襲、三河地震

戦争末期は日本本土各地に空襲がありました昭和20年の今日6月19日は豊橋空襲のあった日です。624人が犠牲となりました。

前日の6月18日は浜松大空襲がありました。浜松は軍事都市ということで27回の空襲があり、約3000名の死者を出しています。浜松大空襲は浜名湖北岸のわが街からも見えたということです。当ブログは4歳でした。

7月20日の岡崎空襲では280名の犠牲者がでました。8月7日の豊川海軍工廠の空襲では2500名以上が犠牲となりました。全国では200以上の都市が被災しております。

8月6日に広島、8月9には長崎に原爆が落とされました。こんな状況下にありながらも、その時の日本国民の圧倒的多数は日本は勝つと信じていました。戦争はやっと8月15日に終わりました。

そもそも戦争に突入した時点でアメリカと日本の石油生産量や経済格差は雲泥の差でした。勝つ見込みのない無謀な戦争に突入し、しかも国民の大多数は勝つと信じていました。いったいこの落差はどこから来るのでしょうか。

今や戦後生まれの人口は80%となり、太平洋戦争も過去の出来事として忘れられつつあります。豊橋近くにも戦争遺跡は多くあります。多くの人が訪れてほしいと思っています。


昨日大阪で震度6弱の地震がありました。4人が犠牲になりました。特に4年生の子が学校の、しかも通学路でブロック塀の下敷きになったのは痛ましい限りです。何としても子供の命は守らなければなりません。

戦争中の昭和20年1月13日、三河地方にも大地震がありました。当ブログが4歳のときで、この地震を知っています。障子や板戸が長い間ガタガタと揺れて、特に親が不安げだったのを覚えています。

これは三河地震と言われ、愛知県西尾市が震源地でした。死者1000人以上を出しています。2500名以上とも言われています。大きく違いのあるのは地震の被害報告は僅かしか残っておらず、現在も詳しいことが分かっていないからです。

これは何故だったのか。戦時中だったからです。当時は政府によって国民の戦意を低下させないために報道管制が敷かれていました。軍事工場の被害が漏れることを防ぐため、地震発生の報道はされたものの、その他のことは多くが伏せられました。

戦争というのはこんなものです。自然災害の報道さえ伏せられました。まして戦況など国民には知らされませんでした。国民は最後まで勝つと思っていました。

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