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2018年7月

2018年7月31日 (火)

映画「万引き家族」

大変暑い日が続いています。一度見ようと思っていた映画「万引き家族」を涼みがてら見て来ました。映画のあらすじは、
「東京の下町、高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋の建物に、家主である初枝の年金を目当てに、息子の治と信代夫婦、その息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。
彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。
そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れて帰り、信代が娘として育てることに。
そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれに抱える秘密や願いが明らかになって行く。」
とありました。
やがて連れてきた幼い女の子 じゅり まで万引きに手を染めるようになりました。そんな家族でも、ときには海水浴に行ったりもし、明るく楽しく生活を送っていました。
そんな時家主の初枝が死にました。年金を失いたくなかった家族は初枝を床下に埋めることにしました。これは実際にあった事件で、この事件をヒントにこの映画は作られました。
その後も万引きや盗みも続いていましたが、あるときじゅりの万引きがばれそうになり、祥太はわざと自分が捕まる万引きをし、捕まります。
これをきっかけに家族はバラバラになって行きます。その中でそれぞれの秘密が明らかになって行きます。6人は全く血のつながりのない家族でした。
信代は一家の抱えた犯罪は全て自分の犯行として刑に服し、祥太は施設に入り、盗みを疑問視し、自分がどう生きるか考えて行きます。治は1人暮らしとなりました。
じゅりはまたもとの家族に戻され、虐待の被害者となり、団地のバルコニーから遠くを眺めています。亜紀は家に戻りました。
治は初枝の実際の息子でなく、祥太も赤子のときに熱い車の中に置かれているのを見かねて連れてきた子であり、亜紀も初枝の前夫の後妻の息子夫婦の子で血のつながりはありません。
万引きという行為は許されませんが、祥太、じゅりは見過ごすことは出来ず、誘拐のような形で連れてきた子です。
この映画はカンヌ国際映画祭で最高賞を受けました。そういうこともあって見に行きましたが、切なさ、悲しみ、感動がありました。この家族6人には絆があり、血のつながりが家族か考えさせられました。(資料・・・wikipedia)
 

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2018年7月30日 (月)

富士見岩、ぶどうの棚

湖西市大知波の「おちばの里親水公園」から富士見岩に行って来ました。鉄塔沿いの道を行きます。
Fujimiiwa1
今日は気温33度でしたが、木蔭はそんなに暑い感じではありません。カナカナカナとヒグラシが鳴いています。ときに涼風があり心地良く感じました。1時間20分で頂上に着きました。

Dsc01517 富士見岩頂上

Dsc01518 頂上から浜名湖

午後1時頃でしたがこんなとき歩いている人は誰もいませんでした。

別の話になります。

7年ほど前、玄関先に植えたブドウがたわわに実りました。大した世話もせずほったらかしにしていますが、毎年実を付けます。7月14日には房をたくさん付けていました。 

Img_0418_2 7月14日のぶどう

しかしこの頃から鳥が盛んに食べに来るようになりました。2週間後7月29日には大分色付いて来ましたが、鳥に食われた房が目立ちます。鳥はヒヨで何回追い払っても来ます。

Img_0535 7月29日色付いてきたぶどう

Dsc01499_2 鳥に食べられた跡

これでは食われてしまうのでまだ青いですが収穫することにしました。以前にはネットを張ったこともあるのですが、ネットを張る作業がたいへんで今年は止めにしたらやはり駄目です。

CDを吊るすとか、磁石を吊るすとかすると鳥が近寄らないと聞きましたが効果はありません。それほどのぶどうでもありません。

 

 

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2018年7月29日 (日)

原爆を許すまじ

今日の中日新聞1面トップに「核禁止条約 被爆者8割“参加を”」という見出しで記事がありました。
広島、長崎への原爆投下から73年となるのを前に、共同通信が全国の被爆者に核兵器禁止条約について尋ねたアンケートで、“日本政府は条約に参加すべきだ” との回答が8割に上がったことが分かった。国連での採択に反対の立場をとった日本に、被爆者の大半が強い不満を抱き、署名・批准を求めている実情が明らかになった。

という内容でした。

昭和29年3月1日「ビキニ環礁」でアメリカが実施した水爆実験で「第5福竜丸」が被爆しました。広島、長崎に続いて3度目の被爆でした。

この被爆で反原爆の機運が一気に高まり、「原爆許すまじ」の歌が同年の7月に発表されました。

当ブログは昭和38年に就職しましたが、そのころにはこの歌が労働組合の集会で盛んに歌われました。職場には労働組合があり、ほとんどの人が労働組合に入っていました。

集会でよく歌われていたのが、「沖縄を返せ」、「原爆許すまじ」などの歌でした。昭和47年に沖縄は日本に復帰し、それ以降は「沖縄を返せ」の歌は歌われなくなりました。

しかし最近では「原爆許すまじ」の歌もほとんど歌われなくなっているように思います。この「原爆許すまじ」の歌は歌い継がれて行かねばならぬ歌だと思っています。

現在核弾頭数は、ロシア 7000、アメリカ 6800、フランス 300、など9ケ国が保有しており、合計核弾頭数は1万5000発ほどとなっています。

昭和44年アポロが11号が月面着陸に成功し、宇宙から地球見て、「地球は宇宙のオアシスだ」 と言われました。その時は地球規模で核廃絶の機運が高まったように思いますが、また後退しています。

とにかく地球から核兵器は無くさなければなりません。当ブログは世紀の変わった2000年を核兵器絶滅の年だと密かに思っていましたが、もう18年も経ってしまいました。

核兵器禁止条約これは地球規模で見れば当然推し進めるべき条約です。核兵器のないきれいな地球は、地球の当たり前の姿です。

子供たちにきれいな地球を引き渡さなければなりません。青く小さな地球、核廃絶は国を越えて行うことです。1日でも早く廃絶してほしいものです。
 
れた。
昭和29年3月1日、太平洋の中西部の美しい島「ビキニ環礁」でアメリカが実施した水爆実験の灰をかぶって、日本の「第五福竜丸」が被爆した。
わが国の反原爆の機運が一気に高まり、この「原爆許すまじ」の歌が同年7月に発表された。

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2018年7月27日 (金)

豊橋動植物園

夏休みになり、今年4年生になる孫が7月22日、1人で東京から愛知県の我が家に来ました。4月のときはハプニングがありましたが無事に着きました。

海に行き、山に行き飛び回っていますが、今日は豊橋動植物園に行って来ました。4月のとき蒲郡ラグナシアに行き、当ブログはジェットコースター3種類に乗り、たいへん怖い思いをしました。

それならば豊橋動植物園のジェットコースターも怖いだろうかと思い、孫と一緒に乗りました。

Dsc01494 ジェットコースター

このコースターはそれほど怖い思いはありませんでした。前のときに比べると高さ、長さ、カーブの度合い、スピードなど大きく違います。

Dsc01496 ジェットコースター出発

78才ですがこの位のコースターにはまだ乗れるようです。まだ興味があります。しかし“年寄りの冷や水”と言われないようにしたいと思います。

大型のジェットコースターは多くの遊園地で、65歳以上は乗れないようになって来ているようです。ジェットコースターに乗りたければそれまでに乗っておかねばなりません。

豊橋動植物園の入場料についても以前に書きましたが、70歳以上は無料であったのが6月1日より100円となりました。これはよいのですが、小学生は無料が良いと思います。

夏休みともなれば豊橋動植物園は子供の声に溢れています。子供が元気に遊ぶ声は喜びです。

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2018年7月21日 (土)

平成30年 豊川海軍工廠展

「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」で行われている「豊川海軍工廠(こうしょう)展」を見て来ました。毎年夏に行われています。展示会はこれで3年連続で見ています。

Dsc01484 案内板

今年は表彰状、絵画がメインで、その他工廠の歴史を紹介するパネルなど60点が出品されています。

Dsc01457_2表彰状

いろいろな分野の表彰状が多く出品されていました。表彰状が多く出されたのは 戦意の高揚を図るため ということがあったようです。

絵画も多く出品されていました。戦争経験者が高齢化し、戦争の体験を後の世代へつたえることが難しくなっている中で、視覚的に捉えることが出来る絵は貴重です。

Dsc01465台車やリヤカーで遺体をグランドに運んだ。

Dsc01467西門の橋が無くなっており、溝から這い上がって逃げた。

Dsc01469北門から赤塚山の方に逃げた。燃え上がる工廠に呆然と立ちすくむ。

Dsc01473高架の水タンクに爆弾が落ち、女子学生が押し流された。

Dsc01476寮に収容された負傷者は「水・水」と叫んでいた。

絵画以外の展示物もあります。

Dsc01459 500ポンド爆弾(250級キロ爆弾)30分ほどの間に3258発も落とされた。

Dsc01462爆弾の破片。持ってみるとずしりと重く、割れ口は刃物のように鋭い。

その他に10分ほどのビデオがあります。これは詳しく説明してあり、豊川海軍工廠開庁から空襲で壊滅するまでよく分かります。

今年は特に豊川海軍工廠平和公園が出来、広く知られるようになりました。かってこのような事があったことを伝えて行かねばと思っています。

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2018年7月20日 (金)

雲谷山

葦毛湿原からテレビアンテナのある雲谷山(うのやさん)に行って来ました。
Zadayamaunoya
今日も暑いですが葦毛湿原にあった寒暖計では30度でした。他都市では38度のところもあるようですが意外と高くありません。
セミが鳴いていますがツクツクホウシです。以前は夏のはじめはクマゼミやアブラゼミが多かったようですが聞こえません。季節というより場所によるようです。

Dsc01449 今日の温度

Dsc01453 葦毛湿原

シラタマホシクサが咲き始めていました。

Dsc01454 シラタマホシクサ

尾根道に出るまでは木陰ですが、尾根道からは日が当たります。しかし僅かですが風があり慰められます。1時間で雲谷山頂上へ着きました。アンテナがあり不粋です。

Dsc01452 雲谷山頂上

トンボがたくさん飛んでいます。どこの山でも見られますが気流に乗ってくるのでしょうか。

Dsc01451 頂上から太平洋

別の道を降り、葦毛湿原に戻りました。汗びっしょりでした。

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2018年7月16日 (月)

ハスの花

新城市中宇利にある慈廣寺にハスを見に行ってきました。ハスは50種類以上、130鉢ほど植えられています。

Dsc01435 慈廣寺

Dsc01438 ハスの花

本堂前の庭は鉢でいっぱいです。色は紅、白、黄色などあります。平成10年から鉢植えをしているということです。1鉢1鉢ですから大変なことと思われます。

Dsc01444 本堂前

Dsc01437 紅いハス

Dsc01443 白いハス

ハスは日により花が移り変わっています。初日 壺咲き、2日目 椀咲き、3日目 全開、4日目には散り果てます。ハスは花により、咲く時期がずれています。まだ蕾もあります。

Dsc01442 蕾と実

近くにケヤキの2本が合体して1本の木のように見える、縁結びの木があります。

Dsc01445 縁結びの木

今日はたいへん暑い日で岐阜県揖斐川町では39.3度あったようです。豊橋は
33度でした。

追記

中日新聞翌17日の文化面“今週のことば”に蓮の花の歌が載っていました。

にごりにもしまぬ蓮(はちす)の花みればわれも心ぞ清くなりゆく       

藤原教長(のりなが)

蓮は泥水に育つが、泥の濁りに染まらない清らかな花を咲かせています。

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2018年7月14日 (土)

ラクダ岩、釣り

湖西市梅田峠からラクダ岩を一周して来ました

Toyohasiumeda3

ラクダ岩には50分ほどで着きました。

Dsc01432ラクダ岩よりヤマハマリーナのある松見が浦

今日は風も無く気温も高く、午後からの歩きでしたが、気温ほど暑く感じませんでした。汗はほとばしり出ました。

山に来る前に釣りをしてきました。釣りは釣れないのでほとんど来ていません。女河浦で釣りましたが、海水浴場は海開きをしています。泳いでいる人もありました。テントを張っている人もいます。

Dsc01425女河浦海水浴場 

海水浴場の近くの桟橋で釣りました。この桟橋は昨年の台風で上の部分が無くなってしまいましたが、直されていました。
 
Dsc01426 桟橋
 
Dsc01429桟橋から釣り

魚はチンタ、キビレ、セイゴなどいます。しかし今年はまだなにも釣っていません。最初は4月28日にセイゴを狙ってきました。昨年までは大物を釣ったので期待しましたが駄目です。  

釣れないと来なくなります。まだ今年は6回目なので来ていると言うほどでもありません。今日もこの釣り場には誰もいません。ゼンメでしょうか、小さな魚がエサをつつく程度です。針が大きいので掛かって来ません。 

当ブログは延べ竿ばかりです。エサはほとんど残ります。しかしエサ(青虫)は生かしておくことができます。 

これは簡単です。餌箱にわずかに海水を入れ冷蔵庫の野菜入れに入れておきます。手間もかかりません。1ケ月ほど生きています。こうしておけば来たいときに来れます。  

海を眺めたり、なつかしい海水浴場を見たり、周りの山を眺めたり、釣れても釣れなくてものんびりできればよいのです

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2018年7月13日 (金)

豊橋の戦争遺跡(愛大)

以前に豊橋公園の戦争遺跡について書きました。今日は愛大の戦争遺跡についてです。

明治41年、愛知大学やその周辺に第15師団が出来ました。この師団から国内や満州に軍隊が派遣されて行きました。

豊橋は軍都で戦争遺跡が多く残っています。豊橋南部地域では愛大の他に高師原、天伯原、老津、大崎にも戦争遺跡や跡地があります。今日は愛大の構内のみの見学です。


〇旧陸軍第15師団正門・・・明治41年設置

かっては門柱にアーチが掛けられていた。

Dsc01398 正門

Dsc01414正門脇の標柱


第15師団司令部庁舎・・・明治41年建築

洋館風の木造建築。現在は愛知大学記念館として利用。

Dsc01399 司令部庁舎


将校集会所・・・明治41年建築

中廊下のある瀟洒な建物。将校が食事や会議に使用していた。

Dsc01401 将校集会所


養生舎・・・昭和2年建築

戦病没した陸軍教導学校関係者の遺影や遺品などを保存・陳列した記念館。現在は事務所として利用。

Dsc01410 養生舎


〇大講堂・・・昭和2年建築

鉄骨の木造建築で中柱のない大型の建物。現在も体育施設として利用。松は開校時に昭和天皇僥倖の際のお手植えの大松。

Dsc01404 大講堂


哨台・・・明治41年建設

陸軍第15師団兵器保管場所として建設。門脇に哨台があり、人の出入りをチェックしていた。渥美線は旧軍用鉄道として使われていた。

Dsc01397 哨台

(資料・・・豊橋ユネスコ協会パンフレットより)


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2018年7月11日 (水)

吉祥山、戦後の生活・・・おひまち

新城市の吉祥山を歩いて来ました。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。
Kitijoubkosu

木の丸太の長い階段が続いています。道はよく整備されています。

Dsc01394 登山道の階段

1時間で頂上です。8人がいました。

Dsc01392 頂上

Dsc01391 頂上の人

大変暑くなって来て汗が滴り落ちました。帰りはAコースの方へ下りました。

当ブログが小学校低学年の頃の話になります。昭和23年頃です。戦争は昭和16年12月8日から昭和20年8月15日まででした。

戦中は町内会の組の結びつきは強いものでした。昭和15年の隣組強化法によって制度化され、隣組は戦時下の物質の供出、配給、防空活動など行いました(wikipediaより)。
歌にも隣組の歌があります。

隣組による炊き出し  ネットで拝借しました

我が町は戦後も組の強い結びつきは続いていました。月1回の常会が組長宅で行われ、“おひまち”も年2回行われていました。おひまちとは組の親睦会のことです。

当ブログの家は以前旅館を行っていたので広く、おひまちのときは会場となりました。このおひまちの光景を何時も見ていました。

料理を作るのは奥さんたちで家主が宴席に出ました。やがて宴がたけなわになってくると歌が出始めました。その歌は卑猥な歌のようでした。

当ブログは歌がそのような歌であることは全く分かりませんでした。その歌もすぐに覚え、別の日、家でその歌を歌うと母親にどん叱られました。その時は何で叱られるのか分かりませんでしたが、やがては分かってきました。

おひまちでは女性は卑猥な言葉も投げかけられていたようです。時代がそのような時代でした。

しかしそんなにぎすぎすはした感じはありませんでした。普段は近所が打ち解け合って交流もあり、子どもは遅くまで遊びました。

今では近所付き合いが希薄になりすぎています。空巣、孤独死、幼児虐待など起こるとそのことが言われます。

女性も男性もまた世界の人みんなが平等、こんな日はいつ訪れるのでしょう。

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2018年7月10日 (火)

向山緑地公園トーチカ

豊橋中央図書館の戦争資料展に行ったとき、向山緑地公園にもトーチカがあることを知り、さっそく見に行って来ました。

トーチカとは、鉄筋コンクリート製の防御陣地を言う軍事用語で、今ではあまり聞く言葉ではありません。以前に二川のトーチカについて書いております。

Dsc01379 向山緑地公園のトーチカ

上の写真の穴の開いたコンクリート部分の所をトーチカといいます。その上の碑は同時に造られたか戦後に造られたか分かりません。

上の碑には文字が書いてあります。「豊橋工兵隊の跡」と書いてあります。

Dsc01382 トーチカの上の碑

こんな街中にトーチカがあるのはおかしいと思っていたら、やはりこれは訓練用のトーチカでした。

二川トーチカは、遠州灘海岸から侵攻してくる敵を砲撃する目的で、海岸線に造られています。

豊橋は軍都で各所に軍隊がいました。向山緑地公園は工兵隊の訓練所でした。明治40年、向山町に工兵第15大隊が置かれました。

Dsc01375 工兵隊の碑

このトーチカには3方に銃撃用の穴が造ってありました。この中に入って敵を狙撃する訓練をしたようです。腹這いで銃撃したのでしょうか。

Dsc01381  向山緑地公園のトーチカ

またこのトーチカの横には白い高い塔があります。

Dsc01378 平和の塔

この塔は「平和の塔」です。日清戦争以後の戦没者・犠牲者の追悼と世界平和を念願して昭和40年に建立されました。

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2018年7月 9日 (月)

戦後の生活・・・巡航船から二俣線へ

浜名湖の北を通る二俣線(現在の天浜線)が開通したのは昭和11年です。当ブログは昭和15年生まれなので物心ついたときには汽車がありました。

それまでは浜名湖巡航船が三ケ日、尾奈、鷲津、佐久米、舘山寺などつないでいましたが、二俣線が開通すると浜名湖巡航船も無くなって行きました。Junkousen

しかし巡船の名残は各所に見られました。巡航船の港が家の前にあり、その頃我が家は旅館を営んでいましたので、家には旅館の屋号を書いた看板やランプや宿帳、帳場の囲いなど残っていました。

前の汽船場だった家には小学生の頃よく遊びに行きました。切符を渡す窓口があり、日付を入れる機械が残っていて、それをカチャカチャ押して遊びました。

また港は河口で桟橋がありましたが、その頃は杭だけがいくつか残っていました。また大人たちはわが家を屋号で呼んでいましたし、前の家は汽船場と言っておりました。

港はやがてトンコ船の港となり、弁天島から砂を運んでいました。近くは砂場となり遊ぶにはよかったですが、持ち主から叱られ、目を盗んでは遊んでいました。

港は川であったのでたくさんの和船が繋留されていました。その頃は漁業をしている人も多く、また畑への肥の運搬などにも使われていました。

やがて川底も浅くなり、トンコ船も入れなくなって行きました。船も船外機となり、繋留所も別の所に造られました。護岸工事もなされ昔の面影は全くなくなりました。岸にはヨシが繁っていましたがコンクリートで固められました。
川では魚もよく釣りました。ぴんたい(チンタ)、はぜ、ふな、うなぎ、えび、小魚など捕りましたが今では全くいなくなりました。竿、さで(タモ)、よつで、さしあみ、シダ束など使って取りました。

このような変化はどこでも同じと思います。海岸線もほとんどがブロックやコンクリートとなりました。ときに砂浜の海岸を見ると心が癒されます。

浜名湖巡航船は今では浜名湖遊覧船として引き継がれており、瀬戸と舘山寺を結んでいます。巡航船が我が家の前まで来ていたとは夢のようです。

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2018年7月 8日 (日)

平成30年戦争資料展

毎年、豊橋市中央図書館で「平和を求めて」と題して戦争資料展が開かれています。今年は「戦争と家族・仕事」というテーマでした。
資料展は昨年一昨年も見ています。

Dsc01370 会場入り口案内板

展示物は説明、写真、絵、実物などです。写真は撮影禁止となっていますが、これらはすべて冊子に纏めてあり、その場で説明を読み切らなくてもよいので助かります。冊子は無料です。

Dsc01372 冊子

冊子の「はじめに」の欄には「・・・・小どもたちやその保護者にも関心が持てる家族や戦時中の仕事をとり上げる。体験者への聞き取りを中心に、戦争により様々な制約を受けた苦しい生活の姿を紹介し、多くの世代の方々に戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えたい」とありました。

ここでは展示物の項目と少しの説明を書くのみといたします。

・古関裕而・金子(きんこ)夫妻の戦争・・・・・・・・金子夫人は豊橋出身

・豊橋空襲1000人余の命を救った駅職員や機関士の判断・・・・・予定発車時間より早くに出発

・長野県満蒙開拓平和記念館を訪ねて

・戦前、戦中、戦後の豊橋の商工業・・・・・豊橋商工会議所月報から見る豊橋の動き

・「戦前、戦中 豊橋思い出画帖」から見る商家の暮らしと空襲・・・・絵がとても緻密に描いてある

・こま犬 わが家の「小さな平和遺産」・・・・・空襲のとき埋もれたこま犬出て来る

・思い出のはがきと東京大空襲・・・・・当時のはがき

・満洲、豊橋での戦争体験・・・・・戦中戦後の体験

・天と地から、そして食糧難にやっつけられた・・・・・空襲、地震、食糧難

・身近な地域にも戦争があったことを知り、平和の大切さを実感した子どもたち・・・・・戦争遺跡訪問

戦争は年々風化され、遠ざかっています。最後の項目のように戦争による苦しみや悲しみを知り、平和の尊さを実感することは大切なことです。

 

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2018年7月 1日 (日)

井山本因坊防衛、半夏生

第73期囲碁本因坊戦七番勝負第5局は6月30日、7月1日と行われ、井山祐太本因坊が山下敬吾九段に勝ちました。これで4勝1敗です。本因坊戦は7番勝負で早く4勝した方が勝ちです。

これで井山は本因坊を防衛、7連覇を果たしました。井山は7タイトル独占を続けています。

7タイトルとは棋聖(きせい)、名人、本因坊、王座、天元、碁聖(ごせい)、十段を言います。タイトル名は将棋とは違います。井山は2回に亘って7冠王になっています。これは想像を超える至難なことです。

7冠を達成するには、持っているタイトルをすべて防衛し、持っていない棋戦に対しては、そのタイトルの挑戦者になり、勝たねばなりません。

井山は一度7冠になってから名人のタイトルを失いましたが、他のタイトルを防衛し、名人戦を1から出直して、また名人位をとり7冠となりました。

7冠は井山が達成するまで他にはいませんでしたが、井山はそれを2回も行いました。人間業とは思えません。ただ驚くばかりです。

今年になって棋聖、十段、本因坊を防衛しました。他のタイトル戦も進行中です。井山からは楽しみをもらっており、応援し続けて行きます。

別の話になります。

明日は半夏生(はんげしょう)です。7月1日の年もありますが7月2日の年が多いようです。半夏生は72候の1つで夏至の日から11日目を言います。半夏生という季節感ある言葉が好きです。


半夏生の日にタコを食べる習慣があります。それは田植えの終わった今の時季、稲の根がタコの足のようにしっかりと張って豊作になりますように、という願いが込められているからです。 

植物にもハンゲショウがあります。上の方の葉、数枚の表側が白くなり花が咲きます。この時季が過ぎるとまた緑の葉に戻って行きます。何とも不思議です。

Dsc00344ハンゲショウ

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