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2018年7月 9日 (月)

戦後の生活・・・巡航船から二俣線へ

浜名湖の北を通る二俣線(現在の天浜線)が開通したのは昭和11年です。当ブログは昭和15年生まれなので物心ついたときには汽車がありました。

それまでは浜名湖巡航船が三ケ日、尾奈、鷲津、佐久米、舘山寺などつないでいましたが、二俣線が開通すると浜名湖巡航船も無くなって行きました。Junkousen

しかし巡船の名残は各所に見られました。巡航船の港が家の前にあり、その頃我が家は旅館を営んでいましたので、家には旅館の屋号を書いた看板やランプや宿帳、帳場の囲いなど残っていました。

前の汽船場だった家には小学生の頃よく遊びに行きました。切符を渡す窓口があり、日付を入れる機械が残っていて、それをカチャカチャ押して遊びました。

また港は河口で桟橋がありましたが、その頃は杭だけがいくつか残っていました。また大人たちはわが家を屋号で呼んでいましたし、前の家は汽船場と言っておりました。

港はやがてトンコ船の港となり、弁天島から砂を運んでいました。近くは砂場となり遊ぶにはよかったですが、持ち主から叱られ、目を盗んでは遊んでいました。

港は川であったのでたくさんの和船が繋留されていました。その頃は漁業をしている人も多く、また畑への肥の運搬などにも使われていました。

やがて川底も浅くなり、トンコ船も入れなくなって行きました。船も船外機となり、繋留所も別の所に造られました。護岸工事もなされ昔の面影は全くなくなりました。岸にはヨシが繁っていましたがコンクリートで固められました。
川では魚もよく釣りました。ぴんたい(チンタ)、はぜ、ふな、うなぎ、えび、小魚など捕りましたが今では全くいなくなりました。竿、さで(タモ)、よつで、さしあみ、シダ束など使って取りました。

このような変化はどこでも同じと思います。海岸線もほとんどがブロックやコンクリートとなりました。ときに砂浜の海岸を見ると心が癒されます。

浜名湖巡航船は今では浜名湖遊覧船として引き継がれており、瀬戸と舘山寺を結んでいます。巡航船が我が家の前まで来ていたとは夢のようです。

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