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2018年7月11日 (水)

吉祥山、戦後の生活・・・おひまち

新城市の吉祥山を歩いて来ました。沢沿いに行くBコース登山口から登りました。
Kitijoubkosu

木の丸太の長い階段が続いています。道はよく整備されています。

Dsc01394 登山道の階段

1時間で頂上です。8人がいました。

Dsc01392 頂上

Dsc01391 頂上の人

大変暑くなって来て汗が滴り落ちました。帰りはAコースの方へ下りました。

当ブログが小学校低学年の頃の話になります。昭和23年頃です。戦争は昭和16年12月8日から昭和20年8月15日まででした。

戦中は町内会の組の結びつきは強いものでした。昭和15年の隣組強化法によって制度化され、隣組は戦時下の物質の供出、配給、防空活動など行いました(wikipediaより)。
歌にも隣組の歌があります。

隣組による炊き出し  ネットで拝借しました

我が町は戦後も組の強い結びつきは続いていました。月1回の常会が組長宅で行われ、“おひまち”も年2回行われていました。おひまちとは組の親睦会のことです。

当ブログの家は以前旅館を行っていたので広く、おひまちのときは会場となりました。このおひまちの光景を何時も見ていました。

料理を作るのは奥さんたちで家主が宴席に出ました。やがて宴がたけなわになってくると歌が出始めました。その歌は卑猥な歌のようでした。

当ブログは歌がそのような歌であることは全く分かりませんでした。その歌もすぐに覚え、別の日、家でその歌を歌うと母親にどん叱られました。その時は何で叱られるのか分かりませんでしたが、やがては分かってきました。

おひまちでは女性は卑猥な言葉も投げかけられていたようです。時代がそのような時代でした。

しかしそんなにぎすぎすはした感じはありませんでした。普段は近所が打ち解け合って交流もあり、子どもは遅くまで遊びました。

今では近所付き合いが希薄になりすぎています。空巣、孤独死、幼児虐待など起こるとそのことが言われます。

女性も男性もまた世界の人みんなが平等、こんな日はいつ訪れるのでしょう。

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