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2018年8月

2018年8月29日 (水)

本「戦中戦後の暮しの記録」

1ケ月ほど前に「暮しの手帖社」より「戦中・戦後の暮しの記録」という本が出版されました。

Dsc01599

この本は戦争体験者の壮絶な記録です。157人からの原稿・絵・写真が纏めてあります。

「暮しの手帖社」は平成29年3月から募集を開始し、同年9月までに届いた2390編の原稿の中から編集しました。

その記録たるや言語に絶し、すさまじい内容です。内容は学校生活、集団疎開、勤労動員、空襲、配給、沖縄地上戦、シベリア抑留、原爆体験、食糧難、満州逃避行、引き揚げなど多岐に亘っています。

投稿は自筆以外に聞き書きもあり、多かったのは80代が33%、70代が16%、90代が6%ということでした。

終戦の1945年の時点では3歳から13歳までの人が多かったということです。今は77歳から87歳になっている方々です。投稿は100歳を超える方も何人かいました。

当ブログは田舎町で空襲も受けていませんし、直接被害にも遭っていませんので年代は近いのですが事情は全く異なり、その苦労が偲ばれます。

あの戦争から73年、貴重な体験者・証言者を失ってしまうのは時間の問題です。聞き書きをしようにも身内もいないという無念の声も多くあったようです。

この本の副題には「君と、これから生まれてくる君へ」とありました。この戦争の記憶を風化させぬよう、若い世代に伝えて行く貴重な本と思います。

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2018年8月27日 (月)

愛知県民の森・不動滝上展望台

天気が良く青空が広がっています。愛知県民の森を少し歩いて来ました。まだ陽射しが強いので林道歩きは止めて、Bキャンプ場から木陰の登山道を「不動滝上展望台」まで行きました。

Kenminnomoritakitenbou2_2

Dsc01593 登山口

愛知県民の森は休みでキャンプをしている人もいません。ジグザグに登山道を登って行くと15分で「不動滝上展望台」です。今日はここまでです。

Dsc01597 不動滝上展望台

Dsc01595 不動滝上展望台

「不動滝上展望台」は主登山道から外れた少し横にあるので、気が付かないと見逃してしまいます。当ブログも最初来たときは見逃してしまいました。直進すると南尾根に出ます。

展望台は木に囲まれた中にあるので暑くもありません。しかしまだ尾根道でもないので前山が見えるだけです。不動滝も下の方なので見えません。山の雰囲気を味わってきました。

Img_0758 不動滝上展望台からの眺め

また同じ道を下って駐車場に下りて来ました。駐車場横は木立に囲まれた浅い川になっており、ここは子供たちで賑わっています。歓声が響いています。

Img_0770 川遊び場

Img_0772 川遊び場

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2018年8月25日 (土)

神石山

雨も上がり曇っています。神石山へ手洗登山口から行って来ました。

Kamiisitearai2

歩き始めると蜘蛛の巣があり、蜘蛛の巣を取りながら登るのかと思いましたが、珍しく1人が下りて来ました。この人のお蔭で後、蜘蛛の巣はほとんどありませんでした。

草叢では虫が鳴き秋の気配もしますが、風も無く蒸し暑いこと、この上もありません。汗をふきふき上ります。途中に登山道を横切ってテープが付けられた道のような刈込がありました。黄色い杭も打ってありました。

Dsc01586 テープと杭

おそらくこれは林道が出来るのではないかと思います。地図に入れておきましたが、普門寺峠から下りる道には林道が来ています。

この林道は5年ほど前に出来ており、行き止まりとなっています。この林道が延長されるのではないかと思われます。

また登山道途中にはフジの大きな蔓がありましたが、だんだん下がってきて登山道を塞ぐようになって来ており、切られていました。ひとときは花を咲かせておりましたが、最近は腐ってきていましたので危険であり仕方ありません。

Dsc01582 切られたフジの蔓

汗にまみれて50分で頂上に着きました。曇っていて遠くまで見えません。雨も降りだしそうな天気だったのですぐに下りました。

Dsc01584 神石山頂上から浜名湖

また蜘蛛の巣が張りだしてきているところもありました。汗びっしょりでした。

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2018年8月24日 (金)

戦争体験 3

食料

戦中戦後は物の不足が著しく、昭和13年(1938)に制定された「国家総動員法」で「統制経済」となっていました。「統制経済」はあらゆるものの価格を政府が決め、庶民には「配給」として食料品・生活必需品を分配して買わせました。

食料が最も不足したのは戦後の頃でした。当ブログは終戦のとき5歳でしたので物が一番なかった時代に成長して来ました。

Senngoshokuryou_2 (暮しの手帖社・・・戦中・戦後の暮しの記録   より)

前に書いたのと重複しますが、当時食べたものを挙げてみます。

サツマイモ・大根・かぼちゃ入りごはん、すいとん、雑炊、蕎麦搔き、イナゴ、タニシ、おかゆ、芋づる、ずいき、サトウキビ、ふすま(小麦カス)、こうせん、乾燥芋、サッカリン、大豆カス、木の実、野草、川魚、海草、

開戦時10歳位だった人は戦前と戦後の食べ物の違いがよく分かったと思いますが、開戦時1歳の当ブログはこれらの食べ物が当たり前と思っていました。

とにかく食べ物は大事でした。冷蔵庫もないので傷みやすく、傷んだご飯は祖母や母親が熱湯をかけ洗って食べていました。

今は物を捨てることも必要ですが、当ブログには食べ物は捨てることはどうしても出来ません。冷蔵庫の隅に残ったようなものも、釣って来た魚も一生懸命食べています。

今は米の余るような時代となり、白米は当たり前ですが、白米だけでよいのかという気が今でもします。というのは大麦の押し麦を入れた麦ごはんが長いこと続いていました。その頃の気持ちは忘れないようにしたいと思います。

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2018年8月22日 (水)

戦争体験 2

戦争体験については以前に一度書いておりますが、もう一度書きます。 太平洋戦争が始まったのは昭和16年12月8日、当ブログはそのとき1歳5ケ月でした。戦争が終ったのは昭和20年8月15日で、その時は5歳1ケ月でした。戦争の記憶のあるのは4歳~5歳頃です。


空襲

当ブログの家は豊橋と浜松の中間ほどの田舎町で空襲はうけていません。豊橋、浜松、岡崎、名古屋などは空襲があり、B29の通り道になっていました。

B29というのは大型爆撃機でサイパン島やグアム島から飛んできて各地を空襲しました。原爆を投下したのもB29でした。その爆音は恐れられていました。他にグラマンと呼ばれたF6FやP51戦闘機などの空襲もありました。

B29や戦闘機が来ると警戒警報が発せられました。サイレンが短い間隔でなり不気味でした。その時は近所の人が共同の防空壕に飛び込みます。防空壕は空地に造られており、半地下式で木を組んだ屋根に土がかぶせてあります。

狭くてギュウギュウ、後になるとなかなか入れませんが、先に入った人が引っ張り入れてくれます。街の役員の人が爆撃機が来たときは「警戒警報発令」、去ったときは「警戒警報解除」とメガホンで触れ歩いていました。

こんなことが何回もあったので慣れっこになり、防空壕に入らない人もありました。当ブログも祖母に「ばあちゃん防空壕にいかにゃー」と言っても平気でした。年の功で状況が分かっているようでした。

防空壕は戦争が終って遊び場でしたが、すぐに取り壊されました。誰が造り誰が壊したのか、これも隣組の仕事だったのでしょうか。


戦車

当ブログは田舎町に住んでいたので、戦争の直接の被害はありませんでしたし、軍隊も見たことがありませんでしたが、一度だけ戦車を見たことがあります。

戦争が終ってからでしたが、戦車が1台街の方から来て隣村の大崎の方へ行きました。この時は偶然玄関にいて見ました。戦車は緑色で角張っており、半身を戦車の上に出した人が乗っていました。

の時の光景は不思議と鮮明に覚えています。子供心にも 戦争が終って静かになったのにおかしいなあ という感じでした。

現在、幻の戦車が三ヶ日町大崎瀬戸に沈んでいると言い伝えられ、探査チームが探査を行っています。見たのはこの戦車だとほぼ確信しています。1台だけでした。

探査チームの情報ではこの戦車は本土決戦に備えて2台作られ、使われることなく1台は千葉県で米軍に引き渡され、1台は浜名湖で1番深いこの瀬戸に沈められたということです。当ブログの見た戦車は重厚感がなくチャチな感じでした。

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2018年8月19日 (日)

テレビ戦争番組

今年も終戦日前後のテレビは、戦争に関する番組が幾つかありました。下記は当ブログが視聴したNHK番組です。

7月19日 NHK BS1 スペシャル 「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争」 

8月 6日 NHK スペシャル 「広島 残された問~被爆二世たちの戦後~」 

8月 8日 NHK 「美しき海の墓場~戦時徴用船の悲劇~」

8月 9日 NHK BS1 スペシャル 「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」 

8月11日 NHK スペシャル 「祖父が見た戦場~ルソン島の戦い 20万人の最後~」 

8月11日 NHK ETV特集 シリーズ アメリカと被爆者第2回 「“赤い背中”が残したもの」 

8月12日 NHK スペシャル 「“駅の子”の戦い~語り始めた戦時孤児~」 

8月12日 NHK BS1スペシャル ▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者の心の闇 

8月13日 NHK BS1スペシャル 「インパール 慰霊と和解の旅路」 

8月13日 NHK スペシャル 「船乗りたちの戦争~海に消えた6万人の命~」

8月15日 NHK スペシャル 「ノモンハン 責任なき戦い」

8月18日 NHK ETV特集 「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」

8月19日 NHK スペシャル 「届かなかった手紙 時をこえた郵便配達

戦後73年が経ち、戦場での体験者は90歳以上となってきており、戦争体験を語れる人もやがていなくなってしまいます。

戦場での体験を語った人は、妻にも子供にも話したことがないが、初めて話すという人が多くいました。話さなかったのは多くの苦難、苦悩、悲しみなど複雑な思いがあったと思いますが、今こそ話しておかねばという気持ちになったということです。

またたくさんの資料が焼却された中、個人で保存していた資料や極秘に保存された資料が公開されました。外国で保存されていた資料の公開も多くありました。

長い期間にわたる現地での取材、緻密な資料分析、困難な撮影など見応えのある番組でした。

ほとんどの番組は録画をしておき後で見ましたが、これらの番組の中には再放送されるものもあります。戦争の真実がだんだん分かってくるように思いました。

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2018年8月18日 (土)

蛇峠山、飛騨川バス事故

昨日、長野県浪合村治部坂高原から、蛇峠山(じゃとうげやま、1664m)へ行ってきました。馬の背展望台まで車で入ります。 
 
Jatougeyama
馬の背展望台はススキが穂をだし秋の気配です。肌寒く長袖に変えました。大川入山(おおかわいりやま)が目前に見えます。

Dsc01556 馬の背から大川入山

ゲートから蛇峠山に向かいます。35分ほどで蛇峠山手前の狼煙台に着きました。今日はここまでです。周りにはアンテナが林立しています。

Dsc01573 狼煙台

ちょうど雲が上がり周りの山々がよく見えます。これだけ見えるのも珍しいことです。

Jatougeminamikita 南アルプス

Jatougeminami 南アルプス

Jatougechuuou 中央アルプス

Jatougeena 恵那山、大川入山

狼煙台から引き返し、林道を下りました。いろいろな花が咲いていました。

Dsc01547 マツムシソウ

Dsc01576 コオニユリ

Dsc01575 ツリガネニンジン

蛇峠山は涼しくもうすっかり秋です。白樺林にススキがなびく高原を楽しんできました。

平成27年9月11日に訪れたときの蛇峠山動画を添付しておきます。

別の話になります。

今日は飛騨川バス事故の日です。今日の中日新聞社説にもありましたが、半世紀前(昭和43年8月18日)の事故で知る人も少なくなりました。

飛騨川バス事故と言うのは乗鞍岳に向かう15台のツアーバスの中、2台が集中豪雨による土石流で飛騨川に転落した事故です。

当ブログはこの事故を忘れることが出来ません。ちょうど旅行中でこの事故の現場に通り合わせました。ロープで遺体を引き上げている最中で、身の毛もよだつような事故でした。

この事故での死亡・行方不明は104人、助かったのは3人だけでした。助かった一人は小学生で窓から放り出されたのが幸いしました。

転落したバス2台は沢の下で止まり、他のバスは崖の下で止まっていたようです。崖の下で止まっていたバスの乗客は、沢の下で止まっていたバスは安全でいいなと思っていたということです。

それが逆となってしまいました。国道41号線の現場には「天心白菊の塔」の慰霊碑が建っています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年8月12日 (日)

東山、岸田劉生展

今日は薄曇りだったので二川の東山に行って来ました。駐車場には多くの車がありました。お盆なので家族連れも来ています。
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葦毛湿原にはサギソウが多く咲いていました。花が集まり丸い小さな玉のシラタマホシクサも咲き出していました。

Dsc01533_2 サギソウ

Dsc01532 シラタマホシクサ

蒸し暑く汗が滴り落ちます。尾根道に出れば涼しいかと思いましたが、風は全くありません。1時間10分で頂上です。頂上も風はありません。展望は良く太平洋が見えます。

Dsc01540 東山 松明峠(たいまつとうげ)とも言う

Dsc01542_2 東山頂上

帰りも来た道を戻りました。汗びっしょりでした。

別の話を書きます。

豊橋美術館で岸田劉生(きしだりゅうせい)展が開かれています。このような一流画家の展覧会は滅多にありません。こんな近くで見られるのですから行って来ました。
展覧会の案内は次のようになっていました。
「岸田劉生(1891-1929)は38年という短い生涯のなかで、西洋美術の新しい表現と日本の伝統美術との相克に果敢に立ち向かい、日本の近代美術史に極めて大きな足跡を残しました。劉生の代表作を含む青年期から晩年までの優品を一堂に紹介し、その生涯を改めて振り返ります。」

Dsc01524_2 ポスター

岸田劉生の絵というと麗子像が有名です。麗子は劉生の長女です。麗子の像は4歳頃から40点以上あるようです。実に緻密に写実されています。髪の毛1本1本まで描いています。

Dsc01525_4 麗子像

人物像が多く、自画像も多くありました。90点ほどが展示されていました。

パンフレットには次のようにありました。「要するに写実は道であって目的ではない。目的は写実以上のところにある。言ふまでもなく、深き美にある。」

ここまで求めているとは驚きでした。当ブログは絵は全く門外漢ですが実に感動いたしました。見に行ってよかったと思います。この展覧会は9月2日まで開かれています。

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2018年8月 8日 (水)

戦後の生活・・・アイスキャンデー

戦後の頃アイスキャンデーがありました。街には2軒の製氷屋があり、そこで大きな氷やアイスキャンデーを作っていました。

その頃は魚屋など特別な店には氷で冷やす冷蔵庫がありましたが、一般家庭には冷蔵庫はありません。大きな氷はのこぎりで切って、そのような店に氷屋が卸しており、氷はたいへん貴重で特別なものでした。

アイスキャンデーはおじさんが自転車の後ろにつけた木の断熱箱に入れ、旗を立てて売りに来ました。店では溶けてしまうので置いてありませんでした。

2種類だけでした。1つはアイスキャンデーと呼び3円でした。もう1つはアイスマックと呼び5円でした。

アイスキャンデーは筒状の20cmくらいの氷に割りばしのような棒が付いていました。赤や青の甘い氷でした。アイスマックは直方体状でやはり棒が付いており、汁粉の液を固まらせたようなものでした。両方とも甘みはサッカリンでした。

昭和27年頃はアイスクリームも売りに来ました。その場で薄板で作った長方形の小さな箱にアイスクリームを押し付けるように入れます。ドライアイスで冷やしていたようです。

これは高価で子供は買えませんでした。その頃は牛乳もありません。ヤギを飼っている家はヤギの乳を飲んでいました。

他にかき氷がありました。かき氷屋の店に吊るしてある旗はその頃も今も同じです。手回し機から電動に変わったくらいで、出てくる氷はその頃と変わりませんが、かけるシロップはサッカリンでした。


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2018年8月 6日 (月)

8月は鎮魂の月

昭和20年(1945年)8月15日戦争が終りました。終戦前後にはいろいろな出来事がありました。今日は広島原爆の日で原爆では約14万人が犠牲となりました。

現在核弾頭保有数はロシアが約7000、アメリカが約6800で全世界の95%ほどを占めています。

これが抑止力となって世界の平和を維持しているという考え方は綱渡りのようです。核兵器は一日でも早く廃絶しなければなりません。

広島市長の平和宣言の中にもこのことに触れられていました。

「核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです」

8月9日は長崎原爆の日で、約7万人が犠牲となりました。その間の8月7日は近くの豊川海軍工廠空襲の日でした。当ブログはこの空襲が原爆であったかも知れないと身震いをしています。

戦争が終った後にも旧樺太で“北のひめゆり事件”があり、また旧満州では“満蒙開拓団集団自決”が幾つかありました。

終戦の年の8月はいろいろのことがありました。8月は鎮魂の月です。

また地球はきれいなままで次の世代に渡さなければなりません。


このところ大変暑い日が続いています。岐阜県下呂市では今日41度ということでした。もう明日は立秋です。涼しくなるわけではありませんが、この言葉だけでも涼しく感じます。

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2018年8月 3日 (金)

井山6冠に後退

囲碁碁聖(ごせい)戦速報です。

「井山6冠に後退 碁聖戦、許家元が奪取

 囲碁の第43期碁聖戦五番勝負(新聞囲碁連盟主催)の第3局が3日、大阪市北区内で打たれ、挑戦者の許家元(きょ・かげん)七段(20)が井山裕太碁聖(29)に224手で白番中押し勝ちし、3連勝でタイトルを奪取した。井山は昨年10月の名人復位で2度目の7大タイトル独占を果たしたが、碁聖7連覇は成らず、6冠に後退した。」

井山は囲碁7大タイトルの1つ、碁聖を失いました。2連敗後今日の第3戦を期待していましたが残念です。井山はこのような崖っぷちには何回も立ち、その度に跳ね返してきました。
2回の7大タイトルというのは驚異的なことでした。当ブログは井山を応援し続けて行きます。

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