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2019年5月27日 (月)

地方都市の戦中戦後⑪ 米機の来襲

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その11回目です。(三ケ日町史より抜粋)

米機の来襲

 昭和19年12月、3日、9日、18日と空襲警報が発令され、白い飛行機雲を引いて西北にB29が飛び去った。これが本土上空に現れた最初の米機であった。
 昭和20年1月14日には三ヶ日町上尾奈(かみおな)御料林にB29から爆弾数十発の無差別投下があったが人畜には被害が無かった。サイパンを基地とするB29の来襲は昭和20年1月から激しくなり、しかも浜名湖が一つの目標となり、本土侵入の通過地となっていた。
 昭和20年6月19〜20日 深夜、豊橋市に大空襲があり、三ヶ日町からも西南の夜空が赤々と輝くのを目の当たりにした。
 最初は軍需工場や軍事施設を狙った爆弾投下が、非戦闘員の人家を狙っての無差別爆撃となった。日本の高射砲の弾も届かず、これを迎撃する戦闘機も殆ど姿を見せなかった。
 常に北上するB29は志摩半島から侵入し、浜名湖付近から去ることが多かった。特に軍事基地を持つ浜松市内は、実に27回に及ぶ爆撃を受け、昭和20年6月18日、B29約50機の焼夷弾攻撃で焦土と化した。また浜松市は同年7月29日夜9時頃から1時間に亘り、遠州灘の米軍から艦砲射撃を受けた。この艦砲射撃はすさまじいもので、強烈な響きと弾道の火線が見え、三ヶ日町民は安全な地点を求めて避難した。幸い三ヶ日町は艦砲射撃による被害は受けなかった。
 同年8月7日には豊川海軍工廠(こうしょう)が爆撃を受け、三ヶ日町からも動員学徒、女子挺身(ていしん)隊員、徴用工員で召集された多数の中から16名の尊い犠牲者を出した。
 

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