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2019年5月20日 (月)

地方都市の戦中戦後④ 衣生活

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その4回目です。(三ケ日町史より抜粋)

戦時下の衣生活

 衣料品も昭和15年10月に切符制となり、隣組単位で配給が行われ、作業服1着揃えると1年分の点数が消えていった。
 モンペはもともと東北あたりの農村の仕事着であった。それが戦争が始まると、日本中の女性の服装になってしまった。
 防空頭巾は昔の火事装束にヒントを得ている。これも隣組の防空演習に出るときの女性の一種の戦時服装だったが、やがて学童は登下校時には肩にかけ、働く男や女にも欠かせない重要な生命を守る道具となった。
 リュックは戦中戦後は買い出しには大いに役立った。雑のう(肩から掛ける雑多なものを入れる袋)には常に三角巾や救急用品、貯金通帳、家庭備品、少しの食糧をいれて用意されていた。
 靴は皮からズック(厚手の平織生地)靴となった。しかしズック靴も手に入らなかった。学生用ズック靴は学校で配給した。地下足袋も不足しており、農業者に対しては町村を通じて隣組に配給されたが、年間1足程度であった。
 男子は国防色と言われていたカーキ色の国民服に戦帽といった出で立ちで、日常活動に便利な服装が必要とされ、防空訓練、勤労奉仕などの戦時体制の服装となり、これは一般町民の服装でもあり礼服でもあった。

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