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2019年5月28日 (火)

地方都市の戦中戦後⑫ 軍国主義の崩壊

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その12回目です。(三ケ日町史より抜粋)

日本の軍国主義の崩壊

 昭和20年8月15日はよく晴れた蒸し暑い日であった。ラジオは朝早くから「正午に重大ニュースを発表する。」と繰り返し放送していた。本土決戦か、戦争を止めるのだろうか、それぞれの異なった考えを持って正午の放送を待った。
 放送によって流れる声は、町民いまだ耳にしたことのない天皇による終戦の放送であった。「朕(ちん)は帝国の政府をして米・英・支(中国)・蘇(ソ連)4国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨、通告せしめたり。」「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かんとす。」天皇の御声は日本の家庭に、工場に、町から村へと広がった。「今までの勝ち抜くまでは」の緊張は一転して、全身の力が抜け、虚脱の状態であった。
 昭和6年の満州事変以来、中華民国の排日運動の激化により昭和12年の日華事変(日中戦争、盧溝橋事件)は中国全土に広がり、昭和16年12月8日米英両国に宣戦を布告して太平洋戦争となった。
 旧三ヶ日町・東浜名村では祖国のため640有余の尊い命が失われた。内訳は満州事変3柱、日華事変(日中戦争)65柱、太平洋戦争574柱であった。 

 

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