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2019年5月19日 (日)

地方都市の戦中戦後③ 食生活

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その3回目です。(三ケ日町史より抜粋)

戦時下の食生活

 戦争下、孤立状態の日本は食糧増産が重要な問題となり、空き地はもとより、国民学校の校庭まで掘り起こしてサツマイモや麦を作った。ミカン園の一部も強制的に伐採し食糧増産に向けた。
 まず主食米は、昭和15年度産米から申告制となり、だんだん統制が強化され、配給も厳しくなった。その後麦やサツマイモも主要食糧として供出制となった。
 昭和16年4月「生活必需物資統制令」が公布され、戦争の緊迫化とともに配給制となった。米、麦、塩、醤油、味噌、砂糖、大豆、食用油、酒など家庭の必需品が、配給手帳や切符で買わなければならなくなった。実際には配給量では足りないため、ほとんどの必需品が配給以外は闇値で買うことが横行した。
 米は玄米で支給され、一升瓶の中に玄米を入れて、瓶の口から棒で着く精米法が流行した。
 戦争の激化とともに、食糧事情は一層窮屈になり、溝の縁に映えているギシギシとか、ユキノシタ、サツマイモの葉まで雑炊に焚きこんで食べる有様となった。

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