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2019年5月24日 (金)

地方都市の戦中戦後⑧ 婦人活動

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その8回目です。(三ケ日町史より抜粋) 

銃後の婦人活動

 昭和7年10月に「大日本国防婦人会」が創立されたが、昭和6年の満州事変以後、女子青年団と共に銃後の守りを固めるために、出征軍人や遺家族の援護にあたる目的で発足した。
 昭和17年7月からは「大日本婦人会」(婦人会)と名称を変え、旧三ヶ日町にもその支部が出来た。婦人会は、応召兵の無事を祈って寅年生まれの人の家を回り千人針作りをした。出征兵士は村の鎮守様で1戸1人は必ず出て歓送会があったが、各駅頭までは小学生の旗行列と「大日本婦人会」と書いた白たすき姿の婦人会が続いた。遺骨帰還のときは、町民や婦人会は駅頭まで英霊を迎えに出た。
 合同慰霊祭は町村主催で国民学校校庭で盛大に挙行され、婦人会役員は必ず参加するのが例であった。婦人会は本土決戦に備えて、竹槍の使い方、射撃訓練なども行った。

 

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