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2019年5月25日 (土)

地方都市の戦中戦後⑨ 戦線の後退

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その9回目です。(三ケ日町史より抜粋)

戦線の後退

 昭和18年6月ミッドウェイ―開戦の敗北をきっかけに、翌19年2月ガダルカナル島撤退を開始し、ここを境に日本軍は完全に守勢に転じたのである。
 昭和19年7月にサイパン島が米軍の手に落ち、ここを米軍はB29の基地としたため、日本本土爆撃は射程距離内に入った。従って米軍による本土襲来は昭和19年11月から連日におよび、首都東京をはじめ、各都市はつぎつぎに爆撃破壊されていった。
 また昭和19年2月、「決戦非常措置要綱」の決定によって、学徒動員、女子強制動員が行われるようになった。学徒動員を主体とする神風特攻隊の出撃が始まった。
 昭和19年12月、B29が始めて三ヶ日町の上空に現れ、空襲警報が発令された。昭和19年12月7日東南海大地震が発生し、被害甚大であったが、戦時中のため実情は国民に知らせなかった。三ヶ日町は傾いた家屋を出したものの、被害は軽微であった。

 

 

 

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