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2019年5月26日 (日)

地方都市の戦中戦後⑩ 本土決戦体制

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その10回目です。(三ケ日町史より抜粋)

本土決戦体制

 昭和19年11月フィリピンのレイテ島に米軍が上陸し、昭和20年2月には日本軍のフィリピン戦線は全面撤退のやむなきに至った。同年3月硫黄島の日本軍の玉砕により、B29の基地は一層接近し、本土襲来が容易になり、米軍の本土進攻作戦が急速に進められた。
 昭和20年4月には沖縄上陸するや、戦局の重大化に伴い、本土決戦に備えて、国民を総動員する「国民義勇隊」が組織された。義勇兵は男子は16歳~61歳、女子は17歳~41歳までで、必要に応じて武器を持って戦う「国民戦闘隊」であった。市町村ごとに組織がつくられた。
 本土決戦に備えて、遠州灘に上陸の可能性があるとして、海岸一帯に飛行97部隊、鋭敏戦車隊、護国師団、怒部隊があり、これに国民戦闘隊が合流して、一億玉砕の構えであった。

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